No,144
ベルト・モリゾ、「庭で編み物をする女性」、19世紀フランス、印象派。
今日は女流に行ってみよう。
印象派は、対象を色や質の現象の塊としてとらえ、人間存在の本質に近寄ることを否んだ。ゆえに、おもしろい作品もあるのだが、中には見るに堪えないのもある。多くは男の、女性への歪んだ愛が見えるからだ。
しかしモリゾにはそれがない。印象派の描き方をしながらも、何げない女性の表情を絶妙にとらえている。それが心地よく心に溶け込んでくる。
この絵なども、庭で無心に編み物をしながら、家庭のことや子どものことをこまごまと考えている女性の心が現れている。見ていると、暖かい女性の心を感じて、ほっとする。
モリゾは女性故に、女性にしかわからない女性の心が描けたのだ。かのじょが描く女性の表情は、愛らしく豊かだ。愛されて育ったのだろう。いじめられていじけた心も感じられない。それがうれしい。
カーロなどを見ると、男によって虐げられて悲鳴をあげている女性の心を感じて、悲痛な思いもするが、これにはそれがない。
女性が、正しく守られて、心豊かに表現の翼を広げることができたとき、どんなものが描けるかということを、この絵は教えてくれる。
ベルト・モリゾ、「庭で編み物をする女性」、19世紀フランス、印象派。
今日は女流に行ってみよう。
印象派は、対象を色や質の現象の塊としてとらえ、人間存在の本質に近寄ることを否んだ。ゆえに、おもしろい作品もあるのだが、中には見るに堪えないのもある。多くは男の、女性への歪んだ愛が見えるからだ。
しかしモリゾにはそれがない。印象派の描き方をしながらも、何げない女性の表情を絶妙にとらえている。それが心地よく心に溶け込んでくる。
この絵なども、庭で無心に編み物をしながら、家庭のことや子どものことをこまごまと考えている女性の心が現れている。見ていると、暖かい女性の心を感じて、ほっとする。
モリゾは女性故に、女性にしかわからない女性の心が描けたのだ。かのじょが描く女性の表情は、愛らしく豊かだ。愛されて育ったのだろう。いじめられていじけた心も感じられない。それがうれしい。
カーロなどを見ると、男によって虐げられて悲鳴をあげている女性の心を感じて、悲痛な思いもするが、これにはそれがない。
女性が、正しく守られて、心豊かに表現の翼を広げることができたとき、どんなものが描けるかということを、この絵は教えてくれる。