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生活保護基準を国民年金以下に・・・?

2006-03-11 02:30:27 | Weblog
 3月6日(月)の日経新聞に,生活保護支給額を削減し,国民年金以下にすることを厚労省が検討しているという記事が掲載されている。ぱっと見には,えっ本当か?という気がする。

 そうはいっても,今日までに訂正記事が出たわけではないので,多分この報道は事実なのであろう。

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 記事に書かれれているように,国民年金を40年払い続けて年金が月額6万6千円であるのに,東京都23区内68歳単身者で生活扶助分だけで8万820円あるというのであれば,確かに不公平という印象はある。また,記事が指摘するように,こんなことなら国民年金を払わずにいて,あとで生活保護を受けた方が楽だ,ということにもなりかねない。

 しかし,それはちょっと違うのではないか。

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 そもそも生活保護は,年齢を問わず,生活に困窮するすべての国民に対し,困窮の程度に応じて必要な保護を行い,その最低限度の生活を保障するという制度である。生活保護は,補足性といわれるが,生活困窮者が,その利用しうるすべての資産,能力その他あらゆるものをその最低限度の生活の維持のために活用することを要件とするとされている。また,必要即応の原則といわれ,困窮者の実情に応じて有効かつ適切に行うとされている。

 その給付の程度を決めるのは,健康で文化的な最低限度の生活に必要な金銭その他であり,財政ではない。だから,世帯の所在地,世帯員の人数,年齢などによって,給付のレベルは細かく決められている。先の記事が,「東京23区」と限定して例に引いているのはそのためである。地方の,それも郡部に行くと,この給付レベルはかなり下げられているし,東京都でも,多摩の奥の方は低いランクにされている。また,世帯員が,幼児である場合と,成人である場合,老人である場合,それぞれ算定基準が違っている。

 また,賃貸住宅に住んでいると,その賃料も一定範囲で加算されるし,医療については現物支給(言い換えればタダで医者にかかれる)ことになっている。

 この支給基準は,国民生活の調査により決定されているはずである。

 ただし,生活の困窮していることが要件であるから,いかに高齢でも,現に働いているか,働いていなくても,働く能力があれば,生活保護は受けられない。財産があってもやはり生活保護は受けられない。

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 これに対して,国民年金は,老齢,障害または死亡によって国民生活の安定が損なわれることを,国民の連帯によって防止し,健全な国民生活の維持及び向上に寄与するものとされている。ここでいわれるのは,「国民の連帯」,すなわち基本的に国民が負担する保険料によって給付が賄われることである。その裏面として,財政均衡の原則が働いているが,給付の程度は,必ずしも最低限度の健康で文化的な生活を維持するレベルとされているわけではない。すなわち,年金の給付レベルを決めるのは,財政均衡であり,保険料収入と国の支出の合計が,年金の財源として給付額を制約しているのである。

 その代わり,国民年金は,一定年齢になれば,保険料を支払っている限り,生活が困窮していると否とにかかわらず給付される。医者にかかっているからといって,その治療費がタダになる(年金で出してもらえる)わけではないし,健康だからといって直ちに減額されるわけでもない。

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 ここから分かるように,生活保護の保護基準と年金を比較すること自体,法律的にはナンセンスである。比較する対象すら明確ではない。まして,先の記事が触れているように,年金の支給額が低いからという理由で,生活保護の基準が,「健康で文化的な最低限度の生活」を割り込むことになれば,生活保護の制度自体が成り立たないことになる。

 そういう意味で,生活保護の基準を年金以下に引き下げるというのは,単なる政治的主潮にすぎず,これを理屈で解決できるものではない。

 法律的に異なる制度を,異なることを抜きにして,単純に金額レベルだけで比較することは,法律的に正当でないことは勿論,現実に誤りを犯すことになるのではないだろうか。特に,年金の支給額に会わせて生活保護のレベルを切り下げると,現に生活保護を受けても生活できない困窮者が現れるおそれがある。

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 当然のことであるが,この問題の解決は,単純な金額の問題として議論してできるものではない。国の社会福祉の体系自体を見直す必要があると考えられる。

 その時に,比較できないものを比較して,生活保護基準が年金額を上回るのはおかしいという結論先行であれば,行き着くところは,一定年齢以上は生活保護はなく,年金に一本化することしかないということになろう。生活の必要性を積み上げて金額を算定する生活保護が,年金を上回ってはならないというのであるから,そのような積み上げをしてはならないことになり,生活保護のような制度は成り立たないことになる。

 そうすると,今度は,年金が,健康で文化的な最低限度の生活を保障するものとならざるを得ないことになる。そうでなければ,年金で生活できない人が多発することになる。

 また,その帰結として,年金は保険料を払うと否とに関わらず支給されなければならないから,保険料ではなく,税方式,特に消費税のような広く薄い課税にならざるを得ないということになる。

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 ここまで書くと,自分ながら論理の飛躍があるのではないかと疑ってしまうが,それは結局出発点に無理があったことの結果ではないかと思う。

 確かに,平日の早朝からパチンコ店の前に行列を作っている人たちの中に,生活保護者が相当数いるんだろうな,と考えたり,生活保護を受けながらベンツに乗っているなどという話を聞く度に,もう少し生活保護の制度を考え直さなければならないと思うが,それは,生活保護の保護の必要性の算定方式を検討することでなすべき問題であって,年金との比較で年金にそろえて引き下げるとして済む問題ではないように思える。




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