楽しく愉快な人生を

ー いつも模索しながら ー

霊園で「山神家」墓石を見て

2014年11月10日 | 日記

10日(月)は、暖かな日でした。朝方はいくらかひんやりした感じでしたが、お昼からは”シャツいち”で済ませた人もいたでしょう。

霊園を通り過ぎる時、山神さんというお家の墓がありました。読み方はヤマガミさんなのか、サンジンさんなのかは分かりません。日本の人のほとんどは、山の神(ヤマノカミ)で覚え、そう使っているいると思います。読み方もヤマノカミになるケースが多いでしょう。日本では古くから山岳信仰等で山には不思議な魔力もあり、よく分からないことが多いことなどで、山には神が存在するのでは、と敬意を持って崇めてきたようです。いつのころはじまりかは分りませんが、うるさいけど、いないと困る自分の妻を謙遜して他に示す時、「ヤマノカミ」と呼ぶようになり、この語をさらに略して「カミサン」と言うようになったとのことです。近隣の中国には紀元前にも地方により”山の神”に類する仙人の伝説が残っているし、韓国で真偽のほどは分りませんが有史以前にいたといわれる檀君(だんくん)神話(支配者が1908年間生きて、山神になったという話)が残っていると聞きました。日本のヤマノカミは「女神」だったといいます。あるとき突然怒って手がつけられないという点では女神でいいのかも。でもお名前が、ヤマノカミさん の時にはお呼びしたりするのに少々言いにくいでしょうね。(山神さん、お名前を話題にしてすみません、お許しください


横断歩道の歩行で危うく!

2014年11月09日 | 日記

9日(日)は、雨になりました。久し振りにまとまった雨です。暫く好天ばかりだったので歓迎している人もいるでしょう。ひと雨ごとに寒くなります。

近くの図書館へ出かけ、市道を帰りつつありました。私は、運転経験もあるので、まあまあ交通ルールは常識的に守る方だと思っています。10m前後の横断歩道を渡る自動車も走る道があります(写真)。その横断歩道のすぐ横に駐車している車がありました。道路交通法で行くと、確か、横断歩道の5m範囲は駐停車禁止のはずです。この車は3m以内の駐車です。私は、この車の向こう側から横断歩道をこちらに渡って帰ってきます。それで、この車の前部の陰から(左側通行)の車が来ていないかと首を出し覗き見して、渡ろうとしました。その瞬間、わずか数十センチ前を、スピードをぜんぜん緩めない(多分6,70km/hくらいで)バン型の車が通り過ぎました。目の前、数十センチでスピードのある車に走り去られるとは、思いもよりませんでした。びっくりしました。ほんの瞬間でした。ちょっと覗いて見て助かったのです。危うく刎ねられるところでした。不法駐車の違反、その車を見ながら蔭から人の横断飛び出しを予測しないでスピードを緩めないバン、いずれの運転手たちも確率の高い事故惹起予備軍の人たちでしょうね。もうちょっとわが国では運転手の精神教育を行い「心のゆとり と ルールを守る美徳」ができないものかと思いました。本当に今日は危うかった。”命拾い”をしました。


「千里キャンドルロード」というイヴェント

2014年11月08日 | 日記

8日(土)は、昼間はまずまずのお天気でしたが、夕方から曇ってきて怪しくなる予報です。明日は少々雨を懸念しなければなりません。

たまたま吹田市・南千里公園へ出かけたところ、公園中が紙コップが並んだ行列でした。”千里キャンドルロード2014”とかいうイヴェントです。一部には団体やグループのマークやシンボル等が紙コップで作り上げられていました。そういえば、先日のシニアの会合でこのイヴェントのボランティア募集がありました。紙コップの中にろうそくを入れ、夕方火を点けて公園の道をろうそく明りで明るくするように作りましょう、というイヴェントです。どこかでやっていた真似でしょう。その近くにいたボランティア幹部のような人(中年女性)にイヴェントの意義を訊ねてみました。彼女胸張って曰く「今日が点灯の日。千里ニュータウンができて45年にもなります。吹田市10地区名称〇〇台と豊中市4地区名称千里〇町が今後も5年~10年と千里ニュータウンを一緒になって盛りたてていこうとするために計画しています」とのご返事でした。気持ちは分かるし、いいことで反対ではないです。でもーー

