26日(火)は好いお天気になりました。冷たい北風が吹いていて、皆さんコートの襟を立てて歩いていました。大阪の夕方はぐっと冷えて冬型の寒さでした。
ボランティアの用件で久しぶりに大阪難波の新歌舞伎座裏通りを通りました。いっぱい吞み屋がある所です。ちょうど高島屋前で、南筋の角の信号を渡ろうとすると、かなり前からある焼き鳥屋「正起屋」(まさきや)が見えました。私のサラリーマン初任給は(昭和35年、1960年当時)月給13800円でした。そんな歌もありました。それも月二回に分けて払ってくれていました。初めて現金をもらった時嬉しくて、これを新入社員同志で何か乾杯して食べようとなりました。数人いたと思います。その時、当時難波の交差点前で最も目立ったこの店は別の「ホルモン焼き」の店でした。隣に大きくない正起屋がありました。そのホルモン焼きを食べて帰った思い出があります。その後、数か月して同じ場所は全部「正起屋」になっていました。併合したのでしょう。焼き鳥専門店です。若い私等にとって吞むことが本意です。肉はどんなのでもいいよとなってここ焼き鳥屋を暫くたまり場にした覚えがあります。いいお年のご主人が、焼いてくれる焼き鳥をいつも吞みながら頬張りました。しょうきや、というとこの親父は真剣になり「まさきや」と呼んでよ、と我々に叫んでいました。気さくな親父でした。もう50年も経ち今はすっかり世代も変わり、私達もばらばらになりました。お店の方もデパートはじめ関西や名古屋などにかなりの支店店舗があると聞きます。私達が昭和時代、焼き鳥で吞んだ若い頃は、この一帯にはホルモン焼き屋の方が多かったのが夢のようです。この焼き鳥屋も弁当や昼ごはん等を扱うようになっていて、昔の「焼き鳥」 = 一杯やる ではなくなっているので、その適切な時代感覚が適合したのでしょうか。どんどん大手になったようです。ここには懐かしい一号建物(改造したもの)が残っていました。