HECTOR BERLIOZ
Symphonie fantastique, Op. 14
John Eliot Gardiner
ORCHESTRE REVOLUTIONNAIRE ET ROMANTIQUE
ルイ=エクトール・ベルリオーズ(1803-1869)はフランスのグルノーブル近郊にあるラ・コート・サン・タンドレに生まれた。文化的な環境に育ち、幼少の頃から古典文学や音楽に親しんだ。父親は開業医で、息子にも医者になって欲しいと願ったため、ベルリオーズは大学で医学を学んだが、長くは続かなかった。オペラや演劇に熱中し、音楽への思いを断ち切れなかった彼はパリ音楽院で作曲を勉強、ローマ大賞を1830年に受賞し、ローマへ留学した。女優ハリエット・スミッソンへの狂おしいまでの想いやマリー・モークとの婚約が破談になったりといったこの時期の恋愛体験は、ベルリオーズの創作の源泉となった。
ベルリオーズの音楽はパリではあまり歓迎されなかった。数々の興行の失敗で借金もかさみ、生活の糧を得るために彼は新聞や雑誌に音楽批評を書くようになったが、音楽批評家としての活動は30年あまり続いた。1840年頃になると、イギリスやドイツでは指揮者としての名声を得たが、パリで認められたのは晩年になってからで、フランス学士院の会員に選ばれたのは1856年のことであった。
ロベルト・シューマンは「ベルリオーズの交響曲」という評論で次のように書いた。
「しかし、果たして器楽曲に思想や事件をどの程度まで叙述できるか、という難問については、多くの人があまりむずかしく考えている。もちろん作曲家は何かを表現したり、記述したり、描写したりしようと、あらかじめ腹に一物あって、ペンと紙を用意するものと信じたら間違いであるが、さればといって、外部からの偶然の影響や印象をあまり軽視するのもよくない。無意識のうちに、音響的印象のかたわらに観念が働き、耳とならんで眼が動くことはよくあることで、この常に働いている器官は、音響のさなかにいて、ある種の輪郭を固めてゆき、その輪郭が音楽の進むにつれて次第に凝縮して、判然たる形象を形成するにいたることはありうることだ。音響がそれと共に生まれた思想や形像と親近な要素をたくさん含んでいればいるほど、また作品がより詩的な、または造形的なものを表現していればいるほど、また一般にその音楽家がより幻想的に、より敏感に把握していればいるほど、その作品は、ますます人の心を高めたり、引きつけたりする」
ベルリオーズの代表作「幻想交響曲」はいわゆる標題音楽を確立した作品として知られている。ロマン主義の時代は文学が楽想の源泉となるなど、音楽外の概念に基づいて音楽がつくられた時代であったが、これは古典主義的なソナタ形式を解体した後の形式原理として音楽外的なテクストに依拠するというものであり、ピアノ小品などの警句的で凝縮された作品が数多く作られたが、ベルリオーズは交響曲というジャンルにこうした原理を適用し、楽章間の紐帯として固定楽想を用いた。これはのちにワーグナーの楽劇におけるライトモチーフへと発展した。
「幻想交響曲」はすべての楽章に標題がつけられ、阿片をのみすぎた若い芸術家が奇妙でグロテスクな一連の夢を見るというベルリオーズ自身によるプログラムがあり、器楽のドラマとして構成された。そこにはトマス・ディ・クインシーの「阿片常用者の告白」からの影響が見られる。ディ・クインシーによれば、阿片をのむことで「空間の観念と時間の観念とが、両方とも強く影響され、建物とか風景と云つたやうな物が、肉眼で見るのが困難なほど、廣大な大いさで示され、空間は膨張して、名状し難い無限の範囲まで拡大され」るし、また、ボードレールによれば「五感が互いに影響を与えあい、音は色彩を帯び、色彩には音楽が生まれ、メロディーやハーモニーは算術的機械に変貌する」のだそうだ。
ベルリオーズの音楽は、当時としてはあまりに衝動的でグロテスクなものであり、常軌を逸したものであった。彼は自己の情熱的で衝動的で誇大妄想的な性質をドラマティックな管弦楽に投影した。これはベートーヴェンの後期のように抽象的・普遍的な観念ではなく、具体的な対象を持つ標題的な観念であり、個人的・主観的な内的な経験の表現であった。この人間的な感情の表現を際限なく拡大していこうとする荒れ狂った音楽は、色彩に満ちた管弦楽の技法とともに、後期ロマン派のワーグナーやマーラー、あるいはリムスキー=コルサコフやチャイコフスキーといったロシアの音楽家に多大な影響を与えた。
ベルリオーズは「音楽家では全然ない――絵画の手法を使っている」と評され、自身も「音楽における楽器法は絵画における色彩法に相当する」といった記述を残しているが、実際のところ、ベルリオーズは当時の画家や色彩理論にはほとんど関心がなかったと言われている。音楽と絵画に共通する法則については、「絵画の音楽」を志向したドラクロワが、次のように示している。
「音楽におけるハーモニーは和音形成のみから成るのではなく、和音の関係、すなわちその論理的な進行や和音の聴覚的反照とでも言うべきものから成っているのです。ところで、絵画も同じ法則に則っています。あの青いクッションとこちらの赤いカーペットを例にとりましょう。この二つを並べてみるのです。そうすると、二つの色が接するところで両者がたがいに奪い合うのがお分かりでしょう。赤は青みを帯び、青にはうっすらと赤味がかかり、まん中にすみれ色が生じます。絵を極彩色で満たしたっていいのです。そうした極彩色を結びつける反照がありさえすれば、趣味が悪いというそしりを免れることができるのです」
絵画と音楽の相互にある影響関係については、例えばニコラ・プッサンが旋法の原理を絵画に適用したように、「ある感情に基づく気分を伝達するのに、描かれた人物の身ぶりによる表現ではなく、絵画の様式そのものによっても、つまり抽象的な方法によっても」可能であるとして、プッサンは19世紀のドラクロワとほぼ同じ考えを17世紀に主張していた。
ロックスパイザーによれば、ベルリオーズが影響を受けた画家はジョン・マーティンであった。マーティンは建築的もしくは劇的パノラマや大惨事の幻視を描いた画家で、彼の作品は栄華と豪奢と罪悪の都市であったバビロン的なイメージに満ちている。数々の珍しい打楽器や新しい楽器が導入され、増強されたベルリオーズの巨大なオーケストラはまさにマーティン的な大変動の印象を与える。
「オーケストラによって生み出される無数の楽器の組合わせの中に、調和と色彩の豊さならびに多様性、それからもちろん、いかなる芸術表現形式にも見られないような文化の富裕さが見出されよう。……休息しているときオーケストラは微睡んでいる大海原を思わせ、興奮しているときはさながら熱帯の嵐である。ときには爆発することもあるが、そういうときのオーケストラは火山そのものである。オーケストラの奥深くには原生林のざわめきと謎めかしい音が隠されている。場合によっては勝利を喜ぶ人、はたまた悲しみに打ちひしがれた人の激しい感情表出が聞かれる。沈黙は恐怖心を惹き起こす。またオーケストラの圧倒的なクレッシェンドがますます激しい叫び声をあげ、めらめらと燃え上がる炎の中にすべてを呑み込むのを目にすると、いかなる反逆者といえども身震いを禁じ得ないだろう」
→ロベルト・シューマン「音楽と音楽家」(岩波文庫)
→パウル・ベッカー「西洋音楽史」(新潮文庫)
→トマス・ディ・クインシー「阿片常用者の告白」(岩波文庫)
→エドワード・ロックスパイザー「絵画と音楽」(白水社)
→田村和紀夫/鳴海史生「音楽史17の視座」(音楽の友社)
