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加川良「フォーク・シンガー」

2022-12-14 21:42:03 | 音楽批評


今回は、音楽記事です。

このカテゴリでは、日本フォーク関連の記事をずっと書いてきましたが、今年いっぱいでいったんそこを離れようかと思ってます。
もともとは洋楽中心にやってたブログなので、そろそろそっちに戻ろうかということで……

したがって、今回はいったん日本フォーク記事の最終回。
それにふさわしいアーティストとして……登場するのは、加川良さんです。


加川良といえば。

まず思い出すのは、「教訓Ⅰ」でしょう。
加川良の代表曲というだけでなく、70年ごろの反戦フォークを代表する曲でもあります。

しかし……これほどまでにそのイメージが歌い手の意図を離れて独り歩きしている歌もまたないのです。


「教訓Ⅰ」だけを聴けば、たしかにフォークゲリラなんかで好んで歌われていた反戦の歌のように聴こえます。
勇ましいことをいうのではなく、命を大切にしようという歌だと……
しかし、ほかの歌をいくつか聴いてから聴きなおすと、また違った聴こえ方もしてきます。
加川良という人は高田渡の付き人みたいなことをやっていたわけですが、彼の歌にはたしかに高田渡の影響が感じられるのです。
それは、フォークゲリラの方向性とは、実はその根底において相当な隔たりがあります。以前このブログで高田渡が新宿のフォークゲリラを批判した歌を紹介しましたが、まさにそこに表われていた溝です。

しかし、加川良というミュージシャンは、やはり「教訓Ⅰ」の印象が圧倒的に強く、それゆえに“反戦フォーク”の側の人とみなされているでしょう。
そのあたりは、リスナーの側に誤解があるようにも私には思われます。
実際には、加川良は高田渡と同様に生活者目線のフォークであり、その立場は反戦フォークの方向性とときに対立さえするものなのです。にもかかわらず、反戦フォークの文脈のなかに位置づけられてしまった……
そのイメージに縛られるというところが、加川良にはおそらくあったのでしょう。後年の活動は、そういう“フォークシンガー”という桎梏から逃れようとしているようにも見受けられます。
たとえば「ポケットの中の明日」では「ギターケースが重たいだろうな」と歌い、また、ロック色を前面に出した「かかしのブルース」では「ギターケースだって重たければ捨てられる」と歌います。
そのものずばり「フォーク・シンガー」という歌もあって、そこではこんなことを歌っていました。

 やつは俺の前から何年も前にずらかりやがった
 残していったのはヤングギターっていう臭い本だけ
 責める気もいまさらないけど 頭にくることは
 俺をフォークシンガーなんて呼びやがったこと
 やつは冗談のつもりだったかもしれないが
 以来この俺はいろんな奴に笑われどおし
 この先いつまで笑われるのかと思うと
 気が狂うほどつらかったぜ


 あれから数年あの町この町探したぜ
 俺に恥をかかせたやつを殺すために
 俺は一生かかってもやつを探し出してやる
 俺をフォークシンガーなんて呼びやがったやつを

高田渡流の語法なので、こうした言葉をそのまま受け取っていいのかというのはありますが……しかし、いろいろ考え合わせると、やはり反戦の歌を歌うフォークシンガーというイメージに縛られることに対する違和感みたいなものがあったんじゃないかとは思えます。

その点に関しては、ボブ・ディランに近いところがあるでしょう。
もしかすると、「日本のボブ・ディラン」という呼称がもっともふさわしいのは、吉田拓郎でもなく、岡林信康でもなく、加川良なのかもしれません。
そしてそのことは、この国でフォークという音楽がたどってきた道筋をいびつなかたちで反映しているともいえるでしょう。
フォークシンガーであった頃の加川良はフォークのフォーマットにかなり忠実な音楽をやっていましたが、それがいつかロックの方向にいく。フォークを続けるでもなく、ニューミュージックの方向にむかうでもなく……この国のフォークの盛衰史からすれば、加川良というミュージシャンが進む道はそこにしかなかったとのだと私には思われます。そういう点では、ある種背理法的な意味合いにおいて、加川良は日本フォーク史を象徴するアーティストなのです。




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