画家不詳
観音は衆生を救うため、三十三相に変身して現れるという。商人を救うためには商人に化身し、泥棒を救うためには泥棒にも化身するという。
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自己存在の実相を否定する傾向のある仏教において、観音経は愛の性質を語っている経の一つです。愛はどのような形をとってでも流れていき、それを必要としているもののところに届く。泥棒を救うなどというと間違っているのではないかと思われるが、迷っている魂を見捨てはしないのが愛だ。自分を泥棒に落としてでも、人間を救いにいくだろう。これを逆に考えれば、どのような馬鹿らしい環境にも愛が潜んでいると言えます。周りにいる人間の中に、誰かひとり、観音の化身がいるかもしれないという意もよみとれます。実際、救いの種は、思いもしない人間が持っていたりするのです。