今年二度目の 北陸路。かねてより北陸路で是非訪れたいと思っていた所が2か所あった。一か所は糸魚川の フォッサマグナ、 もう1つが福井の一条谷遺跡だ。
今年5月に糸魚川のフォッサマグナを訪ね、 念願だった 1つ目を クリアしたが、 まさか その半年後に もう1つの 念願が叶うとは思っていなかった。 団体ツアーではなかなか ルートに入らない一乗谷遺跡だが、今回 「北陸路の紅葉を訪ねる旅」 の中に 一乗谷遺跡 見学があったので 応募した。
中世末期 越前朝倉氏の 居城があった 一乗谷は大層栄えていた。しかし、5代 約100年続いた 朝倉氏は 織田信長との攻防に破れ、 城下町は 焼き払われ三日三晩燃え続けたと言われている。 その 焼け跡はその後、 田畑となってほぼ完全に 保存され、 近年 発掘調査 が 行われた。現在、一部に人家が建っているが、 中央部 の大部分は 奇跡的に保存され、復元した 武家屋敷や 町人の家もある。
復元された武家屋敷内の台所、結構広い。屋敷内は畳の間が三つと離れの間と台所、広い土間、外にトイレと井戸があった。トイレは男女別々に作られていた。
復元された庶民の家並み。道幅が広い。庶民の家はほとんどが寝間と板張りの台所の二間、広い土間は武家屋敷と同様。やはり外に井戸とトイレ。庶民・武家問わず、排水路が完備していた。この家の外にも排水路がある。上下水道とも完璧、戦争さえなければ日々平和な暮らしが営まれていただろうと想像できる
朝倉氏居城の門、屋敷を取り巻いて堀がめぐらされていた。屋敷内は思いの外狭かった。江戸時代の城とは規模も様相も違っていた。
イタリア ポンペイの街はAD79年の ヴェスヴィオ山の大噴火と火砕流で一瞬にして 火山灰の下に埋もれ、 奇跡的に当時のままの姿が保存されたが、 一乗谷城址もちょうど同じ様に奇跡的に 当時のままの遺構が 残された。 開発の手が入っていない貴重な遺跡で、 国の三重指定を受けている。 中世末期・戦国時代の 城下町が どんな様子であったかよく分かる遺跡である。 一度 この目で その規模と 様相を見てみたいと思っていた。 目的が達成られて 得心した。