先月の末で、銀座ミキモトホールで開催されて
いた歴史的に意味のある橋本コレクションの
展覧会「指輪-その饒舌なる小宇宙の物語」は
閉会しました。
来場者の皆さまは、どの様な事をお感じだった
のでしょうか?
ご来場いただいた後に、モリスの銀座サロンに
お立ち寄り頂いたお客様にお伺いすると、
「何百年、何千年残るということは、大切に
されてきたということ。それに、それを着けて
いた人がいたわけでしょ…どんなモノなのか
そりゃ見たくなるでしょ。お宝なんですもの…」
とおっしゃられてました。
時代を超えて大切にされるモノは、宝物としての
格があるのです。そしてその雰囲気が私たちを
楽しませてくれているのです。
さて、そのヒストリックリングの中で1本だけ
天然石でなく、人工合成石のリングがあります。
(詳しくは、またの機会に…)
今では、天然の宝石と人工石はきっちりと情報
を開示しないといけないのですが、その頃は、
両方とも宝石として売られたそうです。
橋本さんがおっしゃられていたのが、
「今は安くなってしまったでしょう。。。でも
昔は高かった…そういうモノも無いと良いモノ
が分からなくなるでしょう。そういった意味
があるんです」2008年の会の時の弁)
宝石学が発達して、ルビーとして販売されていた
人工合成ルビーが、人の手で数を増やすことが
分かった。そして、「宝石」と呼んではいけない
ことになった100年も経たないうちに、何千万円
から何万円になってしまった。
ひょっとしたら、宝石学が無かったら、未だに
「お宝」だったのかもしれないこのリングを
見ていると感じます。
それは、お宝として大切にされるべき天然宝石の
尊厳を守ることだと、その為には化学的な研究も
必要だ…そういった観点で宝石学は大切なのだと
思います。
宝石学の目的は、そのお宝を持つオーナーさんに
わかり易く情報開示することではないでしょうか。
最近では、宝石鑑別機関が、加熱処理していない
だろう…と、本当は処理の有無が分からない石に、
「加熱の痕跡が認められない」という分析結果を
出します。でもそこには、処理はしていませんと
は一言も書いていません。
それを非加熱ルビーとして市場で出回っているの
が現状です。
どれが本当の天然無処理で美しい宝石なのか
ますます分かりにくい時代になってしまいました。
何百年後の私たちの子孫が見た時に、恥ずかしくない
ジュエラーであるためには、自分の感性を大切に
しながらも、研究、勉強は続けないと…と
感じます。