とりあえず法律・・・・かな?

役に立たない法律のお話をしましょう

法曹養成制度をどうすべきか

2013-06-27 02:04:00 | 指定なし

 政府の法曹養成制度検討会議で,法曹の年間3000人養成の目標の撤回が提言された。しかし,検討会議の結論は,3000人目標の撤回だけで,司法制度を支える人材の育成に関する主要テーマで具体案が示されず,問題先送りで終わったということである。


 


 これでは,何のための検討会議だったのか,さっぱりその意義が見えてこない。3000人目標が維持できないことは,有識者の意見を聞くまでもなく,明々白々の現実だったとしかいえない。


 


 座長の佐々木毅氏は,元学習院大学教授というよりは,元東京大学総長であり,元東京大学法学部教授である。政治学系の教授だったので,法曹養成には直接携わっていたわけではないだろうが(そもそも,東京大学法学部自体が,法曹養成とは距離を置くというスタンスである。),あるべき法律家像については,それなりの認識があったと思われる。


 


 また,検討会議のその他の構成員は,法曹関係者も含まれるが,有識者委員の半数以上が,法曹外であり,それぞれに地位をなしている方々である。


 


 それでも,具体的な方向性を示すことができなかったということは,以下にこの問題が難しいかを如実に示しているという評価になるのであろうか?。


 


 最近,予備試験の人気が高いことからすると,司法試験は,ある意味,旧来の一発勝負型の試験に馴染むといえるのかもしれない。しかし,政府の公式会議が,旧来型の試験に戻ることを提言することは,あれだけの労力を費やした大改革に対する自己否定であり,禁句だったのであろう。


 


 しかし,私としては,旧来の試験の分析も無益ではないように思える。というのは,旧来の試験であっても,現役合格者の中に,超上位合格者が結構な数いたという事実が,何を意味しているかを探求する必要があるということである。現在の裁判官や検察官のトップエリートは,多分,こういった合格者が給源になっていると思われる。


 


 圧倒的に少ない勉強量で,上位合格を果たすことができる。この事実が何を意味しているか。単に頭の構造が違うと言ってしまえば,何の意味もない。そこに,何らかの真実が眠っているはずであり,それを掘り起こすことが,法曹養成がどうあるべきかという問題に対する答を与えるように感じられる。


 


 私が思う,その一つの答は,法的思考能力,法的感覚という言葉で表現される,一種のスキルである。ある社会事象を見たときに,そこにどのような法律上の問題があり,どのような法を適用していくかを捉える能力とでもいうのだろうか。これは,法律の条文,判例,学説を頭に叩き込んだだけでは身につくものではない。法律の条文の背景にあるものの考え方,判例の拠って立つ法律解釈といったものを丁寧に追って,それを自分の中に消化していくという作業が必要になると思われる。


 


 司法制度改革のひとつの背景であった「受験テクニック」問題は,この部分を無視して,答案さえ書ければいいという低レベルのゴールを設定したことに発しているように思える。そのような発想は,当然法曹界のトップエリートのうちから構成される司法試験委員に見破られていたと思われ,数ある答案の中から,法的思考能力などがあると認められる答案が,合格答案とされていたのではないかと思われる。


 


 そう考えれば,今後の法曹養成の方法は,志願者に対して,求められるスキル(例えば法的思考能力と称されるもの)を以下にすれば身につけることができるか,あるいは,その前に,それを身につけることのできる能力があるかどうかを見極める方法を探求し,それによって,教育のあり方,カリキュラムの組み方を考えていく,そういった方向に行かざるを得ないのではないかと思える。


 



最新の画像もっと見る

コメントを投稿