球形ダイスの目

90%の空想と10%の事実

過労

2010-01-24 | マジメな話
自分の感じる過労という概念について人に不快感なく伝えるのは難しい。
なぜなら自分の大変さを大上段に語ることってのが基本的に人に不快感を催すものであるからだ。
しかし夕方まで予定のない日曜は、その部屋の寒さも手伝って
僕を灰色の柔らかなプリズンへ押し込める。二枚重ねの暖かな隙間…



目が覚めるが布団から出られずに時間が過ぎていく。
とにかく体が目覚めない。10時…11時…12時…意識があるが、体が動かない。
時計を見上げる。
9時。"よし"と思う。
10時。"よし"と思う。
11時。"よし"と思う。
12時。"よし"と思う。中川翔子。
13時。"ちょっとまずいな…"と思う。
14時。"いい加減起きないとまずい"と思う。

18時からの練習に、寝坊という言い訳が通用するのかどうかを考える。
多分通じないだろう。自分がリーダーやってて寝坊と言われたら、
特に気を悪くはしないと思うが、普通に突っ込みたくはなると思う。
寝言は寝て言え、なんて言って本当に寝られても困るのである。

じゃあ正直に過労と言うか?
しかし、"過労のため今日の練習お休みします"って、本人が言うなよって思うよな、普通。
自分の体が赤ランプであることを遺恨なく人に伝えたい場合にはどう表現したらいいのだろう。
いくら"本人が言うなよ"って考え方があるからといって、
道端で卒倒しなければ過労という考え方が適用されないのだとしたら…

そんなことを考えては休み、休んでは考えて、15時になった。
やっと体が目覚めて昼飯を食べ、仕事着を購入し、気付くと練習にも行っていた。

南大沢は暗い。誰にわびてよいかわからない位色々な人に失礼を働いた気がする。
しかしそんなことも今日は長く残らない。

電車では手と足が節となり頭と上体が腹となる奇妙な定在波を形作って、
でもやっぱりこんな散々な気持ちなのも自分が終わっているわけではなく、
ただそこはかとなく疲労しているのだと自分に言い聞かせて一日がおわった。
コメント
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