Symphonie fantastique, Op. 14
John Eliot Gardiner
ORCHESTRE REVOLUTIONNAIRE ET ROMANTIQUE
ルイ=エクトール・ベルリオーズ(1803-1869)はフランスのグルノーブル近郊にあるラ・コート・サン・タンドレに生まれた。文化的な環境に育ち、幼少の頃から古典文学や音楽に親しんだ。父親は開業医で、息子にも医者になって欲しいと願ったため、ベルリオーズは大学で医学を学んだが、長くは続かなかった。オペラや演劇に熱中し、音楽への思いを断ち切れなかった彼はパリ音楽院で作曲を勉強、ローマ大賞を1830年に受賞し、ローマへ留学した。女優ハリエット・スミッソンへの狂おしいまでの想いやマリー・モークとの婚約が破談になったりといったこの時期の恋愛体験は、ベルリオーズの創作の源泉となった。
ベルリオーズの音楽はパリではあまり歓迎されなかった。数々の興行の失敗で借金もかさみ、生活の糧を得るために彼は新聞や雑誌に音楽批評を書くようになったが、音楽批評家としての活動は30年あまり続いた。1840年頃になると、イギリスやドイツでは指揮者としての名声を得たが、パリで認められたのは晩年になってからで、フランス学士院の会員に選ばれたのは1856年のことであった。
ロベルト・シューマンは「ベルリオーズの交響曲」という評論で次のように書いた。
「しかし、果たして器楽曲に思想や事件をどの程度まで叙述できるか、という難問については、多くの人があまりむずかしく考えている。もちろん作曲家は何かを表現したり、記述したり、描写したりしようと、あらかじめ腹に一物あって、ペンと紙を用意するものと信じたら間違いであるが、さればといって、外部からの偶然の影響や印象をあまり軽視するのもよくない。無意識のうちに、音響的印象のかたわらに観念が働き、耳とならんで眼が動くことはよくあることで、この常に働いている器官は、音響のさなかにいて、ある種の輪郭を固めてゆき、その輪郭が音楽の進むにつれて次第に凝縮して、判然たる形象を形成するにいたることはありうることだ。音響がそれと共に生まれた思想や形像と親近な要素をたくさん含んでいればいるほど、また作品がより詩的な、または造形的なものを表現していればいるほど、また一般にその音楽家がより幻想的に、より敏感に把握していればいるほど、その作品は、ますます人の心を高めたり、引きつけたりする」
ベルリオーズの代表作「幻想交響曲」はいわゆる標題音楽を確立した作品として知られている。ロマン主義の時代は文学が楽想の源泉となるなど、音楽外の概念に基づいて音楽がつくられた時代であったが、これは古典主義的なソナタ形式を解体した後の形式原理として音楽外的なテクストに依拠するというものであり、ピアノ小品などの警句的で凝縮された作品が数多く作られたが、ベルリオーズは交響曲というジャンルにこうした原理を適用し、楽章間の紐帯として固定楽想を用いた。これはのちにワーグナーの楽劇におけるライトモチーフへと発展した。
「幻想交響曲」はすべての楽章に標題がつけられ、阿片をのみすぎた若い芸術家が奇妙でグロテスクな一連の夢を見るというベルリオーズ自身によるプログラムがあり、器楽のドラマとして構成された。そこにはトマス・ディ・クインシーの「阿片常用者の告白」からの影響が見られる。ディ・クインシーによれば、阿片をのむことで「空間の観念と時間の観念とが、両方とも強く影響され、建物とか風景と云つたやうな物が、肉眼で見るのが困難なほど、廣大な大いさで示され、空間は膨張して、名状し難い無限の範囲まで拡大され」るし、また、ボードレールによれば「五感が互いに影響を与えあい、音は色彩を帯び、色彩には音楽が生まれ、メロディーやハーモニーは算術的機械に変貌する」のだそうだ。
