球形ダイスの目

90%の空想と10%の事実

先輩が亡くなった

2009-11-08 | マジメな話
話題的にトップに上げるような記事でもないので、
1週間経った今、1週間前の日付でこのことを書かせてもらいたい。

今月の4日にチェロの先輩が亡くなった。とのことである。詳細は知らない。
代から言えば5個離れているので決して近くはないのだが、
うちの大学が大学院、留年等学生をそこそこ長く残すシステムが完備されているため
5個離れていても大学で合う可能性はあり。

当時20歳そこそこであった僕は世間の常識に対する反駁を一番行動に表していた時期であり、
先輩に対する忠誠心の低さを露にするような困ったちゃんだった僕を見守ってくれた先輩。
奥さんもまたチェロの先輩であり、これまた色々と僕を世話してくれた僕にとって恩ある人。
ただ、過去を見ればその恩を仇で返してしまった部分があるため
僕としては感謝の気持ちと共に幾分か後ろめたい気持ちもある。

とにかく、代は離れていたものの自分が受けた恩は大きいと
僕は思っているのだ。



皮肉なもので、直前にお会いしたのは2人の結婚式のときだった。
確か6,7年ほど前になる。
ある日、最初のお子さんが生まれるニュースを誰かから聞いた。
別のまたある日、2人目のお子さんが生まれるニュースを誰かから聞いた。
結婚式のときに"幸せな家庭..."という言葉があるが、
文字通り家庭という言葉を近くに感じさせた。

そしてこの間、題目にあるような報せを大学時代の先輩から聞いた。
電話口で話す先輩。結論を言わなくても内容がわかってしまうような電話。



まず実感がない。
殆どの人の死は、まずここから始まるのだと思う。
自分の目の前で…とでもならない限り、実感なんてあるはずがない。

沢山の人が沢山の電話とメールを駆使し、重複も厭わずその報せは
僕の元にやってきた。



その夜…
何故か眠れなかった。悲しかったから、ではないと思う。
怖かったから...でもないと思う。
動揺と興奮と緊張感、それらを吐き出したい要求みたいなものからできた
不眠だった。

最近読まなくて積み物になりかけている本を読み出した。
ずっと聴いていなかったDVDを取り出して聴いた。
最近までやっていたゲームの最初の町の音楽を何回もループして聴いた。

チェロを調整に代わりに出してあげただけで5000円もらってしまったことを思い出した。
口では"いいですよ"といいながら、結局もらってしまったこと。
奥さんであり、僕の先輩である人のことを考えた。
あの人は今何を思っているのか… 

それを思うだけでなんだか涙が出てきてしまい、
そのくせちっとも眠くはならず、音楽の流れるままにある自分を感じつつ、
しかし音楽には決して乗り切れない下手くそなサーファー。

結局こんなところでもまた何かを教わってしまった。
俺の好きな先輩。お世話になりました。ありがとうございます。
本当は、面と向かって言いたかった言葉です。
コメント
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