とりあえず法律・・・・かな?

役に立たない法律のお話をしましょう

弁護士が増えれば日本の文明は破滅するか?

2007-10-21 23:13:52 | Weblog
 もう時期遅れの話題になるが,鳩山法務大臣が,いろいろと物議を醸す発言をしている。

 まず,9月4日には,「将来,国民700人に弁護士が1人いることになるが,それだけ弁護士が必要な訴訟国家になったら日本の文明は破滅する」と述べて,弁護士の急激な増加は望ましくないとの見解を示した,という。(Yahoo! の産経新聞ニュースによる。)

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 この発言の要旨は,法務省のサイトにも掲載されているが,それによると,司法修習生の卒業試験(二回試験)の不合格者が増えて,質が低下したのではないかという記者からの質問に対して,その可能性があるとしか応えられない,とした上で,いきなり(質問に答えるのではなくて)話を始めているようだ。

 法務省のサイトに掲載された発言をかいつまんでいくと,閣議決定とは違うことは承知しているが,正しくないことはなおしていけばいい,外国は,知的所有権とかが得意で,そういう裁判が多いそうだ,それに対応して弁護士も増やさなければならない要請があるのは分かっている,文明には「敵を作る文明」(力と闘争の文明)と「和をなす文明」(美と慈悲の文明)がある,こういう二分法は厳密にできるかどうか分からないが,自然と共生するのは「美と慈悲の文明」であり,だから我が国には6割以上の森林が今でも残っている,「力と闘争の文明」は,あえて敵を作って訴訟をやる,そういう国のマネをすれば,弁護士は多いほどいいという議論になるが,自分はそれには与しない,できれば裁判ではなくて,「和をなす文明」で行けることが理想だからだ,年間3000人の司法試験合格者の大多数が弁護士になり続ければ,50年後には国民700人に1人の弁護士がいる計算になる,そんなに弁護士が必要な訴訟国家であれば,日本の文明は破滅する,「和をなす文明」はどこへ行ったのと,自信を持って言っている話ではないが,国民2500人ぐらいに1人が妥当なのかなという思いがある,大学や大学院は,社会の要請と常に向き合っていく必要があるのであって,その経営は優先的な事項ではない,医師の時も,臨時増募で対応して,一時減らし,また産婦人科が地方に足りないというので揺れている,法科大学院で学んだ人でも,みんな弁護士にならなくてよい,成績優秀な者が司法試験に通ればいいと思っている,まだ十分勉強していないので無責任な答えにならないよう注意するが,3000人は多すぎるというのは勘所をとらえている,何でも訴訟をするというのは分からない,アメリカでは,自転車に空気を入れてもらっても,えらい金を取られる,人にものを頼んだら対価を払う,それくらい文明が違うと大学で聞いた,それが訴訟文化とつながりがあるような気がしている,日本はそういう文明の国ではないので,そういう良さをGHQによって破壊された,そういう日本文明の良さを復活させることが,美しい国ではないか,というもの。

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 こうやって全体を見てみると,全体の論旨は,話し言葉でもあるので,やや支離滅裂の部分もあるが,それを捨象しても,マスコミの記事にはない,大臣のものの考え方の背景も,いくらか見えてくるように思える。

 やや悪い言い方になるが,ここで見えるのは,強者の論理であるように思える。「美と慈悲の文明」というと聞こえはいいし,強者は弱者に慈悲をかけるべきだというのは,誰も否定することはできない。しかし,これを裏から見れば,弱者は,強者の慈悲にすがって生きるしかない,弱者は,強者が自由に定めることのできる慈悲の範囲内で,ようやく息をついているしかない,ということになりかねない。

 そして,これは政治家にとって,非常に都合のよい世界でもある。弱者が悲鳴を上げると,強者に対して,まあまあ少しは慈悲をかけてやりなさい,と言って話をまとめていく,まさに,政治家の出番である。

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 これでは,本当の意味での弱者の権利は守られない,平等な社会は実現できない,だから,法律によって,強者・弱者を問わずに,それぞれの権利・ぎむを規定し,弱者が弱者であるが故に不利に扱われないように,お互いのルールを明確にしていこうというのが,法治国家の理念であろう。

 これまでの公害事件や,労働事件の歴史,さらにいえば最近の消費者金融関係の裁判を見ていると,私にはそのように思えて仕方がない。

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 もうひとつ,法務大臣は,弁護士の仕事を,訴訟としか見ていない。しかし,弁護士にとっても,訴訟は最終手段であって,できればやりたくないという意識もある。弁護士が増えれば,その分訴訟が増えるわけではない。

 依頼者の利益を考えれば,できれば訴訟はやりたくないという部分がある。例えば,相続紛争にしても,例えば,長男が苦労をして親の面倒をみた,などという事情は,しょっちゅう出てくる。だいたい市井の紛争というものは,おしなべてそういう側面がある。

