LOUIS SPOHR
The Four Double Quartets
ACADEMY OF ST MARTIN-IN-THE FIELDS CHAMBER ENSEMBLE
ルイ・シュポーア(1784-1859)はブラウンシュヴィックに生まれた。幼少期からヴァイオリンの才能を示し、15歳で宮廷楽団に入った。1804年にライプツィヒでおこなった演奏会が絶賛され、ヴァイオリンの名手として知られるようになった。1805年から1812年までゴータの宮廷楽長を務め、そのときに知り合ったハープ奏者の妻と一緒に演奏旅行をし、イタリア、イギリス、パリを回った。1813年から1815年はウィーン劇場の指揮者、1817年から1819年はフランクフルト歌劇場の音楽監督、1822年から1859年までカッセルの宮廷楽長を務めた。
シュポーアは指揮者として同時代の音楽を積極的に紹介し、ワーグナーの擁護者として「さまよえるオランダ人」や「タンホイザー」を上演したり、メンデルスゾーンとともに、バッハ・リヴァイヴァルの一翼を担ったりした。また、ヴァイオリンの教師としても活動し、ヨーロッパ中で200人を越える生徒を教えた。ベートーヴェンとも親交があり、「交響曲第7番」や「戦争交響曲」の初演にも参加したが、「大フーガ」や「交響曲第9番」のような後期の様式には批判的であった。
その他、シュポーアはヴァイオリンのチンレスト(あご当て)の発明者として、あるいは指揮棒を初めて使用した指揮者としても知られている。
シュポーアの残した楽曲は150曲あまりあるが、ヴァイオリンの名手だっただけに、ヴァイオリンのための楽曲が多い。また、変わった編成を試みたものが多く、二つのオーケストラのための交響曲や二重合唱のためのミサ曲、四手のピアノ伴奏による歌曲、弦楽四重奏のための協奏曲などがあるが、このような編成を試みるきっかけとなったものに複弦楽四重奏(ダブル・カルテット)があった。二つのカルテットを配置するこの編成は、ユニゾンで演奏すれば通常のカルテットの2倍の音量が得られるとともに、対等に独立し、また協調しながらのインタープレイによる効果は聴衆に強い印象を与えることができる。最初の複弦楽四重奏曲では、第1カルテットがコンチェルティーノで第2カルテットは伴奏的な役割を持っていたが、第3番や第4番では、ワイドレンジのメロディーを風に乗って運ばれていくように楽器から楽器へと受け渡していったり、互いのカルテットが呼び交わしあうエコー効果を用いたり、8つの楽器間の音の動きが面白いものとなっているが、シュポーアのこうした試みもまた、大音量の実現と聴衆を驚愕させる効果を狙ったものであったと言えるだろう。
さかのぼればルネサンス末期のヴェネツィア楽派の「複合唱形式」も、大音量と立体的な音響効果を狙ったものであったし、ジャズではオーネット・コールマンが混沌から秩序を生み出そうと集団的即興演奏をしたり、ロックではキング・クリムゾンがポリリズムと相互の音のずれが生み出すダイナミズムを追求したりという場合に、ダブル編成を試みているのが興味深いところである。
The Four Double Quartets
ACADEMY OF ST MARTIN-IN-THE FIELDS CHAMBER ENSEMBLE
ルイ・シュポーア(1784-1859)はブラウンシュヴィックに生まれた。幼少期からヴァイオリンの才能を示し、15歳で宮廷楽団に入った。1804年にライプツィヒでおこなった演奏会が絶賛され、ヴァイオリンの名手として知られるようになった。1805年から1812年までゴータの宮廷楽長を務め、そのときに知り合ったハープ奏者の妻と一緒に演奏旅行をし、イタリア、イギリス、パリを回った。1813年から1815年はウィーン劇場の指揮者、1817年から1819年はフランクフルト歌劇場の音楽監督、1822年から1859年までカッセルの宮廷楽長を務めた。
シュポーアは指揮者として同時代の音楽を積極的に紹介し、ワーグナーの擁護者として「さまよえるオランダ人」や「タンホイザー」を上演したり、メンデルスゾーンとともに、バッハ・リヴァイヴァルの一翼を担ったりした。また、ヴァイオリンの教師としても活動し、ヨーロッパ中で200人を越える生徒を教えた。ベートーヴェンとも親交があり、「交響曲第7番」や「戦争交響曲」の初演にも参加したが、「大フーガ」や「交響曲第9番」のような後期の様式には批判的であった。
その他、シュポーアはヴァイオリンのチンレスト(あご当て)の発明者として、あるいは指揮棒を初めて使用した指揮者としても知られている。
シュポーアの残した楽曲は150曲あまりあるが、ヴァイオリンの名手だっただけに、ヴァイオリンのための楽曲が多い。また、変わった編成を試みたものが多く、二つのオーケストラのための交響曲や二重合唱のためのミサ曲、四手のピアノ伴奏による歌曲、弦楽四重奏のための協奏曲などがあるが、このような編成を試みるきっかけとなったものに複弦楽四重奏(ダブル・カルテット)があった。二つのカルテットを配置するこの編成は、ユニゾンで演奏すれば通常のカルテットの2倍の音量が得られるとともに、対等に独立し、また協調しながらのインタープレイによる効果は聴衆に強い印象を与えることができる。最初の複弦楽四重奏曲では、第1カルテットがコンチェルティーノで第2カルテットは伴奏的な役割を持っていたが、第3番や第4番では、ワイドレンジのメロディーを風に乗って運ばれていくように楽器から楽器へと受け渡していったり、互いのカルテットが呼び交わしあうエコー効果を用いたり、8つの楽器間の音の動きが面白いものとなっているが、シュポーアのこうした試みもまた、大音量の実現と聴衆を驚愕させる効果を狙ったものであったと言えるだろう。
さかのぼればルネサンス末期のヴェネツィア楽派の「複合唱形式」も、大音量と立体的な音響効果を狙ったものであったし、ジャズではオーネット・コールマンが混沌から秩序を生み出そうと集団的即興演奏をしたり、ロックではキング・クリムゾンがポリリズムと相互の音のずれが生み出すダイナミズムを追求したりという場合に、ダブル編成を試みているのが興味深いところである。