
No,17
エドゥアール・マネ、「すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ」、19世紀フランス、印象派。
前にも取り上げたことのある絵だが、捨てがたいので取り上げた。
マネは、人間を、冷やかに見ているところがある。数々の肖像画など見ていると、顔の形や髪の流れなど、人間を形や色の塊としてとらえて、絵に無理矢理たたきつけているというところがある。たぶん画家の心に、当時の人間に対する、何らかの冷めた心があったのだろう。
マネが、モデルの人間性に迫って描いているのは、このモリゾがモデルになった絵だけである。つまり、画家は、周りにいる人間の中で、かのじょだけは別格だと思っていたらしい。
印象派は、モデルの人間性よりも、モデルを見て自分の感覚がとらえたものを主にして描く。それが、けっこう見る者にきつい印象を与える。美しい絵にも、どこか、淋しさを感じる。
19世紀は、人間が、人間を、だんだんと信じられなくなった時代だったのだ。才能あり、感性のすぐれたマネは、敏感に、周りの人間の偽善性に気づき、それを荒い筆致で形を的確にとらえることによって、格闘技の荒業のように、無理やり絵にとりこんでいる。絵の中の人物の目は、みなどこかうつろだ。
その中で、このモリゾだけは、人間の目をしている。
エドゥアール・マネ、「すみれのブーケをつけたベルト・モリゾ」、19世紀フランス、印象派。
前にも取り上げたことのある絵だが、捨てがたいので取り上げた。
マネは、人間を、冷やかに見ているところがある。数々の肖像画など見ていると、顔の形や髪の流れなど、人間を形や色の塊としてとらえて、絵に無理矢理たたきつけているというところがある。たぶん画家の心に、当時の人間に対する、何らかの冷めた心があったのだろう。
マネが、モデルの人間性に迫って描いているのは、このモリゾがモデルになった絵だけである。つまり、画家は、周りにいる人間の中で、かのじょだけは別格だと思っていたらしい。
印象派は、モデルの人間性よりも、モデルを見て自分の感覚がとらえたものを主にして描く。それが、けっこう見る者にきつい印象を与える。美しい絵にも、どこか、淋しさを感じる。
19世紀は、人間が、人間を、だんだんと信じられなくなった時代だったのだ。才能あり、感性のすぐれたマネは、敏感に、周りの人間の偽善性に気づき、それを荒い筆致で形を的確にとらえることによって、格闘技の荒業のように、無理やり絵にとりこんでいる。絵の中の人物の目は、みなどこかうつろだ。
その中で、このモリゾだけは、人間の目をしている。