ロック探偵のMY GENERATION

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ひろしたちとロカビリー

2020-12-27 14:24:02 | 音楽批評

今回は、音楽記事です。

このカテゴリーでは、1950年代末に“3ひろし”と呼ばれたアーティストたちについて書いてきました。

その流れを受けて、今回は“3ひろし”の一人である井上博について書こうと思います。


――といいたいところなんですが、井上博という人自体に関しては正直それほど語ることもありません。
昭和三十年代ぐらいに活躍していた。
しかし、その後はヒット曲にめぐまれず、表舞台から去っていった。
失意のうちに、若くして世を去った……
といったぐらいのことです。
ググってみても、それぐらいの情報しか出てこないのです。
なので、今回は“3ひろし”記事のまとめ的な意味合いもこめつつ、井上博が所属していたドリフターズや、ロカビリーというものについて、書いてみようと思います。



知っている人は知っているとおり、ドリフターズというのは本来音楽をやるバンドです。
発足当初はもちろん、コントをメインにやっていた時代であってもバンドであることに変わりはなく、メンバーに楽器の担当があります。カトちゃんはドラム、長さんはベース、そして志村けんがギター……といった具合。志村けんさんは三味線を弾いたりもしてましたが、あれもギターの延長なのでしょう。

活動初期は、お笑い時代とはまったくメンバーが異なり、後に大物になるミュージシャンも在籍していたといいます。井上博も、その一人ですが、大物といえば坂本九がいたこともあるとか。
ただ、初期の活動に関してはよくわからないことが多いです。今でいうインディーズの活動をしていて、メジャーのレコード会社からリリースした作品はなく、音源自体もあまり残されていないようで……ただ、ロカビリー系の音楽をやっていたようです。

これまで紹介してきたひろしは、いずれもそうでした。

そのことをとらえて彼らを“ロカビリー3ひろし”(あるいは4ひろし)といったりもするんですが……この言い方には微妙な違和感があります。

というのは、そこで挙げられるひろしたちは、程度の差はあれ、メジャー進出後にみなロカビリーを放棄しているように思えるからです。

守屋浩がもっともわかりやすいと思いますが、「僕は泣いちっち」というあの歌は、どう考えてもロカビリーではないでしょう。
スパイダーズなんかにしても、自分たちが本当にやりたい音楽をやれないことが、解散につながった一つの要素といわれています。
そして、井上博はソロ歌手としてヒットし、ドリフターズもまた、ロカビリーバンドとして表舞台で脚光を浴びることはなかったわけです。

日本歌謡史の概観としても、結局ロカビリーというのは50年代後半の一時的なブームにすぎず、一部の若者が熱狂的に支持しただけだったということになるでしょう。

まあ、本場アメリカでもそんなもんだったとは思いますが……
しかしそれでも、日本におけるロカビリーの衰退は、この国がロックにとって不毛の地だということを示した最初の例のように思われるのです。

アメリカにおけるロカビリーが一時のブームにすぎなかったとしても、エルヴィス・プレスリーやジョニー・キャッシュの存在は、たしかに社会の価値観を大きく転換させたと思えます。

しかし日本では、そうはならない。

ロカビリーをやっていた歌手たちは、結局、歌謡曲というものに呑み込まれていってしまいます。
海外で新たな傾向として生まれた音楽を輸入しては歌謡曲化させるのが、日本の伝統芸なのです。

それは、音楽にとどまらない、日本社会そのもののあり方を示しているのかもしれません。
この国では、社会を変革するような力は、世間というものによって“矯正”されてしまう。それが文学においては世間との“和解”として描かれる。実社会では、社会運動の挫折として表れる。そして、その音楽における表れが、つまりは“歌謡曲化”なのだと思われます。

ロカビリーも、パンクも、ヒップホップも、この国ではみんな歌謡曲になる。

そうしなければ、メジャーの世界ではまずやっていけない。そうしたくなかったら、アンダーグラウンドでやっていくしかない……そういうことなんじゃないかと思えます。

そういう事情なので、ひろしたちはロカビリーを捨てたのでしょう。
まあ、別に歌謡曲が悪いというわけではないし、日本にもすぐれたロックンローラーはたくさんいると思いますが……なにかこう、無毒化される感じというのがあるわけなんですね。そして、無毒化を拒んだアーティストは周縁に追いやられていく、と。

そんな日本にあって、無毒化を拒みつつもスターであり続けた稀有なロックンローラーが忌野清志郎だということで、このブログでは、清志郎がよく出てきます。
この記事で書いたような事情を、清志郎が、鋭く、シニカルかつユーモラスに歌った歌があります。
題して、“ロックン仁義”。
こういう批評的な視点を持っていたからこそ、清志郎は、本邦音楽業界における歌謡曲の圧力とクレバーに戦い抜くことができたんだろうと思うのです。


THE TIMERS - ロックン仁義


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