水の丘交通公園

鉄道メインの乗り物図鑑です。
※禁無断転載!使用に際してはコメント欄にて
用途を申告してください。

名古屋鉄道 100系電車

2009-10-12 21:52:47 | 電車図鑑・私鉄電車(中部)
豊田線の開業と名古屋市営地下鉄鶴舞線直通開始に伴い登場した電車である。
昭和53年~平成6年にかけて、6両編成×11本=66両が製造された。
なお、編成は当初4両編成(豊田側からモ110+モ120+モ130+モ140)であったが、
平成5年の鶴舞線上小田井延伸と犬山線との直通開始に伴って
中間車2両(サ150+モ160)を組み込み、6両編成化されている。
同一車体ながら、主制御装置の方式や車内の座席のモケットなどが異なる
100系200番台(211~214編成)、及び200系(215編成)についても紹介する。

車体は鋼鉄製で鶴舞線と規格を合わせる為、20m・4ドア・両開き扉という、
当時の名鉄としては珍しい(昭和50年頃の名鉄の電車といえば2ドア
クロスシート車が主流だった)典型的な通勤型電車の形態を採用した。
これは終戦直後に国鉄よりもは63系電車の割り当てを受けて使用した
3700系以来のものであった。
塗装は名鉄のトレードカラーであるスカーレット単色である。
正面は同時期に登場した6000系電車に準じた平面パノラミックウィンドウの
貫通型で、窓周りを一段窪ませて、窓下にステンレスの装飾を入れている。
また、貫通扉の窓の装飾には名鉄の社章がエッチングされているが、
215編成ではMマーク制定後の登場であったため、これが省略されている。

車内はオールロングシートで、先述のとおりクロスシート車主体の当時の
名鉄電車としては珍しい形態を採用した。
しかし、カーテンはブラインドではなく横引きのプリーツカーテン、
奥行きの深い座席などサロン調に仕上がっている。
製造当初より冷房付きで側面窓は当時の通勤型電車としては珍しく
全て固定窓となっている。
最新の215編成編成では車端部貫通扉上にLEDスクロール式の旅客案内装置を
設置したほか、先頭車に車椅子スペースを設置している。
この他、モケットの柄やドア付近の袖仕切りの形状が時期によって異なる。

主制御装置やブレーキ、台車などは編成と製造された時期によって異なる。
まず、4両編成で登場した111~115編成の前後2両ずつ(モ110+モ120&モ130+モ140)が
抵抗制御、同じく116編成と211~214編成の前後2両(モ210+モ220&モ230+モ240)が
界磁添加励磁制御、最初から6両編成の215編成全車と111~116・211~214編成を
6両編成化する時に組み込んだ中間車のサ150+モ160(2両×6ユニット)&
サ250+モ260(2両×4ユニット)がVVVFインバータ制御である。
なお、VVVFインバータ制御は本形式が名鉄で初めて採用である。
ブレーキは111~115編成が発電ブレーキ、116編成以降は回生ブレーキ併用の
電磁直通ブレーキである。
台車は111~116・211~214編成の前後2両がダイレクトマウント式空気バネ台車、
215編成全車(ク215+モ225+サ255+モ265+サ235+モ245)と
サ150+モ160&モ250+モ260がボルスタレス台車である。
215編成については編成の機器構成も大幅に変更されているため、
200系に改称されている。

原則的に犬山線・豊田線の鶴舞線直通列車や鶴舞線内での折り返し運用が
主体となっており、自社線の急行などの優等列車に入ることは無い。
昭和55年に鉄道友の会よりローレル賞を受賞している。
登場時は豊田線が開業前であったので三河線で使用された。
また、平成3年に増備された211編成~214編成は鶴舞線の上小田井延伸まで、
各務原線、犬山線、名古屋本線、常滑線、広見線で使用された。
特に混雑の激しかった犬山線では2本を組んだ8両編成の急行で走ったこともある。
平成5年に中間車2両が組み込まれて全車6両編成となり、翌年には上小田井駅の
折り返し線の完成による運用増で200系(215編成)が増備された。
211編成は東海豪雨による車両不足のため名古屋本線で中間2両を抜いて
使用されたこともある。

平成13~16年にかけて連結部分への転落防止幌の取り付け、平成17年に
ボルスタレス台車を使用している車両について台車の交換を実施している。
平成20年に回生ブレーキを有していない車両の淘汰を進めると名鉄より
発表されたが、上記以外に大きな改造を受けることも無く、今後も
しばらくはこのまま使用されると思われる。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。