タイトル:男たちの大和/YAMATO 全国東映系ロードショー
ジャンル:戦後X周年記念邦画大作/2005年/148分
映画館:京都・福知山スカラ座(146席)
鑑賞日時:2005年12月17日(土)初日,13:00~ 50人
私の満足度:70%
オススメ度:70%
<感想>
日本の戦争もの大作のお涙頂戴的な作品はあまり好きではないのですが
波状攻撃をうけて泣いてしまいました。戦闘シーンの迫力もあったので
ヒットしているのも納得。でも深いものは感じませんでした。
<ストーリー:公式HPhttp://www.yamato-movie.jp/story/index.htmlより>
鹿児島県・枕崎で生きてきた老漁師の神尾(仲代達矢)は、
内田真貴子(鈴木京香)と名乗る若い女性に懇願され、
東シナ海を西へと、小さな漁船を走らせていた。「内田二兵曹……」。
神尾の胸に、鮮やかに、そして切々と甦ってくるのは、
60年前の光景、戦友たちの姿……。
<原寸?戦艦大和登場>
冒頭は、大和ミュージアムを尋ねる内田(鈴木京香)。
1985年東シナ海に沈む戦艦大和が発見されたシーンなどで
簡単な戦争の経緯や戦艦大和の説明。
つづいて前述のストーリーに入るのですが、このあたりから
音楽といい、仲代達矢の表情といい、大作の雰囲気をだしながら
あおりにあおって、海を進む戦艦大和登場->メインタイトル表示。
ここで実は私ちょっと引いてしまいました。というのも6億円という
私には想像し難い大金をかけて実寸大セットを作ったというのが
今回の売りでしたから、てっきり外見としては海に浮かぶぐらいの
ものができたんだろうぐらいに思っていたのです。ところが、波を
かき分け進む戦艦大和の正面からの映像をみると、確かに甲板を歩く
人のあたりは実写でしょうが、波が船首にあたるあたりはCG丸わかり。
おまけに船首の菊花紋章ががくっきりとでてきたときには、
あー饅頭たべたいと思ってしまいました。不謹慎で申し訳ございません。
でも、菊花紋章は何度もでてくるので、これがでてくると
大和だと後半は思えるようになりました。
<緊張感とお涙頂戴:以下ネタバレあり>
出撃前最後の上陸のあたりから、緊張感は高まりお涙頂戴シーンの
連発。その3割ぐらいは結構ぐっときました。
一番緊張感があったのは、中村獅童と寺島しのぶの別れのシーン。
中村獅童は、反町隆史が病院に訪ねてきたときにこれが大和出撃前
最後の上陸と悟る。(このシーンはまったく緊張感なし)
それで病院を抜け出し、大和へいく前に恋人・寺島しのぶに会いにいく
そのときのひとつひとつの動作、視線の這わせ方は緊張感あふれるもので
見ごたえがありました。でも、寺島しのぶがまともにでるのは
このシーンだけで、ちょっと短すぎ!!
