楽しく愉快な人生を

ー いつも模索しながら ー

「敗訴」だというのに、まだ

2014年11月20日 | 日記

20日(木)は、暖かな小春日和になりました。ここ数日寒かったので、寒さ対策にダウンコートを着た人たちも、みな脱いでいました。

今、ある原発建設に関し「活断層」の上に設備を建設するか否か、役員会、委員会等を巻き込んだ論争が行われています。豊中市の私の家の数百m離れた低い丘のような山斜面に、上町断層が通っているようです。そこへ新しいマンションの計画(地上12階、地下2階)ができたのは大よそ5年ほど前でした。当時のN新聞は、建設に反対する周辺住民側を支援したのでしょうか、次のような記事でした。「敷地内には活断層がある。その上にマンションを建てると、地震時に倒壊する恐れがある――。大阪府豊中市で工事中のマンションを巡って、周辺住民29人が8月23日(2011年)、建築の差し止めを求めて大阪地裁に提訴した」。というものでした。

しかし提訴の結果、この反対派(周辺マンション、個別住宅など)は ”敗訴” となりました。理由は、(詳しいことは分りませんが)活断層で必ず地震がおきる確証がないこと と すでにその近所に建設認可を得たマンションや住居等があること、だと聞きました。その後、新しいマンションは順調に建設され、完成し現在入居中のはずです。今日通りかかると、反対派住宅にはまだ当時のくくりつけ反対メッセージが張り付けてありました(写真)。もう敗訴になってから2年にはなると思います。もうそうなると、この反対のお家は、一種の「執念」でメッセージ張り付けているのでしょう。でも、このお家や、反対を言い出したマンションなど自身も、地震があれば影響のあるその活断層の上 とか すぐ側というのも、おかしな話になりますね。何か変!?


寒くなった散歩の途中で

2014年11月19日 | 日記

19日(水)は好天で、寒いだけでした。ダウンコートで散歩をしました。暖房機器を使うお家もあったのではないでしょうか。

寒い気温を感じながら散歩をしました。感じてきたことを羅列しますと

1)東豊中の近くで、イチョウの木が黄色や緑で美しいです(上の写真)。ニュースで「大阪のイチョウ調査の原木」が大阪城公園にあるといいます。てっきり私は毎年のイチョウの黄色化する時期を時系列的に記録するためにご苦労様だと思うだけでした。やはり調べてみると、奥の深い訳がありました。イチョウ(銀杏、公孫樹、鴨脚樹、学名Ginkgo biloba)は、裸子植物の1種です。裸子植物門イチョウ綱の中で唯一の現存している種であり、そのため生きた化石と呼ばれるそうです。でも大阪城の原木とやらは、なぜどういう理由で決まったのでしょう。場所的に調査員には都合がいいの?

2)ある歩道でバイクが通っていました。どうも新聞夕刊配達員のようでした。あるマンションへ配達し、次のマンションへ移動し配達するため(距離もすぐだし、人影も少ないし)歩道を運転したのでしょう。私が見たのは、中年女性の運転手でした。ここは歩道だよ、というと「はい」とバイクを止めました。数年前、韓国ソウルの東大門の市場で、歩道を乗り回す運転手がいました。誇り高き韓国人がこういうマナー(ルール遵守)では、困るなと思ったものです。とんでもない、日本でももっともらしいことを記述する新聞の関係者で、末端ではなぜかルールを守らない配達人がいるのだということも指摘したいです。(新聞社名は名誉のため撮影していません、写真は現場歩道だけを)

3)ある党の市会議員のポスター立て看板が置いてありました。そのすぐ側の鉄柱には、下の方に「犬のオシッコ 禁止 」の表示がありました。これを見ると、犬のおしっこの看板の方が時期的に先にあったと思われます。いくら知名度を上げたり選挙に勝つために場所を選ばない、というもののちょっと「それはないぜ」と思いました。お犬様のオシッコだらけのところです。所かまわず目立つ所に看板を置く無神経さに驚きました。もちろんご本人の所業とは思いませんが、選挙対策スタッフももう少し大人のセンスのある人がやるべきでしょうか。

        お粗末な場所に


”バカまじめ”とは自分が言う言葉かな?

