楽しく愉快な人生を

ー いつも模索しながら ー

ビールを飲む時はピーナツか、落花生か

2013年11月20日 | 日記

20日(水)も好いお天気でした。青空が広がり、風は多少北からいくらか吹いていましたが寒いと言う感じではなかったです。

今日は週何回かのビールを味わう日です。血糖値が高い時があるので制限しています。夕方、ビールの側に今日は「ピーナツ」が置いてあります。そういえば、私は落花生と南京豆とピーナツという言葉を適当に使い分けてきました。何十年か前にはいろいろ飲んでいましたが、突出しの「ピーナツ」はいろいろ呼び方が違いました。何がどう違うのか。子ども時代から言い続けてきた言い方を念押してして考えてみました。結局、直接食べる”ピーナッツ”は裸になった加工品、”南京豆”というのは皮が付いている半加工品、それで”落花生”は固い殻つきのまま、という感じに落ち着きました。それでいいのでしょうしょうか。恰好をつけて「南京豆にビール!!」なんて言っていた時代が懐かしい。ちょっと反省。今この時期、千葉など産地では落花生収穫に大変だと聞きます。

阪急曾根駅近くへ出掛けた今日の帰りにあるお家の庭木を見ました。丸の枝々が見えます。不思議な感じで見ました。これは植木職人の「習い」なのでしょうか、「職人個人の技能」なのでしょうか。何となく職人さんの「冴え」を感じました(写真)。


大阪市営地下鉄では110年記念で

2013年11月19日 | 日記

19日(火)は、好いお天気ですが、冷えた気温になりました。つい先日、冷房機を止めたり、扇風機を清掃して仕舞ったりしたお家も多いでしょう。今朝などはそれなのに「暖房」を考えた人も多いでしょう。もう冬に?(着込んで出かけた人は、電車、建物の暖房が始まって、全部脱ぐ??事態に) 

今日は寒いので、電車から降りてくる人たちはすっかり、コート姿(写真下の左)になっていました。地下の通路脇にできている(外気が吹き込む場所)の年賀はがき売り場では、誰も買いに寄らず暖房を点けた赤コート姿(クリスマススタイル?)が数人座っていました。郵便局にはハガキの売り上げノルマがあるのだと聞いています。寒いし、売れないし、売り子の皆さんがかわいそうです。場所にも問題があるのでは。(写真下の右)

帰りに地下鉄「梅田」で”御堂筋線”に乗ろうとすると、天王寺と梅田 間(この車両は新大阪行き)だけ運転の地下鉄車両なのでしょうか。見送ろうとするとして何気なく見るとラップし直した(ペンキを塗り直した)車両でした。500型電車(上の写真)と貼ってあります。そういえば、ちょっと旧式な車両に思えました。大阪市交通局は「復刻ラッピング列車」を9月16日から市営地下鉄御堂筋線で運行してきました。市営交通110周年記念事業の一環だそうです。過去の車両に施されていた塗装をラッピングで再現したようです。これまで私が巡り合わなかったのか、気がつかなかったのか。記録の古い電車を走らせるのも、記念と言いながら市財政の厳しさ対策なのかな。

                        

                 


ガンバ大阪の町で広島サンフレッチェのワッペン

2013年11月18日 | 日記

18日(月)も凄く好いお天気で、眩しいくらいの陽射しもありました。夕方くらいから急に気温が低下して今後が心配です。

夕方散歩をしていると、町角に止めてある自動車に「広島サンフレッチェ」のワッペンを貼ったバンタイプ車がありました。プロサッカーチームの何とか大阪〇〇とか関西勢はあまり成績が良くなく、最近はJ2とかいう二軍的なマイナーになっているチームもあるようです。これは何か広島に縁がある人かもしれません。今の所この広島サンフレッチェはまずまずの成績だと聞きます。それでか、どうかは分かりませんが この自動車保有の人は、相当サンフレッチェの熱烈フアンのようです。大事な車にワッペンを貼りつけるのは、かなり熱心なフアンだろうと想像しました。よく見ると、滋賀ナンバーの車でした。大阪の人(たぶん)で、しかも滋賀ナンバーに乗り、遠くの広島サンフレッチェを応援する人は、勇気がいる話です。どこかの国とか、都市のような”乱暴さわぎ”は無いにしても、周囲フアンがみな敵ばかりだと言うのは、まあ、落ち着きが悪いし、それなりの勇気がいるはずでしょう。もともと大阪には2チームのJ1チームがありましたが、今は低迷状態で、関西の経済地盤沈下を象徴している感じがして複雑な気持ちでした。地元大阪のチームばかりがプロサッカーチームではないよ、と応援したくなりました。

