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ー いつも模索しながら ー

豊中市上新田地区に残る江戸時代道標

2013年11月13日 | 日記

13日(水)は、ますます気温低下になるという気象情報で外出にジャンパーを着ました。でも午後からの外の気温は余り低くもなく、防寒は余計でした。

豊中市上新田(かみしんでん)地区にある「コーヒー豆販売会社」の小売特売フェアーとかに出掛けてきました。案内のハガキが来て、20%ほど割引をしてくれると言うサービスでした。この一帯は千里総合開発時代(1955か1956年頃から)、村の長老たちが「歴史の破壊は、村の存在破壊にもなる」と開発反対をした歴史的な村(市制ですから名義は町)になり、その影響か、最近まで市政などの埒外に置かれ”取り残された地域”になってきたと聞きます。今はマンション群と農村風景が同居する不思議な感じの場所(以前にもご紹介)。そういえば、古い村の雰囲気が残る豊中市でも指折りの古い町(村)です。今日、コーヒー豆を買い込んで帰りの(旧村)で、古い道標があるのを見つけました。江戸時代の「右 ざい所」「左 大坂へ三里」、それに「右いばらき 左かちをし」などの刻み文字がうっすらと見えました。大阪へは三国街道、勝尾寺(箕面)へは勝尾街道があったと聞いたことがありますが、この上新田で交わっていることは初めて知りました。この道標横の解説には「豊中市最古の道標」となっていました。私の見た古い石の道標には勝尾寺は「かちをし」としか字が残っていません。今は”かつおじ”と呼ばれますが、江戸時代表現では「かちをし」だったのかな。「かちをじ」だったのかな。