2014年11月18日 | 日記

18日(火)は、朝から室温12℃くらいの冷気で、起き難い感じでした。行き先により暖房が入れてあるところもありました。一日中寒い感じ。

郵便局へ立ち寄ってみると、年末商戦、年賀はがきやお歳暮ゆうパックなどであちらこちらに宣伝ポスターが貼ってありました。その中で、「バカまじめ」というゆうパックの貼り紙に注目しました。バカ正直とかクソまじめとかいう言葉は、身内が謙遜しながら他人に話す貶しながら本当は〇〇だという言葉ではないかと思いました。普通は自分が自分で「バカまじめ」だとは言わないのではないのか、と思います。生真面目や愚直というのは、極めて物事に対して真摯で、それゆえに融通が利かない人物のことを本人以外(しかし他人は言わないので、近親者か)が言う言葉だと思ってきました。郵便局(自分が自分で表現している)のポスターは自分以外(傍系の会社か?)の者を言っているのでしょうか。私の思い違いで自分のことを自分で「バカまじめ」という事があるのでしょうか。生真面目に近い言葉です。いくらか言いながら誇りに近い印象が入ってきて、自分が他に言うのはどうかと思いますが。特に終わりに”まじめ”があるのは、自慢している印象さえあります。賛否あれば、ご意見拝聴したいもの。


きっと「凝り屋」?庭いっぱいに菊が

2014年11月17日 | 日記

17日(月)は、好天で暖かい感じでしたが、お昼過ぎから急に寒さが出てきました。暖波と寒波が入り混じったような日でした。

あるお家の前庭と空いている?ガレージの中に、菊を咲かせているのが見えました。それも一つや二つではなく、植木鉢数十はあるでしょう。もう菊も季節的に終わりのころです。でもみな元気に咲いています。きっと相当な菊のマニア(凝り屋)の手入れだと思われます。運転を止めたのか、歳で運転できなくなったか、ガレージが空いていなければ、鉢を置くところに困ったでしょう。で、”凝る”という言葉はそういえば、マニアばかりでなく、肩が凝るにも使います。何気なく使っていますが、改めて凝るの意味を調べてみると、【 凝 】 [音] ギョウ

かたまる。 「 凝血凝結凝固凝脂凝集凝縮
動かなくなる。 「 凝然凝滞
感覚意識集中する。こらす。 「 凝議凝視凝念
 
等があります。まあ、固まってそれにばかりなる、という言葉ですね。菊に凝る人は、一心に菊を植え、育成することを一途にやる意味ですね。ある趣味に凝り固まるという事でしょう。嵌り込む、に近いでしょうか。何故か夢中になるという人は多いです。肩に血が固まる「凝」と結局は同じ語意になりますね。私は納得。
 
 

瀬戸内の過疎化の町を訪れて

2014年11月16日 | 日記

16日(日)は朝から好天でしたが、昼ごろからは急速に曇りだし、夕方には雨も心配なお天気でした。

急な親戚からの要請で、瀬戸内海にある「しまなみ海道」の中心、尾道市因島田熊町(旧 因島市田熊町)へ日帰りの日程で出かけました。こちら大阪組は男性二人です。私は故郷を訪れるのは数年前に墓参りに来て以来ですから久し振りでした。「福山」で因島行き直行バスに乗り換え、秋の色の海岸を実って濃い黄色になってきたミカンの色、青い海の色、山並みのカエデ?や桜?等の朱色など、色彩を楽しみながら約一時間のバスの旅をしました。親戚での話が終わった昼過ぎ、同じ道をバスで返ってきました。でも親戚での話で私はいくらか暗澹たる気持ちでした。この辺は、ますます産業が減り、過疎化がすすみ人口が低下、山間の田畑はほとんどが農家は老人ばかりのため、耕すこともできず荒れ放題で、病気の人には病院も少なく、また子どもが少ないので学校も併合併合などが多くなり、多少はあった商店街も閉じる所が至るところにあるという実態を知りました。どこからか移ってきたイノシシなどがどんどん増えて、あちこちで農作物被害が多いそうです。暗い気持ちでバスの窓から眺めていると、丁度しまなみ海道「生口大橋」の”四国向け自動車入り口”の横を通りました(写真)。TV等によれば、尾道 → 今治間 のしまなみ海道は最近いろいろなイヴェントもあるし、ますます自動車や自転車で通る人は多くなっているそうです。でも途中で下の町に降りてくる人は少なく通過客ばかりだそうで、その増えた人たちの経済効果はあまりないのが実態のようです。橋の下から大きなしまなみ海道の鉄橋裏を見上げて、現代的な橋の上側の状況と、その下側の過疎化が進みイノシシが突進してくるような途中の老齢化田舎町の実態は、大きなギャップがあるのだと感じました。

 


