★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

コネなし、金なし、能力なし。50を過ぎて、単身ハノイで会社を作り10年目。毎日「こんなふうに」すごしています。

ベトナムハノイの「YOUTUBEと山(故郷)の想いで」

2023-03-29 19:12:44 | ベトナム・ハノイ

 以前「高校時代の一緒に山に行った先輩の話」はブログに載せたことがある。

最近の日曜日「ふとしたことで山登りに関したYOUTUBE」を集中的に見て「またあの頃を思い出した」

・YOUTUBEで「Maria」さんという女性が「結構な難易度の高い山」を単独で登るプログラムがある。

・そして「ゆっくり***」と言う「登山に関しての遭難や登頂記録」などを扱っている物もある。

それらをヒマに任せ「ほぼ一日中見たのだ」 自分は「群馬県の一番北の市出身」 この土地では

「高校の山岳部は全国の強豪校」であり「有名な登山家」の数多く輩出している。そして土地柄

小中学校の遠足は「ほぼこの市の周りにある山々の登山」であることからも「自然に身近に登山と言うイベントがあった」

現在の日本の家の場所は「関東平野」で回りには低い山しかない。ここに住んだとき「後ろ盾」になってくれる山が無く

何か「しっくりこなかった思い出がある」 それはハノイに移り住んでからも同じだった。ハノイとは「河内」と書く

つまり「ホンガワ」(ハノイを取り囲んでいるおおきな河)の内側と言う意味なのだ。

いわば自分の日本の家と同じように海から続く平野の内陸部に位置する場所なのだ。近くに山は無い。

海までは170kmほど距離がある。内陸部の首都なのだ。

そんな場所でTOUTUBEを見たことで「高校終了まで生まれ育った山間の故郷を懐かしんだ」

故郷の家は「タモリが絶賛している河岸段丘の上の淵だった」近くの「いちばんの遊び場だった「真田氏の菩提寺、正覚寺」

からは河岸段丘の川に浸食された低い部分が見渡せた。駅、そしてそこを通る「電車」(あの頃は良く特急【とき】、

急行の【佐渡】や【ゆけむり】と言った電車を目でそこから追いかけたものである。)

 考えてみれば「この故郷こそ、利根川、片品川に浸食された河岸段丘であり、まさしく「河の内側」ハノイのような気がする。

そして西向きだった思い出の場所の風景はその向こうに「子持山」という「私にとっては山と言えばこの形」と言う山がそびえたっていた。

50年以上たった今でも「山の絵を描けと言われたら、この子持山のシェイプ」になるほどの山である。

そこから右を見ると「上越の山々、谷川連峰もきれいに見渡せた」北東には「何度も登った三峰山、そして戸神山(△山)

上州武尊岳、南側には赤城山が見渡せた。そんな山に囲まれた場所で生まれ育ったのである。あの頃から50年たった今でも

鮮明に思い出せるのだ。

 最近時々、故郷を思い出すことがある。年を取ったせいかもしれない。「三つ子の魂百まで」やはりふるさととは

遠きに有りて思うものなのだろうか?もう一度故郷をゆっくり訪ねたいものだ。

 

 

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