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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

長野県屋代高等学校24回生、一応最初で最後の同窓会 in ホテルメトロポリタン長野(妻女山里山通信)

2017-02-05 | 展覧会・イベント・コンサート

 2月4日土曜日。快晴の午後にホテルメトロポリタン長野で行われた屋代高等学校24回生同窓会へ。車だと30分で行けるのですが、飲酒をするので長電バスとしなの鉄道で1時間かけて行きました。写真は長野駅と隣接する同窓会宴会場のホテルメトロポリタン長野。接続の関係で40分ほど早く着いたので、東急の別館にある平安堂書店へ。レジの横にある「信州の本のコーナー」に拙書もありました。

 会場の宴会場「浅間」へ。92名と参加者も多いので2グループに別れて記念写真。45年ぶりに会う人が大半で名札を見ても誰が誰やら思い出せません。中国のことわざに「人は平等に年を取らない」というのがあるのですが、それを実感しました。

 まず実行委員長の N氏の開会に到る大変だった経過の説明と開会の挨拶。そして恩師の K先生とM先生への記念品の贈呈が学年でたった3人しかいなかった女学生のうちの二人によって行われました。実は記念品の中には拙書も入っていました。これは私からの贈呈ではなく、同じ美術班だったK君からのものです。宴会の後で両恩師から拙書のことについて色々聞かれました。

 恩師のK先生とM先生の挨拶。K先生は3年の時の担任でした。M先生は、現役を退いてからパソコンの講師をされているそうで。第二の人生の素晴らしさを語ってくださいました。K先生からは、50週年の会もぜひとのご提案もありました。

 元美術班の仲間のA氏の音頭で乾杯。宴が始まりました。料理は中華です。酒はビールに始まり、日本酒、赤ワイン、焼酎など。

 とにかく45年ぶりに再開するクラスメイトもいるのですから。記憶を呼び起こすのに大変です。そんなだろうと私は昔のアルバムを持っていきました。皆席を立って思い思いの場所で歓談。

 話しているうちに昔の記憶が蘇ってきます。近況報告のコーナーがあり、私が最初に指名され拙書の紹介をさせていただきました。やはり同窓会ということで、一般の方とは反応が違いましたね。書店で名前を見つけて買ってくれた人や。お前頑張ってるなあとか、大活躍だなとか、トレッキング一緒に行きたいなとか、同窓生ならではの嬉しい反応でした。

 最後には実際には歌うことが少なかった「勝利の讃歌」や思い出深い「校歌」を全員で熱唱しました。最後に開催に向けて本当に尽力をつくしてくれた実行委員長と副委員長からの挨拶で閉会。我々は美術班を中心に二次会へ。更に盛り上がったのです。

 記念写真その一

 記念写真その二

 高校一年の私がいたクラスの写真です。

 高校二年の私がいたクラスの写真です。

 高校三年の私がいたクラスの写真です。

 当時の屋代高校の空撮写真。陸上のトラックの中にあるのはハンドボールのコートです。大正12年に建てられた県下で初のコンクリートの本校舎。古い木造校舎。藻が繁殖して緑色のプール。臭い部室の長屋。夏は暑くてたまらなかったプレハブ校舎。スプリングのついた畳の柔道場。あまり行った覚えのない図書館。いつもそこにいた美術室と音楽教室。美術班の部室もその端っこにありました。校門まで並木がありましたが、現在は403号まで学校の敷地です。並木沿いには老夫婦がやっている小さな店があり、夏のビニールパックに入った冷やし中華は人気でした。

 現在も持っている人は少ないと思いますが、当時の屋代高校のスクールカードです。校章は平和の象徴の二羽の鳩が向かい合っているもの。よって鳩校とも呼ばれました。

 修学旅行で京都奈良へ行った時の清水寺での記念写真。6人のバスガイドさんがいることから6台の観光バスだったことが分かります。ひとクラス40人で6組でしたから。しかし清水寺の石段で記念撮影なんて他の観光客もいたのに大胆な行為でしたね。私は二列目のど真ん中にいたのでわかりますが、最後列などは誰が誰やら全く分からない記念写真です。

 鳩祭で恒例の女装パレード。学校から屋代駅までを往復しました。今もやっているんでしょうか。度胸を鍛えるなんていわれましたが、農村には女装する祭が各地にあるので、その流れかもしれません。近隣の住民や女子高生が大勢見物に来ましたね。

 私が所属していた美術班の面々。顧問の先生を囲んで。右はサッカーゴールの中でのカット。我々の学年は、制服の着用の自由化を提案し、それを実現するなどなかなかアクティブなメンバーが揃っていました。自由で自主的な発想の持ち主が多かった様に思います。



 美術班の記念写真。ちなみに掲載の油絵は右の写真のメガネを掛けているK君の力作。右は美術教室の中。デッサンが飾ってあります。後ろ向きに油絵のキャンバスも。後ろのストーブで闇鍋を作って食べるのが美術班の伝統でした。時にとんでもないものが入っていました。ベルボトムのジーンズとかタートルネックのセーターとか懐かしいですね。天地真理や南沙織全盛の時代ですが、私たちはピンク・フロイドなどのハードロックや、ちょっと背伸びしてジャズをよく聴いていました。フォークソングも盛んでしたね。サッカーゴールにぶら下がっちゃーいけませんね。青春していました。私の70年代の美大時代のエッセイは、『国分寺・国立70Sグラフィティ【村上春樹さんの国分寺ピーター・キャット】』でお読みいただけます。
 母校の現在はスーパーサイエンスハイスクールの指定も受け、中高一貫教育も行われています。全国「知の甲子園」で優勝と準優勝を独占、国公立大学の合格者は県内トップなど、後輩たちも大活躍している様で、OBも益々頑張らないといけませんね。二次会は美術班の面々を中心に築地市場食堂へ。締めはらぁめん みそ家で(信州人は信州味噌を使った味噌ラーメンが大好きです)。実に楽しい一日でした。

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本の概要は、こちらの記事を御覧ください

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