大阪・地下鉄千日前線”なんば”駅で

2014年11月15日 | 日記

15日(土)は快晴のお天気でした。大阪は全般的に好いお天気、お昼は暖かでした。朝夕は、秋の「暮」らしく冷えます。

毎週土曜日、私は大阪地下鉄の御堂筋線からなんば駅で千日前線に乗り換え、谷町9丁目まで出かけます。最近数か月前に、千日前線プラットフォームにも目が不自由な人のため、地下鉄電車が来て停車すると開く「固定式開閉柵」が設けられました(写真)。御堂筋線は、なぜか設置が遅れています。まだ設置されていません。先般、(昨年?)、ある地下鉄駅で目の不自由な人が地下鉄フォームから誤って転落し、犠牲になった事故がありました。早速対応策がなされているようです。最も乗降客が多い御堂筋線は、柵工事の支障になる問題が多いのか工事の着手はまだです。早手回しで出来上がった谷町線天下茶屋駅のお客アンケート結果ではお客はまずまず好意的です。地下鉄側発表の結果では:

ホーム柵に対する評価(IE)

私は地下鉄を待ちながら思わぬ副産物があることに気づきました。乗客のマナーが何となく改善されています。大阪の乗客は以前、乗降口の表示がある所に立たず、横の方に立っていて、地下鉄が止まると横からいきなり割り込む人が多かったのです。それがこの柵のお陰で、きちんと並ぶように思われます。大阪市地下鉄当局もそこまでの改善効果があると思っていなかったと思います。いつもの良心的ユーザーは気付いているはずです。今日、私は思わぬ副産物やな~と思いました。結構や。

 

 

 


マスクをかける人が急に増えた

2014年11月14日 | 日記

14日(金)は、青空の広がる好いお天気でしたが、朝方は冷え込んで今年はじめて手袋をしました。お昼からは、暖かでした。

最近、急にマスクをする人が増えています。電車、バスでよくお見かけします。冬が近づくと、ウイールス性の流感等もありマスクで防衛をされる気持ちは分ります。また、花粉やPM2.5とかでいろいろ対策をする人が多いのでしょう。我々昭和族の人間はそういううアレルギー系の知識も薄いうえ、自然のまま育ったケースが多く、大気も汚染していなかった時代だったので、どちらかというと鈍感無知な人が多いです。先日、喫茶店でマスクした若い女性が一人で来てコーヒーを飲もうとし、口までコーヒーカップを持ち上げ、いきなりマスクを顎にずらし架けたまま、飲む人がいました。結構込んだ喫茶店で、人からのウイールスに注意し、防衛する気なら、まず喫茶店みたいな人の多いところに入らない方が賢明ではと思いました。デパートやスーパーでの買い物もお止めになった方が安全でしょう。最近のマスクには、高次元マスクがあり精度の高いフィルターで微小な粒子のカットが可能となり(2.5μ~4.5μmクラスの黄砂や花粉はもちろんカットできる)だけでなく、0.1μmクラスのウイールスにも対応できるといいます。私などそういう高度なマスクは買った経験がありません。かなり値段も高いのでしょう。電車の中とか、人ごみの中でマスクをするだけでなく、まず人の多い所へ行かないこと、行かねばならない時には、飲み食いしてマスクを外さない心得などが大切だと感じます。人並みの生活スタイルを維持したい人が、自分の都合で、マスクをかけたり、外したりするのは、あまり効果が上がらないのではないのでしょうか。敏感に高価なマスクを買い込んで、対策される皆さん、いざという時に合せてマスクはかけっ放しにしておくことをお勧めします。外出後、ご帰宅時の付着粉じん対策も非常に大事だそうですからお気をつけてください。まあ廉価なマスクを、冬のファッションとか、顔隠しにしている人は、どうぞご随意にーー。

 