私の意見は、千里ニュータウンという名は(以前)開発した当時住宅公団の名付けたもの。もう実態はニュータウンとは言えない。老齢化が進んで、町も、居住者も高齢で、ニュータウンはすっかり変わりその周りにできている高層化したマンションやアパートを指すのでは?と思います。旧い千里ニュータウンに限るのはいくらか趣旨が違うのかも??住民もそちらの方が、ぐっと若い人の層です。貴方の言う5年~10年先には、もう高齢住民達は居なくなるでしょう。昔の住宅公団「千里ニュータウン」の盛り上がりでなく真の「新ニュータウン千里」か「ニューニュー千里」で考えないと実態が合わないのでは? というと、「ご意見ありがとうございます」しか言わず黙って頷いていました。今の千里居住者の多くは、こんなしゃれた名前のイヴェントよりも実質「ろうそく点灯イヴェント」位にした方がいいのではと思いました。

         皆さんで準備大童  白は紙コップ


暖かい立冬の日、古都を散策 その2

2014年11月08日 | 日記

8日(土)は曇天です。いくらか大阪は寒い感じです。昨日ブログの ー続きー です。

京都嵐山から「嵐電」(地の人はランデンといいます)ー京福電鉄嵐山本線で四条大宮まで出ました(上の写真)。久し振りの乗車でしたが狭い路線です。約30分。面白い駅名の途中駅で結構多くの利用者が乗降しました。四条をぶらぶらし(東に向かい)ました。烏丸通りに出、三条へ向けて歩き(北上し)ました。そこで、「蛸薬師通り」を見つけました。昔の京都の町で、普通の生活では海の蛸に縁はないでしょう。なぜそういう名前の薬師があるのか、好奇心が出て源を探りたくなり、途中の商店の人数人に尋ねても、通りの名の由縁を知りません。”蛸薬師さま”の場所は、やっと京極まで行って分かりました。受付にいた尼さんらしき人に名の由来を尋ねると印刷で書いた紙をいただきました。尋ねる人が多いのでしょう。それによると、昔、この寺にいた若い修行僧が母親の重病に、ほしがる蛸を「禁」(僧は買う事を禁止)を破って買い求め、それを見破られて仏に祈ったとのこと。するとあら不思議、仏が現れ母親の病気も威光で回復した、といいます。それが通りの名前の由来になっているのだそうです。養老の滝などよく似た話は、あちこちでもありますね。物理的な真偽はともかく、そういう信心が通りの名前になっていることは、古都らしいな、と感じました。いつものように寺町通りを四条河原町へ出て無事帰還しました。のんびりできました。  -おわりー

             通りの表示          蛸薬師さま前


暖かい立冬の日、古都を散策 その1

2014年11月07日 | 日記

7日(金)も、朝からお天気がよく、寒くもなくお出かけには絶好になりました。今日は、暦では立冬になりますが、冬の字が似合わない暖かさでした。

京都へ出かけてみました。いつも東山に近い方へ出かけるので、今回は観光客を覚悟して京都西の方向へ出てゆきました。午前11時頃に嵐山に着きました。もう相当の観光客です。到着後すぐ、写真を撮っている人にシャッターを依頼されました。韓国人の若いグループでした。外国人らしい人の多くは、欧米人と中国人でした。いま、円安で来日しやすい状況が分かります。ここ嵐山は他国にはない何かがあり、人気がいいのでしょう。渡月橋の近辺をなぜ「嵐山」というのか、疑問でした。この橋の上流が嵐峡と言いますから、それから来たのでないのでしょうか。またこの下の中の島を挟んで川の名が同じ川で、保津川 →  大堰川(おおいがわ) → 桂川と変わることも不思議でした。それぞれどこまでを言う名前なのか判明しません。この機会に調べてみると本当は、「桂川」が正式名称で、他は通称だ(何かと名前を自分流に付けたがった歴史でいろいろ言われた)そうです。この一帯の紅葉が知れ渡り国内各地からの観光客も多く、”もみじ祭り”に合せて嵐山へやってきた団体が多く、かなり込んでいました。京都嵐山を観賞するというよりも、行ってきたぜ、と言いたいのでしょうか、どちらかというとみやげ物売り場が賑やかでした。