                                    


年末近くなって、とある「焼酎メーカー」で

2013年11月17日 | 日記

17日(日)はぽかぽかと好いお天気で、11月中旬を過ぎつつあるのに、上着を脱ぐと下は半袖Tシャツの人も見ました。暖かい日でした。

年に2回くらい、鹿児島のあるメーカーから特製焼酎を買い込んでいます。私が取り寄せるのは、芋焼酎です。現代風の会社でもあり、鹿児島空港に近くて寄りやすく、数年前、旅行に行った時寄らせてもらい、不思議な説明があって試飲では美味しくてそれ以後取り寄せて飲んでいます。その焼酎のボトルは紫色。味は少し癖のある匂いがあるのですが焼酎にしては、不思議にマイルドな味です。何しろ芋焼酎で名前が「一葉の恋日記」というのです。初めて立ち寄って飲んだ時に、”どこが”、と思って、いくら美味しくても焼酎の名には??と苦笑したものです。今日、年2回くらいの発注をしている1.8リットルビン(1升瓶)が鹿児島から届きました。中には、面白い絵をあしらったお礼状や来年の小さなカレンダーも入れてくれていました。恋が焼酎の名前になること,一葉に”いも”に関わる名を付けたギャップの面白さは、味と共に何となくフアンになりました。電話で発注係りのワイフは「何が一葉よ」と私には幾らか名前に抵抗があるようで毒ついていました。いろいろ飲みたくなる飲料(特に酒類)は多いのですが、伏見酒”富翁”という(大吟醸)酒のお店 と この店の焼酎はほぼ続けて年2回くらい求めています。この芋焼酎は月に一回くらい「水割りでコップ2杯」くらいの量で押さえて続ければ、一本で半年は持ちます。分かる人には分かる味?


違う言葉圏の人向け資料は大変

2013年11月16日 | 日記

16日(土)、北大阪は大変好いお天気になりました。お昼からは、少々歩くと寧ろ暑いくらいに感じました。

土曜日のボランティアがお休みだったので、火曜日ボランティア用の資料を作りました。普通は 1対1 で外国人と勉強しています。所がここへきてボランティア数に比べて外国人数が急増しましたので、受付担当から人数増担当を言われました。今までタイの女性二人を担当していましたが、エチオピア人(女性)とオーストラリヤ人(男性)も担当してほしいという依頼です。お二人とも日本語の初級のレベルです。オーストラリヤ人などは全く日本語が分かりません。仕方なく分からない時には「共通語の英語」を加えながらやっています。やっと一か月経って軌道に乗りかかった先週、突然懇親のためみんなで”お遊び会”をやろう、となりました。私の所のメンバーにも参加してほしいというご希望です。他の皆さんは「歌を唄う、お国のダンス披露、得意のマジック」等を出すと言うことです。私のメンバーは芸無しの人ですが、その上まず言葉が分かりません。私は仕方なく「言葉遊び」を提案することにしました。挨拶や簡単な会話を各国語でやろうと言うのです。エチオピア語には幾つも民族の違う言葉があるそうです。幸い英語はよく分かりますので、話はできます。3種類の国の皆さんと一応「英語」で分かり合っています。先週、(タイのご婦人)二人は他の人とグループを作って、お国の踊りを披露するそうなので、これで一息。問題は他の二人です。ステージで日本語、英語それにエチオピア語(アムハラ語)の挨拶や簡単な言葉を紹介することにしました。その資料作りに今日は長時間かかりました。なんの言葉(語彙)でも3か国の語句で示す必要があります。特に初めて経験するアムハラ語には苦労しました。ああ しんど!



国連UNHCRの募金行動する青年と

2013年11月15日 | 日記

15日(金)は朝は冷え込んで雨が降り、傘が必要でしたが、お昼から好天に戻ったうえ、気温も上がり午前と午後は大違い。

阪急豊中駅前の広場を、お昼ごろ通りかかると、誰も近寄らないので、暇そうにした若い男女が机を出して呼びかけていました。UN国連難民高等弁務官事務所と紙に書いて置いてありました。誰も立ち止まらいので、通りかかった私に「織田貞子」と言う名を知っていますか、と尋ねてきました。TVなどで難民救済などで働いてきた「織田貞子」の名前くらいは知っています、と答えると、いやー知らないと言ういう人が多く困っていました。と織田貞子を神さまのような言い方に変わりました。今やシリアやアフリカの一部の難民が大変だ、という説明でした。特に幼い子どもの命が失われているのです、と力説します。UNHCR(ユーエヌエイチシーアール)は、国連難民高等弁務官事務所 (United Nations High Commissioner for Refugees)の略称で、1950年に設立され、紛争や迫害により難民や避難民となった人々を国際的に保護・支援し、難民問題の解決へ向けた活動を行っているのです、との説明です。余りに一方的なしゃべりだったので、幾らか”へきえき”しました。置いてあるリストへ署名と住所を書いてほしいと言うので、結局断りました。人道主義は分かるけど私の言い分にキチンと答えない若いトークマンには”お呼びでない”と言う感じでした。私のUNHCRへの言い分とは、要約すると

1)織田貞子さんの現在の公式的な立場と力

2)UNICEFF等他の多くの類似団体(募金活動が主)との横の連携と分担状態(本家争いか)

3)東日本大震災や今回のフイリッピン災害への対応、日本でも多くはじめらている(他人事ではない問題が多い)

4)アフリカ難民への「避妊活動」のこと、特に「なぜこのような情勢の時、妊娠をするのか、子どもを作るのか」への疑問と対応活動

最後は、なるほどというご返事がないので”募金だけなら、ごめんなさい”で終わりました。写真はその後寄った地元「知能障害者雇用喫茶コーナー」で


「歩道落ち葉」や「路地車両」の危険

2013年11月14日 | 日記

14日(木)は、またこれ以上はないと言う好天になりました。朝方通院に外出する時はちょっと着込みましたが、昼からは軽装でした。

近くの散歩道は紅葉が綺麗な時期です。私はこの道は好きな方です(上の写真)。この辺はオバサン1人の清掃関係者が落ち葉を時どき掃除しているようです。雨が降るとか、落ち葉が重なると高齢者や通学の児童などがスリップ事故等を起こす危険があります。清掃員も大変でしょう。この時期の落ち葉は激しくて頻繫な清掃でもとても追いつかない状態です。こういう道路管理については植樹の時に紅葉の美感 と その落葉や清掃の煩雑さなどを総合的にどこが考えるのでしょう。この道の坂を下る時、かなりのスピードで歩道にてスリップし転んだ自転車を見たことがあります。もともとここの歩道は自転車禁止道ですが、自転車に乗り平気な人(子ども送迎のママが多い)がいるので危険です。同じように小学校近くの細い路地道路上に最近「歩行者注意」の字が書かれました。事故でもあったのでしょうか。でも地元の軽自動車(高齢者、女性運転が多い)が道幅いっぱいにかなりのスピードでやってきます。学校かえりの子どもや障害者はみな端へ避けています。書いてある「こういう路地での 歩行者注意」とは、歩行者が注意する、という意味ですか、歩行者に注意する、という意味ですか。どちらが実態なのか真剣に考えてしまいます。いずれも問題の時”責任”はいったい何処にあるのでしょう。

                                   


豊中市上新田地区に残る江戸時代道標

2013年11月13日 | 日記

13日(水)は、ますます気温低下になるという気象情報で外出にジャンパーを着ました。でも午後からの外の気温は余り低くもなく、防寒は余計でした。

豊中市上新田(かみしんでん)地区にある「コーヒー豆販売会社」の小売特売フェアーとかに出掛けてきました。案内のハガキが来て、20%ほど割引をしてくれると言うサービスでした。この一帯は千里総合開発時代(1955か1956年頃から)、村の長老たちが「歴史の破壊は、村の存在破壊にもなる」と開発反対をした歴史的な村(市制ですから名義は町)になり、その影響か、最近まで市政などの埒外に置かれ”取り残された地域”になってきたと聞きます。今はマンション群と農村風景が同居する不思議な感じの場所(以前にもご紹介)。そういえば、古い村の雰囲気が残る豊中市でも指折りの古い町(村)です。今日、コーヒー豆を買い込んで帰りの(旧村)で、古い道標があるのを見つけました。江戸時代の「右 ざい所」「左 大坂へ三里」、それに「右いばらき 左かちをし」などの刻み文字がうっすらと見えました。大阪へは三国街道、勝尾寺(箕面)へは勝尾街道があったと聞いたことがありますが、この上新田で交わっていることは初めて知りました。この道標横の解説には「豊中市最古の道標」となっていました。私の見た古い石の道標には勝尾寺は「かちをし」としか字が残っていません。今は”かつおじ”と呼ばれますが、江戸時代表現では「かちをし」だったのかな。「かちをじ」だったのかな。


