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公募校長の不祥事 何が問題か?

2013-09-22 04:02:42 | 指定なし

 大阪市の橋下市長の肝いりで2013年4月に誕生した、大阪市の公募校長11人のうち6人が不祥事やトラブルを起こしており、市議会の猛反発を招いているとのことである。


 


 11人のうち、1人がわずか約3カ月で早期退職し、2人がセクハラ行為などで懲戒処分や厳重注意を受けた。そして9月19日、追い打ちをかけるようにパワハラの疑いなど新たに3人のトラブルが発覚したのだという。


 


 これまでのトラブルは、3か月で辞めたのが1人、私的なアンケートをあたかも公的なアンケートと偽ってアンケートをとったのが1人、保護者に対するセクハラが1人という。


 


 そして、市教委によると、校長3人がそれぞれ(1)口論となった教頭に謝罪を求めて教頭が土下座した(2)女性教職員6人に「なんで結婚しないのか」などと質問した(3)出張や時間休の手続きをとらずに数時間外出して中抜けした-とされる。


 


 これをみていると、民間と公務員の差が見えてくるように思える。


 


 すなわち、民間企業においては(というような一括ができないことは承知の上だが、とりあえず一括する。)、権力者は、ある意味、絶対的な存在である。企業も、権力者を最大限護ろうとする。


 


 その典型例が、大王製紙の不祥事であろう。ともかく、金を儲けさせてくれている限り、言い換えれば、企業が存立していくために必要な限りは、トップの不祥事は隠ぺいされる。トップを不祥事から護ること、裏から言えば、トップが世の中で不祥事とされていることを起こしても、それが表沙汰にならないようにすることは、総務の重要な職務である。


 


 要するに、社長が、あるいはそれに類する者が、企業に利益をもたらしてくれている限り、社長が社内でセクハラ発言をしようが、中抜けしようが、表沙汰にさえならなければ、どうでもいいことである。


 


 だから、民間出身者は、自分が権力者になれば、自由が効く、自由に振る舞っても、どこかが抑えてくれるという意識が、かなり強くあるように思える。


 


 今回明らかになった不祥事は、いずれもそのタイプ(権力を得れば、自由に振る舞え、それで問題が起こったとしても周囲が護ってくれると思っている。)のように思える。


 


 しかし、(昔の「官吏」などといった時代はともかくとして)今の公務員はそうはいかない。これだけマスコミだけでなく、ネットでも監視され、内部告発も受ける状況になれば、トップに上り詰めたとしても、結局は誰かに見られていることは否定できない。霞ヶ関の、うんと高い地位にいる人達は、余り人前に姿を現さないので、まだまだ安全かもしれない。


 


 しかし、校長や区長は、それとは全然違う。組織的に見れば、組織のトップであるが、その組織自体が、金で動いているわけではない。かといって、「廉潔な公務」で動いているわけでもなく、ある意味「前例踏襲」で動いているだろうが、ともかく、校長にせよ、区長にせよ、保護者や区民といった、金で解決できない人達と、日常接することが仕事になる。金が儲かるということで結束を固められる訳でもなく、前例踏襲でやっていけるという意味では、別にその人に限ったわけでもなくて、代わりはいくらでもいるという程度である。


 


 ましてや、公募校長や区長は、もともと敵地に乗り込んだようなもので、自分の腹心・取り巻きによって護られることもない。


 


 そうすれば、不祥事があれば、内部告発も受けるし、保護者や区民は、校長や区長に反発したとしても干されるわけではないから、こういった人達も、マスコミにたれ込んだりすることに、そう大きな抵抗感は持っていない。加えて、マスコミも、いつもそのようなことに注目している。


 


 結局のところ、このような、現今における公務員の立場を考えて、自己の行動を規制できる人達でないと、このように常に人目にさらされる公務員のトップは務まらないということのように思える。


 



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