楽しく愉快な人生を

ー いつも模索しながら ー

「なんば」、「なにわ」の本来の意味議論

2013年11月09日 | 日記

9日(土)は薄暗いお天気でしたが、昼ごろには上がり、やや暑いくらいのお天気になりました。夕方はめっきり日暮れが早くなりました。帰りの電車を降りた時、東南の夕空に三日月と宵の明星(金星)が見えました。

ボランティア仲間とはその時の状況で机を一緒にする時があります。今日は隣り合わせに、「難波」さんという中年女性(たぶん独身?)が座りました。読み方は、なんばさん。話している時、質問をしました。大阪の「難波」という地名と関係がおありですか?と訊くと、難波さんは、もう年配の父は元岡山市の南部の出身でその地域には「難波さん」という姓の方は多いと言っていました。ということで大阪とは関係はないように思えます。時々「Nanpa」さん、とか「灘波」さんと間違う人がありますと笑っていました。全国で海に近いところで、河川や海岸の様子で、同じ名前もあるのでしょう。たまたま帰宅時、大阪では指折りの古い生国魂(いくたま)神社横を通ったので、お守りを授けている売店にいた「神官」と思える中年男性に「ここは確か難波大社でしたね。これを”なにわ”と呼びますが、 なんばと呼ぶのとどう違うのでしょう?」と訊きました。この人は、大化の改新の頃から長々と「難波(なにわ)の宮」の歴史の話をしてくれました。難波(なんば)、浪速(なにわ)、浪花(なにわ)等はその中で、歴史的には由緒あるものでもなく、当大社の難波”なにわ”という名が本来大阪を意味します、一緒にしないように、ということでした。古い呼び方「大坂」の時代から近代の大阪統治者、庶民呼称への迎合、地域統合等、それに現代の地域併合、地名変更など色々歴史が変わってきて名前も変わったのでしょう。でも初めになぜ「なにわ」を名乗ったのかの解説はありませんでした。