goo blog サービス終了のお知らせ 

世界はキラキラおもちゃ箱・2

わたしはてんこ。少々自閉傾向のある詩人です。わたしの仕事は、神様が世界中に隠した、キラキラおもちゃを探すこと。

たれかよく出ずるに

2008-03-15 08:56:21 | てんこの論語

たれかよく出ずるに戸に由らざらん。なんぞこの道に由ることなきや。(雍也)

外に出るのに、戸口を通らぬものはいない。なぜ人は生きるに、このまことの道をゆかないのか。



最近、その人生で本当に馬鹿なことをしてしまい、その結果が返ってきたことに驚いて、蒼ざめているという人に出会うことが多く、嘆息しています。

その人は、自由と勝手を勘違いし、人にわからぬところで、とてもずるいやり方で他人を陥れる、ということをずっとやっていたのです。それで自分はよい目をするようにもっていき、裏から人にやられて落ちていく者を、馬鹿だということにして、えらく鼻高々に生きていたのです。

それが今になって、痛い現実となって自分に返ってきたとき、いったい自分は何をしたのかと、馬鹿みたいに驚いているのです。彼らは、因果応報ということばは知っていましたが、どうやら本当に自分のしたことが自分に返ってくるなどとは、思いもしなかったようです。自分のしたことは、自分に返ってくる。これは、道を深く学んだものにとっては、身についた感覚となって備わっているものなのですが。

無知不勉強ほど、つらいものはありません。長年積み重ねてきたことが、どういうことになっていたのかを初めて知ったとき、あまりの現実に蒼白になり、その前に何もできない自分を初めて知る。何も知らなかった。馬鹿なことになってしまった。どうすればいいのか。あわてるばかりで、彼らは何もしない。それは、何も学んでいないからです。自分で何かをやるということを、ずっとやって来なかったのです。

豊かな暮らしと、自由を保証されたこの世界で、人は何でもできると思い、何でもやってきた。人を馬鹿にすることなど、簡単だった。いとも簡単な方法で、気に入らないやつをやり込めることができる。ずるいやり方で、人をつぶすことができる。それができるとわかったとき、馬鹿な人間はためらうこともなく、やってしまった。それはそれは、愚かなことだったのですが、今の時代、誰も彼らにそれを教えることはできない。自由を旗印に、大いにやっている彼らの、得意満面の顔を見つつ、人は苦い顔で時代を嘆くしかなかった。

そして嵐のような一時代が過ぎたとき、本当の自分の姿が見えてくる。馬鹿だったと、やっと気づいた人たちは、蒼ざめた顔で凍りつく。何も知らなかった。彼らは。

本当の自由とは、好き勝手に何でもできるという意味ではありません。まことの自分で、まことの自分をやることができる。それを自由というのです。学びを経た人は、まことの自分で何もかもをやろうとするとき、自分は愛しか行うことができないということを知る。自分とは愛だからです。このわたしとは、わたしだ。それが本当にわかったとき、自分とは愛だとわかる。

まことの道をまっすぐに学んできた人には、それがわかるのです。真の自由とは、すべてを愛でやることなのだと。

この道を、馬鹿だといって、あらゆる勝手をやってきた人の結果が、今ありありと見えようとしている。時代は、うそと幻の時代から、真実の時代へと移ろうとしているからです。

なぜ人は、まことの道を行こうとしなかったのか。それは、何も知らなかったからです。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする