12月7日に,今年3回目になる死刑執行が行われた。刑事関係は不勉強であまり知識もないが,最近の法務大臣の発言の関係もあるので,少し考えてみた。
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今回の死刑執行は,3人の死刑囚に行われ,初めて,公式に,氏名・罪状が公表された。
公表された罪状によれば,藤間死刑囚は,昭和56年から57年にかけて5人を刺殺,府川死刑囚は,平成11年に借金を断られた女性とその母親を殺害,池本死刑囚は,昭和60年に近所の3人を銃殺するとともに,1人に重傷を負わせたという。いずれも,その罪状からみる限り,死刑を免れない犯罪といえる。
藤間死刑囚と府川死刑囚については,より詳細な事件の内容が,事件史探求のサイトにある。
また,藤間死刑囚については,控訴取下書を自ら提出したのに,後に翻意して,控訴取下げの無効を主張し,その効力が争われた事件で,最高裁が,控訴の取下げを無効としたことでも話題となった。この決定は,最高裁のサイトの「裁判例情報」のページから検索をかけると,閲覧できる。
最高裁平成7年06月28日第二小法定決定・刑集第49巻6号785頁
☆☆☆☆☆
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ところで,これまでの死刑の歴史をみると,刑部のサイトには,これまでの死刑執行,死刑確定者,死刑判決を受けて未決の者の一覧が掲載されている。
さらに,統計数字だけだが,明治期以来の死刑の確定者数と執行数は,「無限回廊」のサイトに,戦後のもう少し詳しい統計が,「漂泊旦那の漂流世界」のサイトにある。
△△△△△
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今から振り返ってみると,特に昭和50年代は,死刑廃止論が盛んな時期で,大時代的な言い方をすると,戦後の混乱期を脱して,社会が安定し,凶悪犯罪や政治的背景のある事件も減少していて,もう死刑の抑止力に頼らなくてもいいのではないか,それよりも犯罪者の人権の方を重視すべきではないか,そのようにいわれていた時代だった。
そのことは,上記の死刑確定者数の推移からも知ることができる。上記の統計から見ると,明治初年には3桁の死刑執行が当たり前のようだったのが,昭和期に向かって,増減を繰り返しながらも執行数は減少を続け(この間,新規死刑確定者の数は明らかでないが,減少していることは間違いないと思われる。),戦後,昭和20年代から30年代にかけて,やや増えたかな,とは思えるものの,昭和40年代後半からは,新規死刑確定者が明らかに減少し,昭和46年から平成15年までの約30年間,1年の例外(昭和63年の11名)を除いて,1桁を続け,執行数も,昭和52年から平成18年まで,1桁を続けていたことが分かる。
また,このころは,昭和50年の白鳥事件の再審請求に対する最高裁決定があったりして,特に昭和20年代から30年代にかけての凶悪事件とされた事件を初めとして,冤罪に対する警戒感が高まっていた時代でもあり,世界的にみても,先進国での死刑廃止がトレンドとなっていたこともあって,死刑に対する消極的な評価が強かった時代でもあった。
1975年(昭和50年)5月20日・刑集29巻5号177頁
▽▽▽▽▽
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しかし,私の漠然とした記憶からすると,ちょうど,このころから,ちょっと常識を越えるような凶悪事件が起こるようになってきた。
その一つの流れが,いわゆる過激派の事件で,昭和46年の連合赤軍の榛名山でのリンチ殺人事件あたりから始まり,その後の爆弾テロ事件につながっていく。その一方で,政治的・思想的背景のない事件でも目立って凶悪な事件が発生する。例えば,突出して異様な事件でとして,オウム真理教による松本サリン事件と,地下鉄サリン事件があったが,その他にも,勝田清孝による連続殺人事件(昭和47年~57年),宮崎勤による幼女誘拐殺人事件(平成元年),埼玉県での愛犬家連続殺人事件(平成5年),酒鬼薔薇聖斗による小学生猟奇殺人事件(平成9年),和歌山の毒入りカレー事件(平成10年),宅間守による池田小学校乱入殺傷事件(平成13年)などなど。また,いわゆる通り魔殺人が連発し,犯人とは何の関係もない被害者が殺害されるなどということもあった。
藤間死刑囚の事件も,このような特異な事件の一つとして記憶している。
このような事件については,「ノンフィクションで見る戦後犯罪史」のサイトが,見やすくまとめている。
◇◇◇◇◇
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全体の犯罪が減少傾向にある中で,なぜか凶悪事件が突出しているというのが,近年の傾向のように感じられる。
そのような流れで,今では,死刑廃止をいうのも,何となく気が引ける状況にあるし,私自身,個人的にも,今の日本の状況では,死刑の存置も仕方がないと思えるようになっている。
※※※※※
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確かに,死刑が存置されていることにどれほどの抑止力があるか疑問が抜けきれないし,冤罪が全くなくなるわけでもない。特に,性格異常のようなものが背景にある最近の凶悪犯罪に,死刑が歯止めになることは期待薄であろう。また,執行する側の負担も並大抵ではないと思う。他方,被害者側としても,死刑が執行されることで,被害感情がどこまで癒されるのか,執行されたとしても,癒しきれないものが残ることは否定できないだろう。
しかし,それでも,やや語弊のある言い方だが,重罪については死刑をもって臨むという,国家の姿勢を示しておくことには,それなりに意味があるだろうと思える。