中の果実が「黒い」珍しい柿を食べれば

2013年11月12日 | 日記

12日(火)は急に寒くなりました。気温低下の予測だったので、掛け布団もパジャマも冬物に変えました。これは少々やりすぎで、朝汗をかいていました。朝外出する若い人はダウンコートの人が目立ちました。私はVネックのヴェストの上に合いのブレザーで寒くありませんでした。

大阪なんばで「関西各地の産地直送品特売売り場」で、先日にも買った”柿”をまた買ってきました。これは、紀ノ川あま柿だということです。普通の柿よりやや高価でした。切断してみたら、中身が黒いのが特徴です。中身が黒い柿など私は幼いころから食べたことはありませんでした。そういえば、農家の方の話では、渋柿を焼酎など使って甘くするいわゆる”甘がき化柿”=合わせ柿にするにはいろいろな方法があると聞きました。この紀ノ川あま柿は産地直送でもあり自然で取れた柿であると信じていました。黒い中身(果実)を見て不思議な柿だなと思っていました。確かに甘い味です。名前の付け方も珍種で突然変異なのかもしれないと、産地で自然に採れるものと思っていました。今日私自身が買って帰ったこの柿のことをHPやその他で調べてみました。

説明では「平核無柿が色づき始める前に、脱渋効果のある固形アルコールの入ったビニール袋を一つひとつの柿に被せ、そのまま置いておく。その後、袋の下半分を切り取り、柿が色づいて完熟するのを待って収穫している。」 ということでした。科学的(化学的)になぜ果実が黒色に変化するのか、説明がある所はありませんでした。やはりアルコールの脱渋効果を使っているのでしょうか。「自然になっている時に固形アルコール」を使って完熟までさせるのは、自然といえるのかも。でも手間暇かけて、大きな柿を歩留まりの悪い完熟までさせた”渋柿をここまで持ってきた技能”は立派なものだと思いました。美味しくいただきました。 下の写真は家にあった普通サイズの下側の富有柿(甘柿)に比較しても大きな紀ノ川あま柿(上側)でした。

                                 


” ようこそ ようこそ ” を考えてみる

2013年11月11日 | 日記

11日(月)は変なお天気でした。朝はずっと曇り空。昼には急に晴れ間が出て好いお天気に。それから1時間ごとに驟雨が来たり、かっと照りつけるお天気が交互しました。〇〇と秋のお天気だと思います。まさに急変する感じでした。

阪急曾根駅の近所に階段を上る2階の喫茶店があります。入ったことはありません。階段下に手づくりと思える「ようこそ ようこそ」と小さなランプ立て看板(歓迎用のおきもの)が置いてあります。私達も遠くの人や久しぶりの人に家へお越しいただいた時には、歓迎の意味を込めて「ようこそ ようこそ」と言うことがあります。でもなぜ”ようこそ”と言うのか、考えたことはありません。用語の使い方は知っていても、語句本来の意味は分かりません。帰宅後、広辞苑や語源辞書で調べてみました。本当のようなよく分からない説明になっていました。平均的な説明では昔に有った”よくぞ”という歓迎の言葉が音便化して口語になったと言うことです。音便と云うのは元は「咲きて」が「咲いて」になったり、「早く」が「早う」になった例のような感じだと言うことになります。納得しておきました。まあ、私のブログにようこそ ようこそ とは言いたいです。

金田一春彦さんの著書によると本来「秋の暮れ」と「暮れの秋」は意味が違うのだ、と書いてありました。今はほとんど同じように意味されます。昔は、「秋の暮れ」は暮れて行く”秋”を意味していたそうです。即ち晩秋の意味だったようです。今は夕暮れの解釈になっているということでした。言葉も時代とともに使われ方、意味が違ってきているのでしょう。日本語の荒れや廃れもあるでしょうが、昔からある本来の美しさは残したいものだと思っています。

        「 この道や 行く人なしに 秋の暮れ 」        芭蕉