一番泣かされたのは、大和沈没のあとですが、息子の特別年少兵西の帰りを
西サヨ(余貴美子)のもとへ、西の親友・神尾(松山ケンイチ)が訪ねて
ゆく場面。サヨは夫が戦死し、息子からの仕送りを元に手に入れた田んぼで
田植えをしているのですが、最初息子の死を受け入れらないところから
「あの子の仕送りで、田んぼいちまい・・・」と絶句するところ。
この場面は、滋賀県で日本の棚田百選にも選ばれた場所で、その美しさも
あいまって美しくも悲しいシーンでした。
<臼淵大尉:「死ニ方用意」>
沖縄へ向かう大和のなかで「死にに行く理由」が問題になり
乱闘がおこったりする。その答えのような形で、臼淵大尉が
「敗れて目覚めるそれ以外に日本が救われる道はない」と諭す
場面へと移り、それに誰も反論する人がでてこないのですが、
なんとこの発言に、説得力がなく、重みがないことか。唐突に
この場面がでてきたこともありますが、長島一茂という配役にも
たよりなさを感じました。臼淵大尉がどのような風貌の方かは
存じませんが、ここは椎名桔平にやってほしかったなあ。
もっとも製作側は、この言葉に重きをおいているわけでなく
広く浅く印象的な言葉や場面をちりばめて幅広い客層に
アピールしたかったのかと思います。
<爆撃シーンとCG>
目線はあくまでも攻められる側で、自分が砲台に座っていて
攻め込まれている感の迫力がありました。アメリカ側は顔どころか
人影もみえず爆撃機のみ。それがますます一体何に対して戦って
いるのだろうという感じになりました。パンフレットで確か撮影の方が
最近映画で多様されている爆弾目線のシーンはやめようというような
ことを言われていましたが正解だったことでしょう。なんとなく
これなら浮かぶ船でなくとも、原寸大を作ってよかったかなと思いました。
<最後に脚本について>
この作品は、佐藤純彌監督・脚本ということになっていますが、
月刊シナリオ2006年1月号には、野上龍雄・井上淳一版の
脚本が掲載されています。かなりの部分映画と符合しています。
結局のところ、野上龍雄さんは東映の扱いに怒って降りた
(脚本として名前をだしてくれるな)ということになっているのですが、
こういうことは映画脚本の世界では日常茶飯事なのか?大変だこと。
ジャンル:戦後X周年記念邦画大作/2005年/148分
映画館:京都・福知山スカラ座(146席)
鑑賞日時:2005年12月17日(土)初日,13:00~ 50人
私の満足度:70%
オススメ度:70%
<感想>
日本の戦争もの大作のお涙頂戴的な作品はあまり好きではないのですが
波状攻撃をうけて泣いてしまいました。戦闘シーンの迫力もあったので
ヒットしているのも納得。でも深いものは感じませんでした。
<ストーリー:公式HPhttp://www.yamato-movie.jp/story/index.htmlより>
鹿児島県・枕崎で生きてきた老漁師の神尾(仲代達矢)は、
内田真貴子(鈴木京香)と名乗る若い女性に懇願され、
東シナ海を西へと、小さな漁船を走らせていた。「内田二兵曹……」。
神尾の胸に、鮮やかに、そして切々と甦ってくるのは、
60年前の光景、戦友たちの姿……。
<原寸?戦艦大和登場>
冒頭は、大和ミュージアムを尋ねる内田(鈴木京香)。
1985年東シナ海に沈む戦艦大和が発見されたシーンなどで
簡単な戦争の経緯や戦艦大和の説明。
つづいて前述のストーリーに入るのですが、このあたりから
音楽といい、仲代達矢の表情といい、大作の雰囲気をだしながら
あおりにあおって、海を進む戦艦大和登場->メインタイトル表示。
ここで実は私ちょっと引いてしまいました。というのも6億円という
私には想像し難い大金をかけて実寸大セットを作ったというのが
今回の売りでしたから、てっきり外見としては海に浮かぶぐらいの
ものができたんだろうぐらいに思っていたのです。ところが、波を
かき分け進む戦艦大和の正面からの映像をみると、確かに甲板を歩く
人のあたりは実写でしょうが、波が船首にあたるあたりはCG丸わかり。
おまけに船首の菊花紋章ががくっきりとでてきたときには、
あー饅頭たべたいと思ってしまいました。不謹慎で申し訳ございません。
でも、菊花紋章は何度もでてくるので、これがでてくると
大和だと後半は思えるようになりました。
<緊張感とお涙頂戴:以下ネタバレあり>
出撃前最後の上陸のあたりから、緊張感は高まりお涙頂戴シーンの
連発。その3割ぐらいは結構ぐっときました。
一番緊張感があったのは、中村獅童と寺島しのぶの別れのシーン。
中村獅童は、反町隆史が病院に訪ねてきたときにこれが大和出撃前
最後の上陸と悟る。(このシーンはまったく緊張感なし)
それで病院を抜け出し、大和へいく前に恋人・寺島しのぶに会いにいく
そのときのひとつひとつの動作、視線の這わせ方は緊張感あふれるもので
見ごたえがありました。でも、寺島しのぶがまともにでるのは
このシーンだけで、ちょっと短すぎ!!