何年ぶりかに「三浦朱門」の本を読んで

2014年11月13日 | 日記

13日(木)は好天でしたが、寒さに驚きました。朝はいくらか冷気は感じましたが、まだブレザーだけで外出しました。昼からはダウンコートを着ました。

曽野綾子の夫で小説家の元文化庁長官をした 三浦朱門 の著書を私はあまり読んだことはありませんでした。どちらかと言うと本屋などでも曽野綾子の本を見かけたり、買い込むことが多かったです。3年ほど前の彼の著書で 「老年の品格」中古 をネット販売で買ってみました。もうお歳は88歳くらいになりますので、85歳の時の著書でしょう。枯れた含みのある文章はいろいろと教えられる個所があります。この本の中でも奥方の曽野綾子を「根性が悪い女」と(きっと本気でないでしょうが)批判しながら、その生き方や著書を、もの書きとして十分認め、尊敬のまなざしで見つめる一面も出てきます。彼の品格論で行くと老人になって心に余裕のない真面目なだけで「ユーモア」がないような人間になるな、は何となく反省をさせられました。彼の持論でしょうか。似た名前の曽野綾子の「老いの才覚」、三浦朱門・曽野綾子共著の「夫婦のルール」などの著書類もきっと(まだ読んでいませんが)伏線で変わらぬ精神の内容になっているのではないかと、想像しています。夫、88歳。妻、82歳。いまよく知られる作家夫婦が、60年間の結婚生活をもとに明かす夫婦関係、そして88歳の老境から見る人生の極意とは、を追求するいい本に巡り合いました。自称、禿げ デブ ステテコ の時代に壮年時代を過ごした世代は今こそ何が近代文化であり、何が大事な我々の伝統文化なのか、問うています。我々と感覚があまり変わらないのだなと、及ばずながらその心を字を通して熟読しています。


「和のこころ」と言えば幅が広いよ

2014年11月12日 | 日記

12日(水)はお天気がまずまずの暖かい日でした。近所の散歩にはとてもいいと思いました。明日から気温が少々下がる予測ですので、今日は歩く人が多かったです。

あるお店の日ざしに「和のこころ」というのがありました。和と言うからには古い日本の伝統を抱いた色や心や様式などが含まれると思います。この店は最近まで、ふすま、畳、等の張替の仕事をやっていたはずです。近辺が洋風の住宅が主となり、マンション等では全くお呼びでない状況と思います。この地域は今まであった畳屋やふすま屋がどんどん店仕舞してあちらこちらでなくなっているようです。一般に「和のこころ」と言えば、茶道・琴・お着物・華道など、和に関する趣味をお持ちの方全般に関するものを言います。そういうお客を対象にするはずです。これはちょっと範囲が広すぎるのではないでしょうか。このお店も茶碗とか器の類は置いてあるのでしょうが着物(和服)、琴などについては、このお店ではやれないでしょう。さらに、このお店の表示では近辺のお客対応でも、電話はphoneと表しているし、フリーダイヤルと書いてあるし、「こころ」は近くの近代型お客に合わせているように思いました。看板や日ざしのこころは和風とはいかないように思えます。ちょっと和の心をお店の名にするには、いくらなんでも幅が広すぎるのではないのでしょうか。それにしても、板間がフローリングになり、絨毯がカーペットになる等、横文字やカタカナ名を使うと、お客が着くのでしょうか。残念ながら「和のこころ」は、お客の心の和離れに思いを馳せる必要がありそうですね。さしずめ 和魂洋(才)商 で行きましょう。


「𡈽」の意味と読み方が分からない

2014年11月11日 | 日記

11日(火)は、曇ったり晴れたりのお天気でした。ある面ではムシムシと暑い感じもあり、早めにダウンコートを着たり、スカーフを巻いた人は、午後は脱いでいました。

大阪市立難波生涯学習センター(市立の公民館や〇〇会館と同じで有料貸室も行う)で漢字を含む日本語支援のボランティアを済ませ、帰る途中に別室を借りている”あるグループ”の部屋側を通りました。何気なく見ると「𡈽の会」とありました。土は子どもの時から馴染みのある字です。でもそれに点を打って「𡈽」となると読み方も意味もわかりません。恥ずかしながら初めてです。何をする会なのかもわかりません。受付したセンター事務所に立ち寄って「𡈽」の読み方や意味を訊ねてみました。応対してくれた中年女子事務員は「あまり使わない字ですね。読み方は” つち ”だそうですよ。パソコン検索で字は出てきますが、その意味がわかりません。したがってどういう方たちの”会”なのか、分からないですね」、というご返事でした。通りかかったボランティア仲間の落語長屋の大家さん的な方に意味を訊くと、「うーん難しい字ですね。もしかして土鈴(どれい)のことかな」、でした。うちへ帰って辞書やパソコン検索で調べると結論的に

「つち、土壌、大地、領土、国土、故郷、地方の土地を測量する、吐瀉する、粘土、平地、土地神、墳墓、田畑、木の根、などの意味がある」という事でした。これではまだ漠然としていて釈然としませんが、そうかいな、と思っています。この名で会をしていた皆さんは何を会で話されているのか、分からないままです。残念。