          渡月橋のたもと        もみじ祭りの表札

          人力車も忙しい


今年も柿の枝先に残る実が

2014年11月06日 | 日記

6日(木)は、曇天から晴れになり、ちょっと寒さも感じましたが、暑くもない日でした。やや涼しい秋日和。

庭のあるお家では、今どこでも、柿が熟しています。昔の農家や郊外の別荘だったお家の周りに広い庭が持てた家は、柿の木も植えたのでしょう。青い柿の実が秋には、朱色の美しい実になり熟れ、食しては日本独特の味を味わせてくれる美と味わいの両面で日本人に愛されてきたのでしょう。昔の俳句で

              里ふりて 柿の木もたぬ 家もなし    松尾芭蕉

という有名な句が残っています。当時はどこの家でも柿の木のない家はなかったようで、最近までそういう感じでした。もっとも芭蕉の頃は、貧しい農民には食べるものがない時の代用だったのかもしれません。(以前、このブログで、私が子どもの時に、田舎の山畑で柿を手竿でもぎ採っていた老人が、柿を一個残してモズの餌がなくなるので冬場に困るだろうから、と呟くのを聞いたと書きました)今日見たあるお家の柿の先にも柿が一個ぽつんととり残されているのを見ました(上の写真)。やはり天然自然への感謝からか、いたいけないモズへの優しい配慮になっているのは、(いくらか仏教の教え的ですが)昔の人は日本ではどこでも同じなんだ、と思いました。いっぽう、他のお家のすぐ側にある柿の木で、採り手がいないのか、熟しすぎた柿の実が沢山なっていました(下の写真)。赤黒い熟し過ぎはもったいない。これはたぶん高齢化した人のお家のものかと推察しました。柿はなっても採れない、という現実は、気遣い以上にモズの餌はあちこちにあるのだと思いました。柿で深秋の詩情を感ずる前に、高齢化による何でもほったらかしになりつつある「家庭実態」をよく考えるべきでしょうかね。

                                      なり放題の柿の実


この電柱支線はどこの管理でしょう

2014年11月05日 | 日記

5日(水)も静かなよいお天気でした。風もなく、私はブレザーだけで終日(屋内、外出とも)過ごせました。

小川の畔を歩いていると、小川を跨いだ電柱の太い支線に、枯れてきた「かなり厚手のつた類」が絡みついていました。夏の間に伸びてきたものでしょう。冬場に、一部は枯れ落ちると思いますが、美観的にも、腐敗など管理上もこれは取り払った方がいいな、と思いました。でもこの場合、本当に自費で管理すべきなのは、誰でしょうか。支線ですから、電柱本体に支障ない限り、電電公社(今のNTT)は知らん顔でしょう。支線を張っている先(向かいのお宅)は、つた類の発生源と支線を張るときの契約で多少の経費を受け取っているとしたら当然、多少の責任はあるでしょう。ですが小川の上までの責任はとれないでしょう。小川の管理監督庁 や 美観や何かの問題対策で市町村役所もきっと自分の「管轄外」と言って逃げるでしょう。一体このような問題は本来だれが管理し具体的処理をすることになるのだろうと、疑問に感じました。??


