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スポーツ観戦&体験記、
映画&ドラマ鑑賞記、
日々の出来事などを、綴ってまいります

今年も、桜の下で、40年目のお花見…若き日の音楽と共に過ごした日々の記憶

2024-04-24 21:00:57 | 思い出

音楽映画の前に、今回、お花見のお話を・・・

なかなか咲いてくれなかった今年の桜。二週間咲いてくれていたが、気が付けば、葉桜、いえ、新緑になっていました。

 

今年の花見は、桜が遅くなりそうだからと、4月初めの土曜日に。

いつもの場所で、思っていたより、ひんやりする中での、お花見になりました。

 

つまみは、相方さんのリクエスト、いつもの唐揚げ、おでん。

おはぎに、カレー味のサモサ、クリームチーズにフルーツチーズとスライスしたフランスパンのバター焼き&ガーリックトースト。取り立てエシャレットに金山寺味噌。いぶりガッコ。いただいた差し入れの、豚筋と大根、玉こんにゃくの煮込み。初めての豚筋煮込み、美味しかった!

 

乾杯は、春風ビール!(新商品に目がない相方、リクエスト!)

 

日本酒四合瓶が数本、中には差し入れの秋田のお酒も。

古い友人二人と、父へ、献杯三つ飾り、頭上の桜の花を見ながら、まったりお花見。時折、花びらがはらり。

 

 

娘たちが暗くなって段ボール箱の入ってた頃からの桜は、枝に手が届いた頃が嘘のように、高く高く枝を伸ばして、見上げるほど。

千鳥ヶ淵で花見酒体験してから40年以上、お花見が身体に染みついてます。

 

バイト先の、お客さんと従業員の花見。メンバーが様々に変わりながらもずっと続き、今年も先輩一人電車に乗って参加してくれました。

 

元気な孫たちと、みんなで、かくれんぼに。

 

ほろ酔い気分の自分は、膝痛めている先輩と、若き日のバイト時代の話に・・・

 

昭和の時代、その小さなお店には、ガットギターが2本とタンバリンが置いてありました。まだカラオケのない時代。ステージなど無く、狭い店、続きの椅子にとカウンターで、20人入ったら満員のお店。椅子に座ってお客さんと歌うママさんの弾き語りを目当てにくる常連さんが、沢山いた。

 

夜更けになれば、酔いも回って、お客さんとママさんのコラボで、盛り上がって、それを目当てに来たお客さんも、歌ったりタンバリン鳴らしたり、賑やかだった。(たまには喧嘩も!笑)

 

常連さんの中には、中島みゆきさんとヤマハポプコンに最終まで残ったお客さんもいたと初めて聞いて、びっくり!(本当なのか確認したくても、本人は天の上で、今頃、美味しそうに献杯飲んでいる?!)

バイト女子の中にはバンドしている人もいたし、先輩も実は、ギター片手にデビュー狙っていたと、初めて知った。

 

自分も、静かな(暇な)時間に、フォークソングの歌詞とコードを書いたノート(今も、見て、たまに弾いてみる)手に、弾き語り(の練習?!)していた。(ギターのコードは、今でもだいたい覚えているが、今年6年目のピアノの先生に、ドレミで言われても、指の形で覚えたので全く分からない、お粗末な有様)

 

お客さんがギター持参で花見に来て、二本のギターで、みんなで歌ったこともあった。今では、二人天の上。

 

一人は、自分のプロジェクトにバンマスで協力してくれた。

バンドの、バも知らない自分の、「力貸してほしい!」の一言だけで。彼がいなかったら、形にならなかった。彼の書いたバンドスコアを、ピアノ習いはじめて、今やっと読めるようになってきた?!感謝!!(そのプロジェクトには、資金もない20歳そこそこの自分に、その手のプロフェッショナルのお客さん達が、皆、力を貸してくれた。チケット買ってくれた方も多数。今でも、ただただ、感謝しかない!!)

 

 

4年間の、お店での懐かしい思い出が、次から次へ思い出されてきた。目の前の先輩との職場でのお付き合いは、二年間で週3日くらい、他のバイトメンバーも、皆、4年くらいで夢の実現に向かって、お店から旅立っていったが、同期のメンバーとは花見の連絡とったり、ママさんが帰国すると我が家に集まってくる。(実は、相方さんは常連客だった!)

 

ふっと、桜の下で、青春時代に戻ってしまった、ひと時。

 

40年以上前の話を、ジーンズ姿で話してる二人。

 

恰好だけは、変わっていない?!

 

身体はだいぶ傷んできているが、気持ちは変わらない!?!

 

来年こそ、ギター持っていこう!

 

練習もして・・・孫弾き出さないかな~。

 

 

懐かしい音楽の話題繋がり?!で、(強引に締めて)

 

次回こそ、

 

見貯めた音楽映画のお話を・・・。

 

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思い出の湯&ふみきり野cafeそして、御成座……秋田秘湯旅行第二弾

2024-01-03 10:08:41 | 思い出

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

年明けから、心痛む出来事が続いて、心落ち着きません。

今年こそはリニューアルをと考えつつ、

昨年の秋田秘湯旅行の思い出の続きから、ぼちぼち始めていきます。

 

秋田旅行で(いとこに会いに行くなら)外せない、何度も父母と家族で泊まり思い出の詰まった、五城目町の開業300年以上の伝説の湯滑多羅温泉赤倉山荘。
 
地元の方も入りに来ている町民馴染みのお湯は適温、入るとツルツル!!お宿は、とてもリーズナブル。部屋に入ると、定番?!カメムシのお出迎え。入口にあったガムテープと、宿の方が届けてくれたカメムシスプレーで、退出いただきました。 

の~んびりお湯につかって、ツルツルに癒されたら、夕食は、絶品のだまこ鍋。きりたんぽではなく、だまこ(半殺しのご飯=粒が残るくらいにつぶした、ご飯に片栗粉を混ぜて、まるく玉にしたもの)が入っているのですが、比内鶏のお肉でお出汁が効いていて、美味!!お野菜もたっぷりで、(長ネギもしっかり!)締めのうどんが食べきれないくらい。熱燗と一緒にいただき、大満足。


 翌朝は、いとこのお店、ふみきり野cafeへ出発。お店の名前を言ったら、こちらのお宿ともご縁があるそう。

杉林が続く中に、踏み切り発見!お店はすぐそば。到着すると、さっそく羊たちが出迎えてくれました。

 

入口の手作りガーデン、温室の毛虫にクツワムシ、比内鶏の可愛いひな鳥たち、山羊、テレビに出演するという(しっかり放送見られました)猫のチャペ、入口のメダカに睡蓮と、生き物天国。孫がいたらメチャクチャ喜ぶに違いない!

見てから、貸し切りでランチを御馳走になり、チャペちゃんと、みんなでまったり。お土産に、ハチミツや、パスタソース、かわいいクッキーの詰め合わせやハーブティーも手に入れ、いとこ一家に見送られ大館へ出発。

大館の御成座は、ず~っとネットで見てから行ってみたかった映画館。前夜、相方に、もし通り道なら、見るだけでいいから!とお願いしていた映画館は、写真のイメージと同じような違うような・・・。雪がなかったから?!。


イベント開始時間と重なってしまい、ドキドキしながら入口だけ入って、置かれた古い映写機も一緒に写真を数枚。念願かなってルンルン!通りにたたずむ姿は、何となく、天草の第一映劇とも、どこか似ている感じの、市民の映画館でした。


 帰り道、いよいよ、相方さん念願の、山形の老舗温泉旅館へ。もちろん、こちらも秘湯!!

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賑やかに、華やかに、しみじみと見上げて・・・・秋田大曲花火大会の思い出

2022-09-11 21:08:21 | 思い出

賑やかな、片貝まつりの花火を、テレビで堪能!


毎年、9月9日10日行われるそうで、想いのこもった、奉納花火が打ちあがり、見上げる人たちの表情が、映し出されると、家族で見上げた大曲の花火大会を思い出しました。

2016年大曲花火大会家族旅行は、叔母からのお誘いから始まりました。

チケット取れそうと聞き、父の体力を考えると、ラストチャンス!と即決定!!

2家族分7枚を二回に分けて往復分とるところから、始動開始。

しかし、その夏は、手術の予定が、7月に入っていました。左脛骨高位骨切り術から二年過ぎ、入れていた金属板を外す二泊三日の手術の直後、大会当日の新幹線の指定席並び7枚を、確実にとる為(大会当日の新幹線チケット入手は難関!!)1時間以上前から駅に並び(椅子が出てきて助かりました)無事、チケットゲット!(帰りの分も、一時間待ち、ゲット!)

しかし、また、問題発生!

その年の夏、秋田は大雨で、前日、雄物川があふれ観覧席の河川敷まで水があふれ、中止か決行か出発直前に決定するとのことで、叔母の電話を祈りながら待つことに。

出発前、朝の6時、叔母から決行の連絡が入り、ホッ!いざ、東京駅へ。

プラレールではない本物の秋田新幹線こまちを、初めて見る孫は、記念写真を撮ったり、そわそわ。それでも、社内では、退屈そう。取れたチケットは、早い時間に大曲駅着で、しばらく時間をつぶし、(駅には子供のおもちゃや遊べるスペースがあり助かりました)昼食後も、イベント会場巡りながら、のんびり、ゆっくり会場へ。

ここで、再び、アクシデント発生!

チケット持ってくる、叔母家族&次女やいとこたちが、出発が遅れて、しばらく待つことに。駐車場が見つからず、着いた?着かない?の、連絡のくり返し。父は、道の途中で、立たされて待ちくたびれ、眉間にしわ寄せ、珍しくキレそうに!

「お願い!落ち着いて〜!!」

其れでも、何とかチケット持った次女と合流(孫の顔見て父も和み、ホッ!)総勢20人弱で桟敷席へ。自衛隊の方が総出で、作ってくださったという桟敷席は、通路はぬかるんでいたけれど、まったくそれを感じないような状態になっていて、感謝!!

大曲花火大会には、珍しい『昼花火』があり、落ちてくる落下傘を追いかけて、子供たちは大はしゃぎ!

地元の大雨被害の処理で、ほとんど徹夜状態で参加してくれた、いとこ夫婦には、遅れてもただただ感謝!叔母やいとこが作ってきてくれた御馳走や、美味しいお酒をありがたく頂き、いよいよ、夜の部へ。

音楽をバックに打ち上げられる沢山の花火の音が、ズンズン身体に響いてきて、『本当に秋田で見ているんだなー』と、頭上を見上げていました。(首が痛くなってきて寝転んでみたくなったりあせあせ

スリリングな珍道中の長い一日を、久しぶり故郷の花火を、いつもいた母とではなく、孫やひ孫と見ている、父の背中を見ながら、しみじみ味わって、美しさと眩さと一緒に、目頭が、じ〜ん。

とはいえ、一日の終わりはまだまだ。花火の後の、長い長〜い駐車場への道のりが、待っていました。

父は、脇で支えてもらったり、折りたたみ椅子で休憩したり、一時間以上歩いて、車に乗り込み、一時間弱のドライブで、いとこの家へ到着したのは、夜中を回っていました。(深夜のレンタカー運転に次女は、冷や汗かきながらも、いとこの車を必死で、追いかけたそう)

叔母の広い(母の車で、農作業を手伝いに二人で来ていた)家には、二部屋通し部屋にして、すでに、たくさんの布団が並べられいて修学旅行状態。皆、ありがた〜く休ませてもらいました。

翌日は、もう一つの目的、家族で母の墓参りへ。

美味しい取り立て野菜たくさんの朝ごはんを頂き、エネルギーチャージ!
近くの山の寺へ。亡き母にひ孫見せて、父も久しぶりの墓参り。秋田市内の、新しい家が建っている実家があった場所を見て、父は安心した様子。父の知人と駅で再開し、新幹線と車で、帰宅。

85歳の父、よく頑張った、一泊二日の秋田大曲花火旅行でした。


先月、今年の、雨が降る大曲花火大会を見ながら、本当に幸運だったと、空の上から、母が父を見守ってくれたんだな〜と思っていました。



あれから、6年。コロナが少し落ち着き、家族旅行を計画中。

食が細くなり、杖付きながら脇を支えられたりの父も、参加予定。

母さん!やきもち焼かずに、父さんを見守ってね!

頑張るから!!

花火大会ほどきつくないと思うけど・・・あせあせ(飛び散る汗)
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夢を見る力、夢を叶える力を、広げ繋げていく力……東京パラリンピック2020閉幕

2021-09-17 14:06:00 | 思い出
コロナの嵐が吹きまくる2021年8月の東京で、オリンピックに続き、パラリンピックが開幕、

そして、閉幕した。

気が付けば、飾ってあった東京2020オリンピックパラリンピックのエンブレムが、少しずつ片付けられ、

風に揺れるのを見つけると、ウルっとしてしまう自分が居る。




パラリンピックを実際に見た経験は、ほとんどなく、今回多くの様々な選手の戦く姿に、勇気に、驚くばかりだった。聞くとみるとでは、あまりに違い過ぎる、パラリンピックだった。

足もつかないプールに入るだけでビビる、しゃがむだけで膝がギシギシ、イタタ~の錆びついてきた身体を持て余す、そんな自分が恥ずかくなるくらい、生き生き戦う選手たちの姿に、自分が見てきた世界の小ささを実感した。

沢山の選手たちが日々次の舞台目指し、ライバルとの戦いを楽しみに、過ごしている事、それは、障害のあるなしにかかわらないこと。わかっているはずだったが、ほとんど、何も知らなかったことを、はっきり自覚した。