(つづく)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/kaeru_fine.gif)
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今回の死刑執行は,3人の死刑囚に行われ,初めて,公式に,氏名・罪状が公表された。
公表された罪状によれば,藤間死刑囚は,昭和56年から57年にかけて5人を刺殺,府川死刑囚は,平成11年に借金を断られた女性とその母親を殺害,池本死刑囚は,昭和60年に近所の3人を銃殺するとともに,1人に重傷を負わせたという。いずれも,その罪状からみる限り,死刑を免れない犯罪といえる。
藤間死刑囚と府川死刑囚については,より詳細な事件の内容が,事件史探求のサイトにある。
また,藤間死刑囚については,控訴取下書を自ら提出したのに,後に翻意して,控訴取下げの無効を主張し,その効力が争われた事件で,最高裁が,控訴の取下げを無効としたことでも話題となった。この決定は,最高裁のサイトの「裁判例情報」のページから検索をかけると,閲覧できる。
最高裁平成7年06月28日第二小法定決定・刑集第49巻6号785頁
☆☆☆☆☆
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ところで,これまでの死刑の歴史をみると,刑部のサイトには,これまでの死刑執行,死刑確定者,死刑判決を受けて未決の者の一覧が掲載されている。
さらに,統計数字だけだが,明治期以来の死刑の確定者数と執行数は,「無限回廊」のサイトに,戦後のもう少し詳しい統計が,「漂泊旦那の漂流世界」のサイトにある。
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今から振り返ってみると,特に昭和50年代は,死刑廃止論が盛んな時期で,大時代的な言い方をすると,戦後の混乱期を脱して,社会が安定し,凶悪犯罪や政治的背景のある事件も減少していて,もう死刑の抑止力に頼らなくてもいいのではないか,それよりも犯罪者の人権の方を重視すべきではないか,そのようにいわれていた時代だった。
そのことは,上記の死刑確定者数の推移からも知ることができる。上記の統計から見ると,明治初年には3桁の死刑執行が当たり前のようだったのが,昭和期に向かって,増減を繰り返しながらも執行数は減少を続け(この間,新規死刑確定者の数は明らかでないが,減少していることは間違いないと思われる。),戦後,昭和20年代から30年代にかけて,やや増えたかな,とは思えるものの,昭和40年代後半からは,新規死刑確定者が明らかに減少し,昭和46年から平成15年までの約30年間,1年の例外(昭和63年の11名)を除いて,1桁を続け,執行数も,昭和52年から平成18年まで,1桁を続けていたことが分かる。
また,このころは,昭和50年の白鳥事件の再審請求に対する最高裁決定があったりして,特に昭和20年代から30年代にかけての凶悪事件とされた事件を初めとして,冤罪に対する警戒感が高まっていた時代でもあり,世界的にみても,先進国での死刑廃止がトレンドとなっていたこともあって,死刑に対する消極的な評価が強かった時代でもあった。
1975年(昭和50年)5月20日・刑集29巻5号177頁
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しかし,私の漠然とした記憶からすると,ちょうど,このころから,ちょっと常識を越えるような凶悪事件が起こるようになってきた。
その一つの流れが,いわゆる過激派の事件で,昭和46年の連合赤軍の榛名山でのリンチ殺人事件あたりから始まり,その後の爆弾テロ事件につながっていく。その一方で,政治的・思想的背景のない事件でも目立って凶悪な事件が発生する。例えば,突出して異様な事件でとして,オウム真理教による松本サリン事件と,地下鉄サリン事件があったが,その他にも,勝田清孝による連続殺人事件(昭和47年~57年),宮崎勤による幼女誘拐殺人事件(平成元年),埼玉県での愛犬家連続殺人事件(平成5年),酒鬼薔薇聖斗による小学生猟奇殺人事件(平成9年),和歌山の毒入りカレー事件(平成10年),宅間守による池田小学校乱入殺傷事件(平成13年)などなど。また,いわゆる通り魔殺人が連発し,犯人とは何の関係もない被害者が殺害されるなどということもあった。
藤間死刑囚の事件も,このような特異な事件の一つとして記憶している。
このような事件については,「ノンフィクションで見る戦後犯罪史」のサイトが,見やすくまとめている。
◇◇◇◇◇
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全体の犯罪が減少傾向にある中で,なぜか凶悪事件が突出しているというのが,近年の傾向のように感じられる。
そのような流れで,今では,死刑廃止をいうのも,何となく気が引ける状況にあるし,私自身,個人的にも,今の日本の状況では,死刑の存置も仕方がないと思えるようになっている。
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確かに,死刑が存置されていることにどれほどの抑止力があるか疑問が抜けきれないし,冤罪が全くなくなるわけでもない。特に,性格異常のようなものが背景にある最近の凶悪犯罪に,死刑が歯止めになることは期待薄であろう。また,執行する側の負担も並大抵ではないと思う。他方,被害者側としても,死刑が執行されることで,被害感情がどこまで癒されるのか,執行されたとしても,癒しきれないものが残ることは否定できないだろう。
しかし,それでも,やや語弊のある言い方だが,重罪については死刑をもって臨むという,国家の姿勢を示しておくことには,それなりに意味があるだろうと思える。
(つづく)
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