楽しく愉快な人生を

ー いつも模索しながら ー

近所の仏眼寺の梵鐘

2010年12月19日 | 日記

19日(日)は、好いお天気でポカポカした感じでした。年賀状の準備などで外を室内から眺めていたことが分かりました。昼過ぎ外部へ出てみて寒い日だと分かりました。

歩いて10分程の所に古いお寺があります。「仏眼寺」というそうです。あまり足を運んだことはありません。その寺の鐘を聞いたことがありません。今日通りかかったのでその原因を調べてみました。やはりそうでした。鐘は頑丈な木製?のカバーの中にあり簡単には撞けません。昔、子どもの頃島育ちの子ども時代、山寺の鐘は何回でも誰でも撞けました。いまでこそ近所に迷惑がかかるとかの理由で一人一回撞くことに制限されているそうです。除夜には108の煩悩を払うため撞かれると聞き深夜に起きだし本当か除夜の鐘を聞いた覚えがあります。この仏眼寺の鐘は除夜には鳴るのでしょうか。説明文があって、18世紀ごろの製作の鐘らしく大切にされるのは結構だが、いずれにせよ宗教儀式や大事な仏事にも参加しない梵鐘ではね。

 


裏町の風景と人達の感じ

2010年12月18日 | 日記

最近18日(土)は好天で、大阪はどこも歳末の感じでしたが、いつもの年に比べると多少活気がないと思います。私は厚手のジャケットにマフラーを巻きつけたままで外出しました。

谷町通りは自転車が多く人出も多いので、7丁目で西側に100mそれて裏町を歩いてみました。何となく、人も少なく、一番ありがたいことは自転車の少ないことです。カメラやメガネを扱う店が多かったのか、古い(一部は改造した)店が残っていました。私もそうですが、最近は大手の出先を信用の対象にして使う人が多いです。大手の販売店、出先の店が横溢しています。この裏町にはきちんと店が残っていました。代変わりが多い中でこういう跡継ぎはどうするのか、ちょっと前途不安は感じました。昔からの眼鏡屋などは跡継ぎが頑張ってほしいものだと思います。そのすぐ後、駐車場から出ようと半分出かかった車を指さしかなり離れていても私に「車が出かかっているよ。ここで止まって。危ないよ」というおばさんがいました。足の悪いのを見て注意してくれたのでした。ありがとう。

 


竹林をパワーショベルで

2010年12月17日 | 日記

17日(金)は寒いが無風で凌ぎやすい日でした。北からの寒さはこたえます。今日は思い切って、かなり古くなった赤い、厚手のジャンパーを着てみました。

昔は(30年ほど前)、会社へ出かけるサラリーマンが近道して竹林の坂をを通りかかると、春には「今朝早く掘った筍だよ、買って行かないか」とおじさんが声をかけてきたものです。会社へ筍なんか持っていけないので断る人が多く、私もそうでした。ほんとは残念でした。私の記憶では新鮮で、ずいぶん安く買えた金額でした。だんだんマンションが増えてきて、立て込んできました。一般住宅も建築され多くなりました。そんなことをいう「おじさん」もいなくなりました。竹林も残り少なくなってきました。ずっと6,70年前の昔の時代、千里丘陵には全体的な竹林があり、うっそうとした竹が生えていたということです。今日何年振りか久しぶりにその竹林を隙間から覗いてみると、竹の残りが少ない林をパワーショベルが掘っていて竹林がなくなっていました。周りのマンションや住宅には、施工中のU社向けに「環境破壊するな」とか「役所とのずさんな癒着」とか書き込んだビラが出ていましたが虚しい感じです。。間違いなくU社のマンションは基礎工事が進んでいました。もう竹林を愛でる気持ちは思い出の昔の話ですね。


鬱(うっ)血の話の一幕

2010年12月16日 | 日記

16日(木)は寒い日になりました。晴れは晴れですがダウンジャケットやマフラーを着用する人が多くなりました。

又私のケガしている右手小指の話で申し訳ありません。つい先日、私のケガ主治医Y先生が手術で縫った部分を手当てしながら、「う~ん、こりゃいかん、手術部分があまりよくない。鬱血して化膿しかかっている」というのです。「このままだともう一回再手術になります」との宣言です。そういえば、先週、何かの拍子に家で包帯が解けてきて私はワイフに幾らか強く手首にテープを巻いてもらっていました。それが原因でどうも血流を止め血管内に黴菌が溜ったようです。先生の指導でそれ以降、まじめに抗生物質の薬を服用し、包帯を血流に影響のない巻き直しにする対策をしてもらいました。今日、数日ぶりに、先生の診断では「よし、ここまでくればもう心配はありません」でした。今一安心しています。回復基調でうれしいです。医学や介護の専門知識のない人間が勝手なことをやるべきではないですね。反省。


配達作業所も、まだのんびりか

2010年12月15日 | 日記

15日(水)お天気は好いですが、急に寒くなりました。寒気団が日本列島を覆っているように言っていました。

持病(内科)と小指のケガ(整形外科)が原因で回数多く医者通いしています。今日は内科へ行ってきました。医者通いの帰り道、東豊中の歩道を歩いていると一般の空き家みたいな所に赤い郵便局のバイクが10台ほど置いてありました。「東豊中配達作業所」とこじんまりと書いてありました。そうか、もう年末だから年賀状受け付の時期です。ポストにそろそろ年賀状など多く投函されているはずです。でも午前11時頃にはまだ全然出動している感じではありません。年末ですが郵便局のほうはまだ本格的な動きを感じません。それに引きかえ、民間の宅配便はこの時期遅くまでやっています。昨日、深夜(午後10時ごろ)寝る準備している時間にチャイムが鳴り「夜遅くすみません~宅急便で~す」というお呼び出しでした。郵便局も根本的に役人根性を見直さないと、今後民間として生き残りが心配です。民間の意識にしているのでしょうが、それは「頭で」思っているだけで行動が伴っていかないと。


女性雑誌の1月号は付録目当て?