ベルリオーズの音楽は、当時としてはあまりに衝動的でグロテスクなものであり、常軌を逸したものであった。彼は自己の情熱的で衝動的で誇大妄想的な性質をドラマティックな管弦楽に投影した。これはベートーヴェンの後期のように抽象的・普遍的な観念ではなく、具体的な対象を持つ標題的な観念であり、個人的・主観的な内的な経験の表現であった。この人間的な感情の表現を際限なく拡大していこうとする荒れ狂った音楽は、色彩に満ちた管弦楽の技法とともに、後期ロマン派のワーグナーやマーラー、あるいはリムスキー=コルサコフやチャイコフスキーといったロシアの音楽家に多大な影響を与えた。
ベルリオーズは「音楽家では全然ない――絵画の手法を使っている」と評され、自身も「音楽における楽器法は絵画における色彩法に相当する」といった記述を残しているが、実際のところ、ベルリオーズは当時の画家や色彩理論にはほとんど関心がなかったと言われている。音楽と絵画に共通する法則については、「絵画の音楽」を志向したドラクロワが、次のように示している。
「音楽におけるハーモニーは和音形成のみから成るのではなく、和音の関係、すなわちその論理的な進行や和音の聴覚的反照とでも言うべきものから成っているのです。ところで、絵画も同じ法則に則っています。あの青いクッションとこちらの赤いカーペットを例にとりましょう。この二つを並べてみるのです。そうすると、二つの色が接するところで両者がたがいに奪い合うのがお分かりでしょう。赤は青みを帯び、青にはうっすらと赤味がかかり、まん中にすみれ色が生じます。絵を極彩色で満たしたっていいのです。そうした極彩色を結びつける反照がありさえすれば、趣味が悪いというそしりを免れることができるのです」
絵画と音楽の相互にある影響関係については、例えばニコラ・プッサンが旋法の原理を絵画に適用したように、「ある感情に基づく気分を伝達するのに、描かれた人物の身ぶりによる表現ではなく、絵画の様式そのものによっても、つまり抽象的な方法によっても」可能であるとして、プッサンは19世紀のドラクロワとほぼ同じ考えを17世紀に主張していた。
ロックスパイザーによれば、ベルリオーズが影響を受けた画家はジョン・マーティンであった。マーティンは建築的もしくは劇的パノラマや大惨事の幻視を描いた画家で、彼の作品は栄華と豪奢と罪悪の都市であったバビロン的なイメージに満ちている。数々の珍しい打楽器や新しい楽器が導入され、増強されたベルリオーズの巨大なオーケストラはまさにマーティン的な大変動の印象を与える。
「オーケストラによって生み出される無数の楽器の組合わせの中に、調和と色彩の豊さならびに多様性、それからもちろん、いかなる芸術表現形式にも見られないような文化の富裕さが見出されよう。……休息しているときオーケストラは微睡んでいる大海原を思わせ、興奮しているときはさながら熱帯の嵐である。ときには爆発することもあるが、そういうときのオーケストラは火山そのものである。オーケストラの奥深くには原生林のざわめきと謎めかしい音が隠されている。場合によっては勝利を喜ぶ人、はたまた悲しみに打ちひしがれた人の激しい感情表出が聞かれる。沈黙は恐怖心を惹き起こす。またオーケストラの圧倒的なクレッシェンドがますます激しい叫び声をあげ、めらめらと燃え上がる炎の中にすべてを呑み込むのを目にすると、いかなる反逆者といえども身震いを禁じ得ないだろう」
→ロベルト・シューマン「音楽と音楽家」(岩波文庫)
→パウル・ベッカー「西洋音楽史」(新潮文庫)
→トマス・ディ・クインシー「阿片常用者の告白」(岩波文庫)
→エドワード・ロックスパイザー「絵画と音楽」(白水社)
→田村和紀夫/鳴海史生「音楽史17の視座」(音楽の友社)