過ちて改めざる、これを過ちと謂う。(衛霊公)
失敗をしても、それを改めない。これを失敗というのです。
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旧ブログでも何度か取り上げたことがある言葉ですが、何度でも何かを謂いたくなってしまうのは、人間が失敗ばかりしているからでしょう。
失敗が悪いわけではない。人間はまだまだ未熟ですから、わからないところでつまずくのは当たり前のことなのです。問題は、失敗してから後のこと。
失敗をすると、自分がいやになって、自分は馬鹿なんだと自分で勝手に決めてしまい、失敗を直そうともせず、すっと逃げてしまう。そうすると、それからが苦しいことばかりになってしまうのです。彼は自分で自分を馬鹿と決めてしまったので、もう何もしなくなるのです。馬鹿が何をやっても無駄だと、馬鹿なことばかりするようになる。そしてみんなを馬鹿にして、いやなことばかりして、人に嫌われ、結局は人生そのものを失敗する。
それもこれも、失敗したとき、自分で決めたからです。自分は馬鹿だと。
だから馬鹿な人生になったのです。
けれども、同じような失敗をしても、自分は馬鹿じゃない、馬鹿になるのはいやだと思った人は、その失敗を何とかしようとします。どこが悪かったのかと考え、そこを改めて、次の段階のために生かそうとするのです。謙虚に悔い改め、迷惑をかけたことを心から謝り、やり直すことができる。そうすると、よりいっそう学びが進み、前よりもいいことを知り、いいことができるようになった自分になれる。
その人は、失敗したとき、自分は馬鹿ではないと、自分で決めたのです。だから、やったのです。
自分を馬鹿だと決めるのも、馬鹿じゃないと決めるのも自分なのだ。すべては、自分が決めることなのです。
この自分が、馬鹿なものだということほど、苦しいことはありません。自分の存在そのものが激痛になる。それが、ずっとずっと、長く続く。自分自身の、過ちに気づくまで。
失敗に気づいたら、すぐに改めなさいと、孔子が言ったのは、そうしなければ、人間が、二度と帰れないような暗夜の苦しみに深く迷い込むことを、知っていたからです。
過ちをしても、自分を馬鹿だと思ってはいけません。未熟だったのだと思いましょう。そしてそこから、学びましょう。自分はいけるのだ。またいっそうよくなるのだ。ここで負けたら、馬鹿なんだ。
人間はいつも失敗をする。そしてそこを踏み台にして、次の空に飛んでいく。