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平成21年新司法試験の結果

2009-09-27 23:06:54 | Weblog
 去る9月10日に,平成21年新司法試験の結果が発表された。

 今回の試験結果では,合格者が2043人と,法務省が事前に示していた合格者数の目安である2500人から2900人という数字を大きく下回り,平成20年の2065人よりも合格者数が,やや減少することとなった。←izaの記事

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 法務省筋では,「目安は法科大学院の教育の充実を前提に設定した。そこに達していないということ」,「来年以降も、受験者に法曹となるための能力があるかという観点だけから判定する方法は変わらない」とコメントしているとのことであり(←izaの記事),好意的にみても,来年の合格者数が,大幅に増加して3000人に達することは,余り期待できないということになる。

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 結果の概要は,受験者7392人,短答式試験合格者5055人(68%),総合評価対象者4818人,合格者数2043人(27.6%,短答合格者比40.4%),最高点1197.94点,最低点376.83点,平均点767.04点,合格点785点,などとなっている。

 この合格点は,同一点に14人が,不合格の784点には17人がひしめいている,いわば激戦区の中(700点から850点くらいの得点が一番多いようである。)であり,その中のどこに線を引くかは,とても難しい判断であったように感じられる。まさか,合格者1人の法科大学院(京都産業大学と島根大学)の受験者の得点がこの点数だったなどということはないと思うけれども。

 注目の法科大学院別では,東京大学216人(受験者比55.5%),中央大学162人(43.4%),慶應義塾大学147人(46.4%),京都大学145人(50.3%),早稲田大学124人(32.6%)などとなって,やはり伝統校の強さが光っている。ただ,今年も,一橋大学が合格者こそ83人(明治大学に次いで7位)とやや少ないものの,合格率62.9%と,ダントツの成績を残している。

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 さて,このような結果をどうみるべきだろうか。

 まず,合格者の減少はどうしたことか。もともとは,来年(平成22年)には,合格者3000人を目標とすることではなかったのか。

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 もともと,旧司法試験が,実質定員制の試験として運用されていたことや,その合格枠が,受験者の数に比して,極めて少なかったことから,新司法試験は,本来の資格試験として運用することを見据え,そのための教育機関としての法科大学院を設置し,その教育をまっとうに終えた者は,おおむね(7,8割)試験に合格することができるという構想であった。法曹志願者の適性や,その基礎教育は,法科大学院に委ね,司法試験自体は,競争試験ではなく,実質的にも,資格試験に衣替えするはずであった。

 これによって,いわゆる受験テクニックに偏った勉強をせず,本来の法律の勉強に,まじめに取り組めば,合格できることになり,司法試験のために一生を捧げるというような不幸は,なくなるはずであった。

 しかし,現状では,伝統校で学んだとしても,自信をもって試験が受けられるとさえいえない。ましてや,新設校では,旧司法試験と大差ない程度の合格率しか得られないというのでは,よほどの志と能力がない限り,法科大学院に進学する意味は乏しく,進学すれば将来を棒に振る可能性の方が大きくなってしまう。

 これでは,広く優秀な人材を募ることなど,到底期待できないことになる。

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 既に,各法科大学院とも,定員の削減に乗り出しているとのことであるが(←izaの記事),定員の削減は,結果的に不合格者を減らすという効果しか期待できないものであり,そのことから,合格者が増えるという効果が生じるものではない。

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 それよりも何よりも,法科大学院の教育の質を高めることこそが,本質的な問題解決策であることは明らかである。

 しかし,これがまた,難しくて,全く読めないところである。目標は,試験目当ての勉強でない,本来の実務法曹の勉強をして,それが身に付けば,自然と合格していくという流れになるのだろうが,それがどのような勉強なのかは,未だに明らかでないように感じられる。

 各分野の法の基礎的知識が必須であることはいうまでもない。それは,「論点」といわれるものではなく,実定法の仕組みと,その背景にある立法者の考え方を理解することであろう。いわゆる論点について,A説,B説があって,A説ではこうなり,B説ではこうなるという,従来の受験勉強のメジャーとされる論点中心主義では,新司法試験には対応できないということかもしれない。旧司法試験の終わりころに感じられたことだけれども,A説,B説の対立の背景にある基本的な考え方の違いを理解し,それを基に,新たな論点をどう解決していくか,という,そういう能力が,新司法試験では,なお一層求められているようにも感じられる。

 しかし,そのような能力を,法科大学院生に獲得させる(「教え込む」ではないのだろう。)ことは,もともとが,論点中心主義で育ってきた現在の実務法曹に果たして可能なのかどうか。これからは,そういう教える側の能力も,厳しく問われていくことになると思われる。

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 そうした場合,そのような教員をどのように養成するかというのが,次の課題となることは明らかである。今の実務家教員は,実務法曹から,いわば任期付で交替で担当し,任命にあたって,特段の訓練を経ていないようであるが,果たしてそれでよいのだろうか。

 ここは難しいところで,日々移り変わる実務を自ら体験していない限り,実務を教えるのは難しいという面がある一方で,昨日の実務家が,今日の教授というのも,簡単ではないという面がある。この両面をどのように調和させるか,あるいは,どのようにして人材を選定するか,という問題が残るであろう。

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 また,これを補う方法を考えると,新司法試験に対応することのできる適切な教科書や,演習教材の作成が想定される。これを,個々の教員に委ねていたのでは,レベルの高い教科書の執筆は容易ではない。いくつもの法科大学院が連携して,共同執筆により,加えて,相互の批判的検討を行うことにより(単なる共同執筆では,執筆者のレベルを超えることができない。),レベルに達する共通教材を作成することが必要とされているように思える。

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 考えてみれば,かつての司法修習は,結構乱暴で,いわば,泳げない人間をいきなり海に投げ込んで泳げというに類するものであった。要件事実の何たるかも分からないままに,ちょっとの座学から,いきなり演習に突入し,分からない者同士が,せっせと勉強会をして,ようやく溺れない程度に泳げるようになる,そんなものだった。もちろん,教官の側は,そんなことでは満足していなかったけれども。

 今は,1年半修習が1年に短縮され,前期の集合研修がなくなった。かつての前期修習は,法科大学院でやったものとして,いきなり実務修習に突入し,最後に仕上げの集合研修でレベルを揃えることとされている。そのようなレベルの司法修習に耐えるだけの教育が求められており,それに,どう応えていくかが,これからの法科大学院の生き残りの道ということになろう。




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