ロック探偵のMY GENERATION

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それは「正義の暴力」なのか ジャニーズ会見に思う

2023-10-05 20:04:41 | 時事


先日ジャニーズ事務所が行なった2回目の会見が波紋を広げています。

ジャニーズ側としては、これで幕引きをはかりたいところだったでしょうが、NGリストの存在が暴露されたことで、また会見の意義自体に疑問符がつくことになっています。
しかし……NGリスト云々は一旦措いておくとしても、この会見には釈然としない部分がいくつかありました。
先日の記事で「正義とは何か」が問われる事態が最近起きていると書きましたが、ジャニーズ問題もその一つでしょう。というわけで、今回はこの件について思うところを書いておこうと思います。



すでに多方面から指摘されていることですが、違和感の源泉は、そもそもこの会見に厳格なルールを導入する資格がジャニーズ事務所にあるのかということです。

まず、一つの前提として押さえておかなければならないのは、この会見においてジャニーズは「追及される側」であるということ。
彼らがいうところの「人類史上最も愚かな事件」が明るみに出て、その問題にどう対処するかということを話す場であり、不祥事の対応を話す場であるわけです。その場で、追及される側が会見のルールを決めてよいのか、ということがまず疑問です。

また、途中、会見が紛糾したところでジャニーズ側から「もめているところを見せたくない」という発言があったといいますが、この発言にも私は強烈な違和感をもちます。

もめていい時、もめるべき時、もめなきゃいけない時、というのがあると思います。
そして、だとすれば今がまさにそのときでしょう。
もめるべき時、声高に追及しなければいけないときにメディアがそれをやらないということがつまりは「マスメディアの沈黙」であり、もめなければいけないときにそれをやらなかったがゆえに問題はさらに深刻になっているわけです。

また、メディアの問題だけでなく、「もめているところを見せたくない」という言説は、被害者個々人を沈黙させる圧力でもあったのではないでしょうか。自分が黙して耐えていれば、明るく楽しいアイドルの世界のままでいられる、被害を訴え出ればそれを壊すことになってしまう、というような……
だとしたら、これはおぞましいことといわなければなりません。
裏では未成年の少年が性被害にあっても黙って耐え、表では歌って踊って明るく楽しい世界……これはおそろしくグロテスクな絵図ではないでしょうか。

これを打ち破るには、もめるのを恐れてはいけないということです。
空気を読まず、騒ぎ立てることです。追及される側が一方的にきめたルールなんぞは無視するか、控えめにいっても、あんたたちにそんなルールを決める資格があるのかと詰め寄るべきなのです。それをやってこなかったがゆえに、「人類史上最も愚かな事件」が野放しにされてきたことを忘れてはいけません。不正義を追及するときに優先されるべきなのは、ルールを守ることや“和”ではないはずです。

今回の件で、ジャニーズに対する追及を「正義の暴力」として逆に非難する言説がありますが、私にいわせればそれは「正義リテラシー」の欠如です。「正義とは何か」を考え、正義の観念を鍛えていないから、正邪の判断をスキップして「厳しく追及すること自体が悪い」みたいな認識になってしまうということです。それではだめなのです。酷なように見えても、厳しく不正を追及し糾弾しなければならないときはある。そうするに値するかどうかを判断するために、正義という観念を鍛錬しておかなければならないのです。ジャニーズ側の「ルールを守りましょう」という言葉に記者側から拍手がわきおこるようでは、今後も似たような問題が起きるのを防げないんじゃないでしょうか。まああれもサクラ疑惑があるようなので、せめてサクラであってくれたらな……と思います。




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