一番泣かされたのは、大和沈没のあとですが、息子の特別年少兵西の帰りを
西サヨ(余貴美子)のもとへ、西の親友・神尾(松山ケンイチ)が訪ねて
ゆく場面。サヨは夫が戦死し、息子からの仕送りを元に手に入れた田んぼで
田植えをしているのですが、最初息子の死を受け入れらないところから
「あの子の仕送りで、田んぼいちまい・・・」と絶句するところ。
この場面は、滋賀県で日本の棚田百選にも選ばれた場所で、その美しさも
あいまって美しくも悲しいシーンでした。
<臼淵大尉:「死ニ方用意」>
沖縄へ向かう大和のなかで「死にに行く理由」が問題になり
乱闘がおこったりする。その答えのような形で、臼淵大尉が
「敗れて目覚めるそれ以外に日本が救われる道はない」と諭す
場面へと移り、それに誰も反論する人がでてこないのですが、
なんとこの発言に、説得力がなく、重みがないことか。唐突に
この場面がでてきたこともありますが、長島一茂という配役にも
たよりなさを感じました。臼淵大尉がどのような風貌の方かは
存じませんが、ここは椎名桔平にやってほしかったなあ。
もっとも製作側は、この言葉に重きをおいているわけでなく
広く浅く印象的な言葉や場面をちりばめて幅広い客層に
アピールしたかったのかと思います。
<爆撃シーンとCG>
目線はあくまでも攻められる側で、自分が砲台に座っていて
攻め込まれている感の迫力がありました。アメリカ側は顔どころか
人影もみえず爆撃機のみ。それがますます一体何に対して戦って
いるのだろうという感じになりました。パンフレットで確か撮影の方が
最近映画で多様されている爆弾目線のシーンはやめようというような
ことを言われていましたが正解だったことでしょう。なんとなく
これなら浮かぶ船でなくとも、原寸大を作ってよかったかなと思いました。
<最後に脚本について>
この作品は、佐藤純彌監督・脚本ということになっていますが、
月刊シナリオ2006年1月号には、野上龍雄・井上淳一版の
脚本が掲載されています。かなりの部分映画と符合しています。
結局のところ、野上龍雄さんは東映の扱いに怒って降りた
(脚本として名前をだしてくれるな)ということになっているのですが、
こういうことは映画脚本の世界では日常茶飯事なのか?大変だこと。
お読みになりました?>月間シナリオ(定期購読中)
佐藤監督からは、何の連絡もない…とかで、相当怒っていらっしゃるようでしたね。口を閉ざしていれば、流れていってしまうこと、とも思えないような気もしました。
「お涙頂戴」は嫌なので、この映画を観賞する気はなかったのですが、そうでもなくて助かりました。テーマは重厚なのに、どこか「軽さ」があったのかもしれません。当時のニュース映像を観ることができて、良かったと思います。
あんまり人にはお勧めしません。(笑)
ベテランの脚本家ですから今回のように主張もできたことでしょうが、無名の方ならそれこそ流れていってしまうような気がしました。
ブログも読ませていただきました。
「エピソードをパッチワークしたような印象はある。」のところはまったく同感です。
あと、最近は睡眠とられてますか?
私も寝ないとだめなほうなので、一定のところまでいくと有無をいわず寝ることにしています。
ではまた。
監督も、最初は、違う人で、予定されていたらしいからね。脚本過程も、いろいろあったのかな、と。
現在、尾道での「大和」の展示会には、大林監督が、噛み付いていますし(笑)
でも、出獄後の、怖いものなしの角川春樹様には、誰も怖くて、逆らえないでしょうね。
>現在、尾道での「大和」の展示会には、
>大林監督が、噛み付いていますし(笑)
そんなことがあるんですね。知りませんでした。それにしても、ヒットしましてね。
果たして次は?YAMATOを超えるのは
難しいのでは?