2010年12月15日 | 日記

14日(火)は早朝雨がありましたが、我々の出かける時間には晴れていました。あたたかい一日でした。少々大げさですが汗を拭いたり、半袖の人もいました。

ある書店を眺めると入り口に女性雑誌の1月号が勢ぞろいです。むかし(20年前)は正月号と言っていましたが今は1月号です。11月に出版したところもあると思います。何年か前、どこかの雑誌が年末(実際は1月号)に「ブランドの袋」を付けたそうです。それ以後、どこも雑誌本体より1月号は付録目当てで買う人(女性)が多いと聞きます。数と種類は多い女性雑誌のコーナーで足を止めてみました。昼の休みにはお客は誰もいませんでしたが付録つきばかりの雑誌だけはいっぱいです。1月号は誰が買うのでしょう。黄色の付箋をしていましたがこっそり中をチョッと見せてもらうと来年の手帳(女性用)でした。これでは魅力ないのかな。


渋柿が残るお宅

2010年12月13日 | 日記

13日(月)は朝から小雨の降る暗くて底冷えするお天気でした。いよいよ「師走」も押し詰まって12月後半を迎えます。

ここ数年、毎年ケースごと渋柿を買い込む果物屋からワイフが「今年は渋柿は不作で、高価だし質もよくない」と聞いてきました。でも何個か買ってきて、干し柿を自作したようです。けっこう美味しいです。もともとこの干し柿の作り方は、不肖私が伝授したもの。大阪出身のワイフは合せ柿は覚えがあるが、干し柿を作った経験がなかったのです。私は甘いものがない時代、瀬戸内の島嶼で嫌というほど子どもの時に干し柿つくりを手伝いました。腕前が違います。でも最近は干し柿つくりはもっぱらワイフ任せです。干してから2週間後くらいから美味しくいただけます。今日、医者帰りの途中にあるお宅の庭先に渋柿が数多くなって残っていました。「こんな不作で高価な時に勿体ない」と思いました。でも相当な高齢者で採れないか或いは興味を持たない若い人かもしれない、大きなお世話かな、と感じました。小鳥の餌か残念!


師走の公園のあちこちで吹奏楽?

2010年12月12日 | 日記

12日(日)は温かい一日でした。風もないので、公園では小さい子どもをベビーカーに乗せた若い夫婦が目だちました。

公園を歩いていると、ラッパやトランペットの不思議な音が聞こえてきました。近づいてみると、道路でブラスバンドらしきジェスチャーを交えた10人ほどの若者(女子中心)の行列練習です。仲間らしき連中も休憩でしょうかその側で訓練を一緒に見ていました。「どこかのブラスバンド?」と尋ねると「日本センチュリーオーケストラ関係のブラスバンド練習です」というご返事。何かの為にオーケストラの人がブラスバンドを練習しているみたいでした。仕草や行進はあまり慣れていないようで、楽器を片手に整列行進の練習でした。一方そこから200m離れた広場では右翼団体らしき連中の20人ほどが整列行進の練習をしており、「気をつけ~」だの「最敬礼~」等の叫び声をあげていました。ここにも旧陸軍の進軍ラッパが鳴り渡り、不思議な音は私がその中間にいたわけでした。元気なのは両方ともいいのでしょうが。師走にあちこちで少々賑やかなことですね。


ボクシング・ジムというのをはじめて

2010年12月11日 | 日記

11日(土)は小雨も降りどんよりしたお天気でした。私は幸い雨に遭いませんでしたが、下が濡れて歩くきにくい夕方でした。

ボランティア終了後、なんば近くの「黒門市場」で買い物をしたくて、谷町9丁目から西に2kmぶらぶら歩きました。途中、いくたま神社があり歳末風景を観賞していこうと寄り道しました。その正門近くに人が群れている一角がありました。なんと、そこは狭いながらボクシング・ジムでした。やや古い名前でラッキースターボクシングクラブと書いてありました。最近は本当にリングに上がるより、精神的に鍛えたり、ダイエットを目指す練習に人が集まると聞きます。特に女性のフアンが多いそうです。今日は女性の姿は見えませんでした(午後4時ごろ)。10数人(いっぱいの)の若い男性中心に真剣なボクシングトレーニングが行われていました。私は若いころ「海老原博之」とか「ファイティング原田」に熱中した覚えがありますが、ジムを見たのははじめてです。やや感激でした。


落ち葉掃くおばさんと

2010年12月10日 | 日記

10日(金)も暖かい日でした。軽い散歩に薄手のジャンパーを引っかけて行きました。

公園は晩秋から初冬にかけ落ち葉でいっぱいで、掃除も大変です。もくもくと掃除中のおばさんがいました。通りかかったので、話しかけました。「秋から、冬は落ち葉が多く掃除してもすぐ落ちてくるし掃除の人は虚しいでしょう」と。でもおばさんの答えは違っていました。「お蔭で毎日掃除の仕事ができてありがたいですよ。日給月給なので、この季節毎年仕事があるのは、かえってありがたい」というものでした。この仕事を天職に思い(どこの人か知りませんが)頑張ってください。ここは府立公園です。まさかお役所天下りの「清掃会社」の仕事作りに戦略的に長年、落葉樹を植えたのではないでしょうね。今日は公務員のボーナス日とか。ほんと安定ですね。