パニックの治まった?「新グリコ宣伝板」まえで

2014年11月04日 | 日記

4日(火)もまず好いお天気でした。暑からず、寒からずで良い気持でした。久しぶりに深秋の「大阪」を味わうことができました。

難波でボランティア後、先日大きな話題にはなりましたが、行くことをためらって行かなかった「道頓堀の6代目グリコネオン看板」を見てきました。昔から馴染みの深い道頓堀です。立ち寄る気でいましたが改造直後は連休が多かったこと や 報道の影響で一杯の観光客が押し寄せると思ってためらっていました。この8月17日まで 16年間も 点灯していた5代目 道頓堀グリコ看板が変わることは、私のある時期の終焉であり、ある時代の終わりのような気になっていました。夜分のネオンが本当は改造されたのでしょう。午後4時頃に見つめると、以前と何も変わらない印象でした。まじまじと、看板の顔や恰好を見ることはありませんでした。よく酔眼で眺めたこの看板は、以前から”元気なランナーが両手を上げて向かってくる”というだけに思っていました。新しい6代目の看板は人物のバックにいろいろな観光地や楽しい出来事が出てくるのでしょうか。そんな遅くまでネオンが点いて瞬くのを待つほどの気はありません。この看板前で、ポーズをとり合い、カメラやスマフォをかざす観光客はいくらかはいました。どこからのお客でしょう。今日は連休も終った事だし、幾分パニックは終わったのでしょう。

                                       道頓堀橋の上で


何処へ?あまり人の見えない怪

2014年11月03日 | 日記

3日(月・祝)は、天気予報が好い方に外れ、大阪は絶好の晴天でした。若干風はありました。昼から夕方には、外気温は下がりましたが、気にすることはありませんでした。

3連休の最終日、晴天でもありさぞかし大勢の人出だと予想していました。用事で午後、千里中央へ出て行きました。家を出、歩いて4~50分。丁度手頃な散歩になります。暑くもなく秋風を感じながらいい運動になりました。千里中央の広場ではどこかの物産展が行われていました。でも何となく感じたのは、今日は大勢の人出という感じでなく、むしろ人数がいつもより少ないように見えました。普段この都会の郊外で、連休などには、どこも満員一杯の人で賑わいます。皆さんいったいどこへ行ったのでしょう。いつもこの時間には行列の人波で混むバス停(上の写真) も 地下鉄駅の側道(下の写真)もあまり人影がありません。皆さんが帰省する時期でもなし、お天気に誘われて京都、奈良などの観光地へ紅葉を観賞に行ったのか、開店などの多い梅田方面へショッピングなのか、それにしても数が少ない感じで、不思議に思いました。あまりの普段との差異に驚きました。人の数が減るのは郊外地では年末やお盆休みと同じ感じです。スッカラカンの千里中央の要所を眺めながら、いつもの人波はどこ? 怪、怪。

                                      地下鉄駅横で


秋の連休、ショッピングに連れ出され

2014年11月02日 | 日記

2日(日)は、どんよりと曇りでした。蒸し暑さで、上を脱ぐ人も見えました。午後に大阪府下では急な雨があった地域もあるようです。

昨日のブログで、いつもお休みの人達は、こういう連休は外出を控えて、動かない方が良いと書いた覚えがあります。私はそのつもりでしたが、いつも仕事で出かけられないワイフはこの連休を楽しみにしていたようです。不安定な天候の中、梅田方面へのショッピングに誘われました。私のものを買うとき試着等にいないと困るという事で一緒に行きました。目指すのは、11月からユニクロ大阪店がオープンしたこと と 日本シリーズに負けても阪神応援(ご声援)感謝セールがあるのだと言います。行く前から悪い予感がありました。はじめに訪れたユニクロ大阪の店前には午前中だというのに、数百人の行列(下の写真)でした。さすがにワイフもこれには驚き、すでに店内に入っている人の数を考えても入る気が起きません。どのくらい時間がかかるのか分からないのでワイフも入店をあきらめました。昼食後、入った阪神デパートの方も、感謝セールに集まっている客があふれていました(上の写真)。ワイフはここでは、ファイトを燃やしてショッピングをする気です。私は、この群衆に怖じ気づき、すぐ「折角来たのだから他の店へ寄って、早めに一人先に帰宅したい」と言うと、返ってその方が自分一人で自由にショッピングができると歓迎されました。私は、こういう人ごみは非常に苦手です。一人で退散・退散。