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登記制度は震災復興の妨げか? ~日経ビジネスのコラムより

2015-04-13 02:34:25 | Weblog

 日経ビジネス2015年2月23日号に,「震災復興を登記制度が阻害する」というコラムが掲載された。編集者によるインタビュー構成になっているが,長い話を読み易くまとめたものだろう。

 話し手は,吉原祥子氏。「東京財団研究員兼政策プロデューサー」との肩書である。

 今回のコラムの要旨は,大体次のようなものになっている。

1 復興に必要な土地の入手が,権利者不明で進まない。その原因が日本の登記制度だ。日本の登記制度は任意で,登記簿に使者の名前が載っていることが普通にある。

2 不動産登記簿に使者の名前が載っていると,土地を取得するには,法定相続人全員に同意を得る必要がある。その手続は膨大だ。

3 地方の,特に山林は地価が安いので,山林の放棄が大きな問題になっている。

4 固定資産税課税台帳は,不動産登記簿を基に更新されるが,その不動産登記自体が任意で,そこに制度的な矛盾がある。

5 かつての地方では,地域共同体が機能していた間は,誰の土地かはお互いが分かっていたが,子供が都会に去って,共同体が崩壊すると,その図式が成り立たなくなってきている。

6 この問題は,地方に限らなくなってきている。地方都市や,大都市圏の郊外で,同じ問題が出現する。

7 対応策は,世界一強い日本の所有権,財産権の修正につながるので,大変な難事だ。災害などが起こらない限り問題が見えないので,平時には取り組む主体が存在しない。根本的には,不動産登記法の見直しが必要と思う。

 コラムは,結局,不動産登記法が悪者だという論旨になっているが,ホントにそうなのか?,という疑問が抜けきれない。

 まず,上記の要約からも分かるとおり,このコラムは,いくつかの法的問題を指摘している。そうすると,これらの法的問題は,そもそも何の問題なのかを検討する必要がある。

 最初に出てくるのが,相続人がねずみ算式に増えていくこと。これは,明らかに民法の相続法の問題である。登記制度は,民法の規定を受けて,相続登記であれば,民法の定める相続人を表示する手続法であり,相続人がねずみ算式に増えることは,不動産登記法の問題ではない。

 次に,登記上の所有者が死亡している場合に,法定相続人全員の同意が必要だという点(「同意が必要」ではなく,全員が売主にならなければならないというのが正しい。)についても,これは,民法物権法の問題であり,不動産登記法の問題ではない。

 山林の地価が安いこととか,地域共同体が機能しなくなっていることも,不動産登記法の問題ではない。

 そうすると,論者の言いたいのは,一体何なのだろうか?。

 まさか,現在の均分相続の制度を改めて,相続人がねずみ算式に増えるのを防止するため,昔の家督相続のように,1子のみの相続にせよというものではあるまい。あるいは,相続財産は,相続人の一人から全部買収できるようにせよ,というものでもあるまい。それは,いずれも民法の大原則を覆す主張であり,不動産登記法を責める理由にはならない。もともと,不動産登記法は,民法177条に,不動産物権変動の対抗要件を登記とするとあることを受けて作られた法律であって,上下関係でいえば,民法に従属する法律である。建前上は,不動産登記法によって民法を変えることは許されない。

 確かに,今回のコラムの表題は,登記制度を責めることになっているが,まとめは,「世界一強い日本の所有権,財産権の修正につながる」としているので,本心は,民法が悪いと言いたいのであろうが,そんなことを正面には出せないのだろう。

 どうやら,問題点の指摘の中心は,旧所有者(被相続人)名義のまま放置されている土地は,所有者を確定するのに多大な労力を要することのようである。ということは,現在,相続登記をするかどうかは任意であるとする制度を改めて,相続登記手続をとることを義務化する,ということなのだろうか。

 そうは明確に書いていないのだが,どうも,論旨から簡単に抽出できる主張は,そういうことにならざるを得ない。それくらいのことなら,はっきり書けばいいのにと思うが,書きにくいのであろう。しかし,それを書かなければ,いやしくも天下の日経の系列誌としては,責任のあるコラムとはいえないだろう。

 しかし,現実問題として,簡単に書いて済ませられるほど,これは楽ではない。

 そもそも,法律の世界において,ものごとの強制というのは,制度的にとても難しい。強制方法としてソフトなものが,行政罰(過料・・・・「あやまちりょう」の方)を科するという方法で,これは,会社登記で使われているが,余り実用的ではない。取締役などの交替の登記をサボっていて,登記してから,過料を払いなさいという通知が来る。

 もう少しきつくなると,刑事罰になる。人を殺すな,人のものを盗むな,賄賂を贈ったり受け取ったりするな,などという禁止行為については,刑事罰が有効というか,伝統的な手段である。最近面白いと思ったのは,DV法の接近禁止命令の強制手段が,刑事罰だという点。民事的(個人の経済領域)な作為命令の違反(不作為)に刑事罰が科されるというのは,他にはまず見られない。

 会社の登記では,「休眠会社の整理」という面白い制度がある。去年,久しぶりに発動された。これは,登記をサボっている会社に,強制的に「解散」の登記を入れるというもの。会社が解散すれば,清算しなければならず,新たな取引はできない(法律上の話ではあるが・・・)ので,これは一定の効果がある。

 それはそうとして,ならば,相続登記についてはどうだろうか。過料くらいでは,まずダメだろうし,会社の解散に匹敵するような現実の不利益もなかなか想定できない。

 刑事罰で懲役にでもすれば,いくらか効果があるかもしれないが,およそ国民の支持が得られるとは思えない。
 現実には,相続登記をしない理由はいろいろあり,コラムにいうように,土地に価値がないからというだけではなく,父と母の遺産を併せて遺産分割をするためというケースも,相当に多い。極端な場合,直接の相続人である子供ら同士では,兄弟対立が激しくて,とても遺産分割にならず,孫の代になって,ようやく話ができるということもある。
 そのような,単にサボっているだけではなく,いろいろの事情があるところに,刑事罰だ!,などと怖いことをいっても,まず国民的支持は得られない。

 ならば,登記官が職権で相続登記をするか,という問題になる。しかし,登記官が,どうやって人の死を知るかという問題もあるし,人の死を知ることができたとして,関係する戸籍を全部集め,住民票をたぐって,相続登記をするなどということが,現実に可能だろうか?。これもまた,国民的支持の問題になるが,登記官が,戸籍を集め,住民票を集めて,相続登記を職権で(言い換えれば勝手に)することを,誰が支持するであろうか?。そりゃ何が何でもやりすぎだ,というのが正直なところではないか。

 加えて,このような職権登記を認めると,民法の物権変動の制度自体を見直す必要が生じかねない。現在の不動産登記制度は,権利登記に関しては,「対抗要件」という位置づけであり,それがために,対抗要件の具備を欲しない権利者は登記手続をしなくてもよいという位置づけになっている。たしかに,相続登記は,売買等の登記とは異なり,それ自体は対抗要件としての性質を基本的に有していないが,相続登記をして、それに差押えが入るなどということがあると,対抗要件としての本質が表に出てくることになる。

 ということで,不動産登記のうちの権利登記が任意であることは,登記を対抗要件と位置づける民法の物権変動の法理と結びついているのであり,その一部とはいえ,相続登記のみに職権登記を認めることは,この民法における登記の位置づけを見直すことにつながりかねない。

 コラムの論者が,「世界一強い日本の所有権の修正につながるので大変な難事だ」などとまとめてしまい,結局結論を言わないことは,このような問題があることを意識したものかもしれない。ならば,安易に論じないでもらいたいところだが。

 さて,これを国家的視点から,国に有利に,言い換えれば,論者の気に入るように考えるとすると,行き着くところは,相続開始から何年以内に遺産分割協議をして,土地の所有者を確定しないと,その土地は,国に没収する,というような,強力な制度を作るしかなくなるように思える。
 少なくとも,私の弱い頭では,その程度のことしか思いつかない。しかし,このような制度が国民の支持を得るとは到底思えないし,土地を帰属させられた国も,管理責任が生じるため,とても迷惑するに違いない。そのような制度は,とうていまともな制度とはいえない。

 だから,これを論じるためには,問題状況をよく分析し,異質の議論をごちゃ混ぜにせずに論じる必要がある。また,解決策を具体的に提示する必要もある。安易な議論は混乱を招くだけだし,そこから一部を取り出して針小棒大に論じるならば,混迷は一層深まることになる。

 少なくとも,目の前の不都合を言いたいがために,複雑に絡み合った論点を整理せずに提示し,その行き着く先として,よく考えれば罪のない不動産登記法を悪者にして,結論を述べないなどという議論は止めてもらいたい。

 


 



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