人であることにも魔王であることにも絶望し…
いきなり何の画像だと思われる方が相当数と思われるが、
僕が中2くらいのときに出た結構マイナーなゲーム"LIVE A LIVE"の
最終編を中世編の主人公オルステッドでクリアしたときの
寒々しいエンディングである。
"目の前にはただ赤。
ぼくの喉から溢れ出す血の赤。
死体の山の中でただ一人。
僕は真理が可哀想になった。真理…"
いや、これはまた別なお話の最後だけど。
自分では何の自己主張も持たずにただ魔王を倒すことだけを考えて
旅に出てきたのに、最後には(イマイチ我慢の足りない)親友と
(イマイチキャラ造形がハッキリしない)恋人に裏切られた形となった。
全てに絶望した彼は、消えてしまいたいという気持ちを
世界を、世界を象徴する人間を消してしまいたいという形に変換して魔王となった。
魔王は世界のあらゆる人間を滅ぼし、そして世界中の人間を滅ぼした彼は
世界で独りぼっちになった。簡単に言うとそんな話。
※マイナーゲームの割にはこの辺を熱く語っているサイトが沢山あるので
興味があればそちらを参照頂いた方がよいかと思う。
◇
当時からマイナーであったし今もマイナーであり続けてはいるものの、
"新・鬼ヶ島"、"天地創造"、"聖剣伝説(初代GB)"に並んで
将来の息子にやらせたいゲームの一つではある。
どれも終わり方のひどく切ない話なんだけど、そこがいい。
大体RPGってのは途中を端折りながら話すと昔話に近い
"誰も実物を見たこともない、日本で生まれた、遠い異国の物語"になるので、
3,4歳くらいのお子さんに話す昔話のネタに困ってしまったら、
昔のRPGからネタを拾って与えるのがよい。
上記したような悲しみが残る話をずっと子供にしているうちに、
逆にこれまで言い伝えられてきた日本昔話が
案外多様な拡がりを持っていることに気がつく、かもしれない。
◇
仕事で一日の殆どの時間を費やして帰ってくると、
心のどこかで鮮やかな心の揺さぶりを求めるようになる。
会社での心の揺さぶられ方は、重みを持った金属の粉さながら
重く水との親和性がないため、洗い流す必要がある。
フィクションの最大の意義は、純度の高い感情を表現できることにあると
誰かが言った。原液にひたひたと漬けるように、乾いた心を
水気以外に様々な成分を含んだ泉に浸す作業だ。
だからこういうことはやめられない。忙しいときほど夜更かししてしまう。
昔、"泣けるサイト"みたいなものを一回りしたことを思い出した。
母のこと、Saga2と妹とのこと、なんかのきっかけで出て来た涙で
いつも自分が救われる気持ちがするように思われた。
人前で泣くのはみっともないという考え方を尊重するとして、
感情を押し殺すことに慣れすぎて、ひとりでいてもさっぱり泣けないことが多いから。
敵を欺くにはまず味方というけれど、他の人に気取られないために
まずは自分で自分の気持ちに蓋をしているのかもしれない。
Flash全盛期時代の、ちょっとした昔の話。