★ベトナム・ハノイは「こんなとこ」★

コネなし、金なし、能力なし。50を過ぎて、単身ハノイで会社を作り10年目。毎日「こんなふうに」すごしています。

ベトナムハノイの「忘年会」で思う事。

2024-02-05 09:50:39 | ベトナム・ハノイ

 2月7日(水)からカレンダー上は「テト休み」に入るベトナム。

昨日「初めて昼間(昼食を兼ねた)の忘年会を行った」

「コロナ禍~円安~日本の自動車産業の低迷」以来「在宅方策」をとった我が会社は

それなりに遠方からの通勤者もいるため「今回は昼間の忘年会になった」

年中ヒマな自分にとっては「特段問題はない」 社員がバイクでアパートに迎えに来てくれて

会場に向かった。もうハノイは「テト前の華やかな状態だった」道端の「テトの花(桃の枝、小さなミカンの木、等々」

「テト用品の屋台」がたくさん並び、いつもの年末の風景だ。

 そして宴会会場に着き、宴会が始まった。「すでに人数は25名足らずになった社員」で忘年会に出席するのは

聞くところによれば18名との事。全員出席したが、なぜか「椅子も料理も足らないようだ」

改めて見ると、「会社は女性が70%」しかも「この不況下残ったのは古株の優秀な社員たちだった」そして彼女らは

既に結婚し、多くがお子さんを授かっている。この子供たちで一番上は10歳になったという。そして気づけば

彼女らに多くは「子供を同行し、会社の忘年会は、さながら幼稚園と化していた」ベトナムの忘年会や社員旅行は

「気づくと、子供や旦那さんや奥さん、そして

時々は親戚や友達まで飛び入り参加していることが少なくない」 昨日の忘年会は「社員の子供たちがたくさん参加し」

気づけば「人数分の席や料理では全く足りず、テーブルを追加し、料理も追加したらしい」

まあ、楽しければそれでよい。ひとしきり飲み、食べ「改めて現在の会社状況を見れば」

*会社の主力である「女性陣の主力」はほとんどが「子持ち」になり、こうした「忘年会にもお子さんを同行する会社になった」

会場を走り回る子供たちを見ながら「会社がそれなりの間存続できたことが感慨深かった」

12年前、52歳で単身ハノイに来て、会社を作り、現在に至るが? ・・・自分が今、こんな状況に居ることが

「何か夢のようである」 心地よい感覚で「食べ飲み」楽しい忘年会だった。

ここまで来るのに「いろんなことがあった」が、未だ会社が存続できていることに「社員に感謝した一日であった」

さてテトまで「あと数日」・・・年末のあわただしさが続く。 

忘年会途中社員のお子さんたちが入交り、年代は違うが「仲良く遊んでいた」

わが社の「優秀な女性技術者たち」である。まぎれもなく「すでに日本の同種の技術者を凌駕する技術を

習得している」いずれは「ベトナムのモータリゼーションに貢献する人材たちだと信じている」

頼もしい「女性の立派な技術者たち」である。

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