 このような市井の紛争を上手に解決するのは話し合いしかないが,双方が合理的な考えができる者同士であり,弁護士が,法律的なアドバイスを少しすれば,お互いに共通認識が得られる(要するに同じ土俵で戦える。)という場合には,話し合いも成立しやすいし,そこでできた合意も,双方の立場に配慮した平等なものとなる。

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 ここでは,法律は,双方の話し合いに共通の土俵を提供し,解決の見通しを与えるものであり,弁護士はそのサポート役である。「美」だの「慈悲」だのといっても,それが当事者に共通の認識を提供するものではない。

 だから,例えば相続の話し合いといっても,原則は均分相続であるという原則の範囲内での話し合いでなければならず,それを踏み越えて,長男が全部を相続するのが当たり前だ,というようなことから話が始まって,長男が他の兄弟に慈悲をかけて,財産を分け与える,有り難く思え,という解決をしても,それは弱者は弱者に甘んぜよという解決でしかない。ましてや,それに恩を感じ,感謝の気持ちを表せといわれたのでは,弱者にとってたまったものではない。

 弁護士は,そのような解決を一番恐れている。そのような不当な解決に至らない,最後の手段が訴訟である。逆に,自分の依頼者が説得を聞かない場合に,負け覚悟で,やむなく訴訟を起こすこともある。得になる話ではないが,理不尽な解決を避けるためには,何ともやむを得ない。

 弁護士たるもの,何でも好きで訴訟を起こしているわけではない。それが現実である。

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 最近は,食品の偽装問題が盛んに取り上げられているが,これなども,弁護士が普段からコンプライアンスについて,経営者にアドバイスをしていれば,その分会社の儲けが減り,あるいは赤字経営となったかもしれないが,社会的非難を受けて会社が立ち行かなくなるというところまではいかなかったと思える。もちろん,弁護士といえども,会社経営の中に細々と立ち入って,これは適法,あれは違法とまで判別するというのは至難であるが(逆に法務部のあるような立派な会社から,スレスレの行為について適法性のお墨付きを求められるのも苦しいものがある。),弁護士のアドバイスで,普段から経営の適法性についての意識を高めていれば,弁解のできない不正行為には,いささかなりとも歯止めになるはずである。

 法務大臣の発言は,そのような現実に機能している,そしてまた,あるべき弁護士の姿を理解しているとは到底思えない。

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 たしかに,700人に1人という数字だけを言われると,気分的にも引いてしまうが,司法制度改革審議会の意見書によると,平成9年における法曹1人あたりの国民の数は,アメリカが290人,イギリスが710人,ドイツが740人,フランスが2400人,日本は6300人とのことである。また,新規法曹資格取得者も,アメリカ57000人,イギリス4900人,ドイツ9800人,フランス2400人とされている。この数字を見れば,年間3000人なんて,大した数字ではないとも感じられる。

 アメリカが訴訟社会であるというのはよく言われることであるが,700人に1人レベルのイギリスやドイツが訴訟社会であるとは余り聞かない。各国で,法曹有資格者の供給が過剰であるという話も聞かない。各国の法務(法律に関係する事務)がどのように担われているか,私には定かではないが,日本では,弁護士以外に,弁理士,司法書士,税理士,行政書士など,特定分野の法務事務を担う専門職があり,これがあるために,弁護士は比較的訴訟事務を多く担っているということもいえるが,それならば,もう訴訟社会が到来していてもおかしくないだろう。

 司法制度改革審議会で,そのような問題がどのように扱われたか,やはり私には定かではないが,審議会が多くの有識者を集めて討議した結果の報告書であるから,そのような実情を無視して,抽象的・観念的に結論を出したとも思えない。その上でなお,「我が国の法曹人口は,我が国社会の法的需要に現に十分対応できていない状況にあり,今後の法的需要の増大をも考え併せると,法曹人口の大幅な増加が急務であることは明らかである」とされている。

 それだけの重みのある審議会の結論を,不確かな知識,あやふやな論理で,(エクスキューズをつけながらも)間違っていると決めつけるのは,どうしたものか。もちろん,大臣としても政治家であるから,発言が政治的であるのは当然である。大臣が,各省の省益のみを代表して発言するのであれば,大臣が政治家である必要はないだろう。しかし,政治的発言と,思いつき発言は違う。いろんなエクスキューズはいいから,まず手近な事実を確認するくらいのことはやってから,発言をしないと,大臣の発言としての重みが出ないのではないだろうか。

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 余談だが,アメリカでは,判決が出て訴訟が終われば,双方で握手をするということがあるらしい。真偽のほどは定かではないが,訴訟は訴訟,結論が出ればそれでよし,という割り切った考えも,なるほど訴訟社会らしいといえばそのようだ。日本では,一旦訴訟ともなれば,一族郎党を巻き込んで,骨肉の争いとなり,末代まで言い伝えられる。
 そうだとすれば,「美と慈悲の文明」とは何なのか,分からなくなってしまう。





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