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千葉ちゃんの誕生日に寄せて-夢の日々『GOOD MORNING JAC』

2010-01-22 00:00:00 | S.Chiba
 年頭に古いビデオが届いた。『GOOD MORNING JAC』という1989年に作られたビデオで、千葉ちゃん、志穂美悦ちゃん、真田広之君が、JACの若きメンバーと映っていた。若きメンバーや、沢山のファンとの交流会の様子も映っていた。

  『ジャパン・アクション・クラブ』通称JAC。

 「ジャック」と聞いただけで、もう、ワクワクしてしまう!

 千葉ちゃんが、アクションシーンを一緒に作り上げる為にと、そのメンバーを集め始めたのは1969年。深作欣二監督の勧めもあり、「肉体は、俳優の言葉だ」(故、深作監督の言葉)の合言葉のもとに、アクションも出来る俳優集団の育成場を作る事になった。

 1970年、JAC正式メンバーとして入会したのは10名。弟・矢吹二朗(=千葉治郎)氏が、千葉ちゃんと一時オリンピック選手も目指した日本体育大学機械体操部の後輩・三隅修氏と共に、一日4時間のトレーニングメニューを作ったが、考えただけでもハードトレーニング!メンバー激減で、三ヶ月に一度メンバー募集した。スタントや危険なアクションを共にする為の訓練が、厳しくないわけがない!!

 初期の研究生は、春田純一氏、金田治氏、山岡淳二氏、酒井務氏、蒲原敏明氏、大葉健二氏、益田哲夫氏他。「柔道一直線」や「仮面ライダー」のスタントや子供ショーで地方にも行った。72年、志穂美悦子が研究生に。彼女は、入団試験に、一度落ちたそうで、磨けば光る!と、その後、ご両親と話して、研究生になったそう。引き止めてくれた、千葉ちゃんに感謝!!

 10年後、JACは「戦国自衛隊」でブルーリボンスタッフ賞受賞する集団に成長。悦ちゃんは、かつての師匠千葉ちゃん同様、ブロマイド売り上げNo.1アクション女優に。真田広之君も動けて踊れる深作監督と目指した俳優として活躍を始め、千葉ちゃん自ら企画した81年「冒険者カミカゼ」で、子役時代以来の競演を果たした。

 20年後、JAC20周年年記念映画「リメインズ」では、千葉ちゃんは、スタッフ側にうつり、監督として若いメンバーをバックアップする。(当初、深作監督にお願いしたという。)

 ビデオは当時のもので、JACはテレビ・映画・ミュージカル舞台へと活躍の場を広げた頃の勢いが伝わってきた。若いメンバーが演技を披露する店も作られ、グッズも販売され、ファンクラブ会員は、3,000名にも膨らんでいた。千葉ちゃん、エッちゃん、真田君他、JACメンバーと、ファンの交流会(スキー、水泳、草野球、会食会等)の楽しそうな様子も映っていた。

 あれから40年の年月が流れた。真田広之君は、アメリカでも活躍する国際スターに、エッちゃんは家庭に入り3児の母にと、JACから巣立っていった。他活躍していたメンバーの多くも、JACから旅立ち、深作監督は、もっともっと遠くあの世へ旅立った。千葉ちゃんも、尊敬する高倉健さんも勧めた、ハリウッドへ単身渡米挑戦。成果は今後も、展開を見守っていきたいが、もう5年早かったら・・・と、思わずにはいられない。大河ドラマ初出演を果し、アクションスターの看板を降ろすと宣言、その名前を継ぐような後輩を育てたいと、再度、諸先輩から受け継いだ自分の技術を伝える場を再び作る事になった。

JACは、JAEに形を変えたが、千葉ちゃん始め、JACのメンバーが作り上げたアクションシーンにはいまでも、胸が熱くなり、ワクワクして見言ってしまう。

 長い年月が過ぎ、形は違ってしまっても、”JAC”の言葉の響きは、私の胸の中で、千葉ちゃんと共に、勇者の輝きを今も持ちつ続け、いつでも心を熱くしてくれるのだ。

 千葉ちゃんがJACを立ち上げて40年、若者をメインに、スタッフとして働きたい?!思いは、千葉ちゃんの中でとても強くなっているのかもしれないが、千葉ちゃんファンは、俳優として円熟してゆく姿を見たくて、見たくて、たまらない・・・・

 千葉ちゃんの夢は、果てしなく広がっているようで、夢の実現までには、乗り越える障害が山積みだろう。それでも、それだからこそ、いつか夢が実現する日を祈っている。10人から始まったJACが、大きな翼を広げ、エッちゃんや、真田広之ほか、多くの役者さんが巣立って行った様に。

 そして、そこに、俳優・千葉ちゃんの円熟した姿があることを、心から祈っている。
  

 2010年1月22日、千葉ちゃん、71回目のお誕生日に・・・