濱茂夫さん、58歳の若さで逝ってしまいました。民医連に入職し、奥能登に患者・住民
の立場にたつ医療機関をと、診療所建設運動に加わり、ずっと事務長として献身的に頑張
ってきました。
私が、健康友の会の事務局長になってからは医療・福祉のことがよくわからない私を職員
として、支えてくれました。勤務先の輪島と自宅の穴水町の往復の生活でしたから、月2
回程度金沢に出る時には、友の会事務局長と次長として(その後は私の後任で事務局
長)、杯を傾け、奥能登住民の健康守る運動、石川県政を変えるための住民組織の結
成、濱さんのかわいいお子さんのことなど、語りました。「退職後は、市政を変えるため
選挙に出ようと思う」と決意も語ってくれました。一緒にカラオケを唄うと、十八番の一
つ「長い夜」を自分で、あるいは他の方にもすすめ、周りを気遣う人でした。
病気とたたかいながら、私の立候補を聞いて、「亀さんは、奥能登の候補者、俺もがんば
る」とメールをくれました。そんな彼のあまりに早すぎる死去、残念でたまりません。
31日の通夜、初めてお会いした奥様から「うちのお父さんいつも亀田さんのこと言って
いました、頑張ってください」と逆にお気遣いの言葉もいただきました。彼との10年近
くの想いでを胸に、ご焼香させていただきました。
濱さんの死去に接して、彼の思いに応えなきゃと、佐藤県議や地域の支部のみなさんと
精力的にしんぶん赤旗購読のお勧めに。20人の方が了解していただきました。濱さん、
貴方の分まで頑張るから、応援してね。合掌 (写真は追憶の花言葉のシオンです)