楽しく愉快な人生を

ー いつも模索しながら ー

今年も柿の枝先に残る実が

2014年11月06日 | 日記

6日(木)は、曇天から晴れになり、ちょっと寒さも感じましたが、暑くもない日でした。やや涼しい秋日和。

庭のあるお家では、今どこでも、柿が熟しています。昔の農家や郊外の別荘だったお家の周りに広い庭が持てた家は、柿の木も植えたのでしょう。青い柿の実が秋には、朱色の美しい実になり熟れ、食しては日本独特の味を味わせてくれる美と味わいの両面で日本人に愛されてきたのでしょう。昔の俳句で

              里ふりて 柿の木もたぬ 家もなし    松尾芭蕉

という有名な句が残っています。当時はどこの家でも柿の木のない家はなかったようで、最近までそういう感じでした。もっとも芭蕉の頃は、貧しい農民には食べるものがない時の代用だったのかもしれません。(以前、このブログで、私が子どもの時に、田舎の山畑で柿を手竿でもぎ採っていた老人が、柿を一個残してモズの餌がなくなるので冬場に困るだろうから、と呟くのを聞いたと書きました)今日見たあるお家の柿の先にも柿が一個ぽつんととり残されているのを見ました(上の写真)。やはり天然自然への感謝からか、いたいけないモズへの優しい配慮になっているのは、(いくらか仏教の教え的ですが)昔の人は日本ではどこでも同じなんだ、と思いました。いっぽう、他のお家のすぐ側にある柿の木で、採り手がいないのか、熟しすぎた柿の実が沢山なっていました(下の写真)。赤黒い熟し過ぎはもったいない。これはたぶん高齢化した人のお家のものかと推察しました。柿はなっても採れない、という現実は、気遣い以上にモズの餌はあちこちにあるのだと思いました。柿で深秋の詩情を感ずる前に、高齢化による何でもほったらかしになりつつある「家庭実態」をよく考えるべきでしょうかね。

                                      なり放題の柿の実