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蟷螂の斧

2007-05-24 05:59:29 | 中国のことわざ
中国のことわざ-281 蟷螂の斧(とうろうのおの) 


蟷螂はカマキリの漢名です。
広辞苑によれば、「自分の微弱な力量を顧みずに強敵に反抗すること。はかない抵抗のたとえ」とあります。


この「蟷螂の斧」は古く「荘子(そうじ)」の中にあらわれています。
紀元前6世紀、春秋時代の魯の国に顔闔(がんこう)という賢人がおりました。彼の人物を見込んだ衛の霊公に、太子の守り役として招かれました。しかし太子は子供ながらに酷薄な性格の持ち主で、顔闔は受けるのがよいか迷って、やはり衛の賢人として知られた“きょ伯玉”に相談しました。
その時のコトバは次のとおりです。
「汝、夫(そ)の蟷螂を知らずや。其のひじを怒らせて車轍にあたる。其の任に勝(た)えざるを知らざるなり」
君はカマキリを知っているだろう。腕を振り上げ斧をかまえて車に立ち向かい、ゆくてをとめようとしたりするではないか。それは、普段弱い虫を残酷に殺しているので、身の程知らずになっているからだ。そして、そういう人物(霊公の太子のような人物)に対しては、いっぺんに改めさせようと正面から向かうのではなく、相手にあわせるようにしながら、だんだんと欠点を改め教えさとすべきだ、と伯玉は言っているのです。


時代は下って、三国時代の詩文家陳琳が劉備に袁紹の側につくようにすすめた檄文の中にもこのコトバが出てきます。陳琳は万里の長城の守りを固める兵士の労苦をうたった五言古詩「飲馬長城窟行」の哀切きわまりない名詩を作ったことで知られています。
「蟷螂の斧を以て、隆車(りゅうしゃ)の隧(すい)を禦(ふせ)がんと欲す」
春秋時代の“きょ伯玉”が言った言葉と同じ意味です。
カマキリの斧で、行きよい良く走る車(隆車)の行くて(隧)をさまたげ、ふせごうとするということで、弱者が身の程知らずに自分より強いものに立ち向かうことのたとえです。無謀な行動のたとえでもあります。
自分が世の中で一番強いと思いこんでいる、いわゆる「夜郎自大」に対する戒めもこめられた成句です。


前漢末期の乱世に立った曹操にとって、最初の敵は袁紹でした。建安五年(200年)の官渡の戦いで曹操が袁紹を破る前、一時、袁紹の方が優勢でした。そこで陳琳は袁紹に加担しました。そして、曹操に対抗しようとしていた劉備に、袁紹の側につくよう檄文を送ったのです。
曹操を「蟷螂の斧」にたとえ、曹操はもうダメだ、すぐにでも「隆車」の袁紹に踏みつぶされるだろうから、袁紹側にお付きなさいと劉備にすすめたのです。
なお、袁紹が官渡の戦いで敗れると、陳琳はこんどは曹操の側についてしまったと言うことです。まあ節操がないものと思いますが、戦国の時代の智恵だったのかも知れません。


出典:広辞苑、田川純三著、中国名言・故事(歴史篇)、日本放送出版協会、1990年6月20日発行


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