パラリンピックで戦う姿は、オリンピックの迫力以上のものがぐんぐん伝わって来た。

本当に驚きだった。

生まれつき、事故、病気、様々な要因と共に日々戦いながら、たどり着いたパラリンピックの選手たちは、正に勇者。

勇者が勝利の夢を手に入れる為に動き出す時、たくさんの人達の支えが、いることも事実。

一人では戦えないが、勇気をもって前に進もうとするとき、沢山の手が現れ、サポートしてくれる。

二人でゴールする時の笑顔。その姿は、数えきれない人の喜びとなる。

夢がかなった瞬間の、熱い涙、はじける笑顔は、本当に素敵だった。




コロナ禍、さらに、夢を持つこと、見ることが、難しい時代。
夢を見つけても、それを叶えるのは一人では、困難。
手を取り合うことも制限される時代。

そんな中で開催されたパラリンピック、
大切なものを無くした自分の心に、元気をつどけてくれた、それも感謝だった。




「夢」大好きな言葉。




半世紀前、その人の躍動する姿、身体をはって見せるアクションに魅せられた。
その日以来、夢を追い実現し、最後まで、実現することを夢見て、見果てぬ夢を追いかけて、努力を忘れず、前に前にと、夢を追いかけ続ける姿を、ずっと追いかけて来た。
浮気も沢山したけれど、いつも、必ず、心の中にその人はいた。



8月29日夜、突然、雲の上の世界へ。



深夜過ぎまで、沢山の仲間友人と、悲しみを分け合った。

そろそろ、最愛の(ダメだけど?!)尊敬する、
その人のことを書きたいと思っている。

心落ち着かせて・・・・

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優しくて、愛おしくて、ありがたい再会……「それが大事」30th 記念動画

2021-06-29 16:50:00 | 思い出
映画でのクィーンとの再会の思いを、たっぷり温めて、報告したいと思っていたら、いきなり、別の再会が飛び込んできて、詰まっていた胸の思いが、一気に流れ出てしまった。

「負けないこと、投げ出さないこと、逃げ出さないこと、信じぬくこと、だめになりそうな時、それが一番大事……」

大事マンブラザーズの「それが大事」30th の記念動画

友人から届いた動画は、懐かしい記憶と共に、歌詞があまりに今の自分にドストライクで、昼間なのにボロボロに・・・お休みの相方に気づかれないようにするのが大変で、参った。

認知症の父との8回目の夏。父の介護に最も気を遣う季節がやって来た。水分不足からくる肺炎や、排尿不足からも来る腎臓結石が起こす、発熱等のトラブルの季節。昨年は、突然の震えるほどの発熱で、救急車入院、手術。認知の薬のシールが貼ってもらえていなかったり、一人で杖無しでトイレに行き転んだり、入院のトラブルは、コロナで見舞いに行けないことで増え、ヒヤヒヤ。リハショートもして、帰宅。何とか最小限のダメージで胸をなでおろしたが、父はもちろん忘れている。


日曜、仕事から戻ると、電話で食べたといっていた昼食は手付かずのまま。水も減っていない!しっかり水飲んでトイレに行こう!と、声をかけても、座ってテレビを見ている父に、語気が荒くなるが、父は悪気もなく、ポワン。

ハッとして、認知だから・・・と自分に言い聞かせる。伝わらないことへのいら立ち、無力感、嘆き等々、胸に渦巻き、空の上の母に、ポロポロこぼしてみたり。毎年訪れる、介護のやりきれない思い大発生。


「負けないこと、投げ出さないこと、逃げ出さないこと、信じぬくこと、涙魅せてもいいよ、それを忘れなければ…」


動画の中で、軟らかく、時に、力を込めて、何度も繰り返される言葉。

一人で抱えていた思いを、もう一人の自分が、ぱっぱをかける。

30年前に聞いた時には、想像もしなかったシュチュエーション。

コロナの中で歌った動画、沢山の方のお祝い動画、繰り返し見ながら、時の流れを感じながら、今ここにいることを、かみしめる。


送ってくれた彼女と会ったのが、コロナ騒動が起きる前の秋。久しぶりに、30年前の懐かしい仲間との集まりだった。(2019年は、懐かしい再会が、年末まで異様に多かった!)

父と暮らすとは、想像もしていなかった、仲間と若き夢追う日々に流れていた歌が、今また、自分を励ましてくれていることに、感謝。

そして新たな再会を、演出してくれた、彼女との縁、繋がりが、ありがたすぎて・・・
また涙腺が緩んでしまった。


「投げ出さないこと、それが一番大事」

日々の暮らし、父の介護、そして、あの頃の夢も・・・



コロナ開けたら、みんなで一緒に歌いたいね!と、

彼女、立川女史に、伝えました




「それが大事」30周年記念動画は、こちら
https://www.youtube.com/watch?v=68C0bKd96jk
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