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ベートーヴェン

2006-05-09 01:55:39 | 音楽史
BeethoLUDWIG VAN BEETHOVEN
Die spaten Streichquartette
 
 
LASALLE QUARTET

 
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(1770-1827)は、宮廷楽士の息子としてボンに生まれた。父親から音楽教育を受けたが、それは体系的なものではなく、ベートーヴェンはほぼ自分の努力で演奏法や作曲法を身につけ、12歳の頃から宮廷に音楽家として雇われた。その後ウィーンに行き、ハイドンやサリエリ、アルブレヒツベルガーに師事し、作曲や対位法を学び、1792年には、即興演奏に秀でたピアニストとして頭角を現すようになった。彼は作品の印税や演奏料などで経済的に自立し、安定した生活を送ることができたが、1798年頃から聴覚を失い始め、1802年に「ハイリゲンシュタットの遺書」として有名な手紙を弟のカールにあてて書いた。この手紙には、耳が聞こえなくなったこと、自殺を考えたこと、しかし芸術が自分を救ったことが記されていたが、この苦悩をのりこえ、後に「傑作の森」と呼ばれる、充実した時期を迎えることとなった。
芸術家としての自己を確立し揺るぎないものとした後、ベートーヴェンは深刻なスランプに陥った。この時期は求婚を繰り返しては拒絶され、また、甥であるカールの養育権を訴訟により勝ち取ったものの、そのカールが未遂に終わったものの、自殺を図ったため母親のもとに返されたという、いわゆる「カール事件」など、辛いできごとが続くが、これらのできごとものりこえて、ベートーヴェンは晩年の比類なき創作へ至ったのであった。

ベートーヴェンの登場によって、音楽は音楽自身のために演奏され、聴かれるようになり、音楽の観念的な力は新しい公共性を生んだ。
ベートーヴェンの音楽の特徴はハイドンによって確立された器楽の形式(ソナタ形式)をさらに徹底し、力強い表現を可能にしたところにある。急激な爆発、ダイナミズム、コントラストの強調などは、ベートーヴェンの情熱的な性格によるものというだけでなく、和声的器楽の形式独自の有機的発展の過程でもある。音が緊密になったことで感情の表現も強烈になり、観念も明瞭なものとなる。ここにおいて音楽は漠然とした音の世界から純粋な観念の芸術となったのである。パウル・ベッカーは次のように記す。

「和声的器楽のみがかかる観念的芸術の媒体となり得たかも理解されるであろう。生理的な器官と男女の声の差異と言葉とに固く制約されている声楽では決してその目的に沿うことは出来なかった。性の差別も、言葉の束縛も受けない楽器の音はそれ故抽象的な表現に適し、肉声の達しえない劇的な表現の多様な自由を持っていたのである。」

ベートーヴェンは凡庸な主題を徹底した主題労作によって飽くことなく研磨し、組み合わせ、積み上げ、完成する。主題労作は展開部において、提示された二つの対立的な主題を媒介するが、ここに近代市民社会において成立した「労働」概念との同時代性を見たのはアドルノである。彼はベートーヴェンの音楽を「ヘーゲル哲学そのものである」といった。

ヘーゲルによれば「人間の労働は、個々人が自分の欲求のためにおこなう労働でありながら、同時に普遍的な、観念的な労働でもある」ということだが、ヘーゲル哲学における労働について今村仁司は次のように記す。

「欲望は動物的欲望と人間的欲望に分けられる。動物的欲望は、欲望-消費(享受)の直接性にとどまり、永久に物に囚われた「意識」である。人間の人間たるゆえんは、欲望の全面的実現を断念し、享受を先へとのばすところにある。断念された欲望、享受を間接的にめざす欲望、これが労働となる。労働は、欲望-享受の直接性を切断し、享受に向けての迂回生産をたどることによって動物から人間への飛躍をとげる。労働は対象(自然)へ向けての否定的=創造的行動であり、イエナのヘーゲルによれば、「此岸的な自己-物-化」、「自己-対象-化」である。」

このような欲望-労働は、労働によって作品をつくり、作品のなかに自己の存在をみるということであるが、労働はさらに、それを通して他人によって承認されたいという欲望へと純化される。ヘーゲルの労働は、「経済学でいう物的活動としての労働ではなく、このような承認を実現する精神活動」であり、この承認は、他者との「戦争状態を通過してこそ真実に実現できる」ものなのである。真の相互承認へと至る道筋とは、戦争状態を通ること、生死を賭けた闘争をすること、絶対的な不幸の境遇におちることであるが、この「承認を求める闘争」はヘーゲルによれば「絶対的矛盾」であるという。なぜならそれは「他者の死をめざしつつ、私は私自身を死にさらし、私自身の生命を賭ける」からである。

「人間的存在は組織された社会に帰属する必要がある。それぞれの個別的全体性の承認は、絶対的意識としての国民精神に依存する。全体のなかに真理があるように、個体の真の承認は国民という全体性から由来するはずである。別の形で言えば、国家の中で、国家によって、個々人は市民になりつつ、自分の普遍的価値を承認してもらうことができる。この段階で本当の相互承認が実現する。」

このような「労働」概念からベートーヴェンの音楽を見れば、聴覚を失うという、音楽家としての危機的状況にあった「ハイリゲンシュタットの遺書」を契機として、ベートーヴェンが異常とも思える集中力によって次々と傑作を生み出していったのは、音楽家としての自己の「承認を求めての闘争」であったということができるだろう。そして、彼の音楽はこのような闘争状態を止揚し、ついに新たな公共性を獲得するに至ったのである。

→パウル・ベッカー「西洋音楽史」(新潮文庫)
→今村仁司「暴力のオントロギー」(勁草書房)
→田村和紀夫/鳴海史生「音楽史17の視座」(音楽之友社)
→岡田暁生「西洋音楽史」(中公新書)