こんにちは亀さんです

住民の願いが政治に届くようにと日本共産党石川1区(金沢市内)で活動しています。

金沢の仏教文化(寺院配置)

2014-03-25 15:58:58 | 日記
県ロシア協会で毎年補助を受けながら、石川県の文化歴史事情、滞在するため

のお得な情報などロシア語と日本語に訳して関係先にお届けして20年近くになります。

今年は「石川県における仏教文化についいて」。委員の誰もが知識がなく、住職に

仏教の教え理念、宗派の違いなど教えてもらいながら、編集作業にとりかかりました。

私も、仏教文化の影響を、「百姓のもちたる国」の歴史、寺院の配置、建築物や絵画

への影響、まちづくり、産業や教育への影響などについて調べることに・・。

一向一揆で有名な一向宗(浄土真宗)の影響は門徒だけでなく土豪、百姓にもおよび、

100年にわたり、「百姓のもてる国」として知られています。のちに、前田家は、

一向宗の影響も考慮し、城下町形成のおりには、敵からの防御もかねて寺院群をお城

の周りに配置したとか、真宗のお寺を城のまわりから遠ざけたなどと言われました。

御承知のごとく、金沢城は犀川と浅野川にはさまれ、寺町台地には多くの寺院が、

また小立野大地にも、そして卯辰山のふもとにも多くの寺院があります。城下町で

3つも寺院群がある都市はそうないそうです。

参考にした本によると、寺院群の形成は16世紀末からはじまり、17世紀後半には

組織的移動ふくめ形成が完成したそうです。文政3年(1820)には当時 239の

お寺があり、そのうち156寺が寺町台、小立野台、卯辰山の3つに立地しました。

65%)浄土真宗は城下内では、69寺(29%)だけと、3寺院群内では、

13寺でわずか8%。確かに、寺院群は浄土真宗以外の宗派で形成されています。

寺町台の終点には大乗寺があります。寺町台のお寺は、学生時代合宿でお世話に

なったお寺もあります。(今の学生の皆さんには信じられないかも知れない)。

かつてお城の中に大学があったとき、兼六園から小立野台地の散策。ここは前田家

ゆかりの寺院群もあります。狭い所に立地している卯辰山。「米くれやい」と

民衆がさけび、指導者が斬首となった地蔵のあるお寺、歌舞伎ゆかりのお寺もこの

地域にあります。信仰心がなくても、歴史の散歩道として、市民にも、県外の方

にも親しまれています。

外国の方にもぜひ歴史を知ってもらって・・・。