水の丘交通公園

鉄道メインの乗り物図鑑です。
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近畿日本鉄道 3200系電車

2008-10-30 18:40:07 | 電車図鑑・私鉄電車(関西)
京都市営地下鉄烏丸線への直通用として、昭和61年に登場した車両である。

地下鉄直通に限定して使用することを想定しており、これまでの近鉄の
電車のイメージとは異なるデザインとなった。
正面はくの字の柔らかい流線型で、貫通扉は正面向かって左側に
オフセットされている。
車体はアルミ製であるが、シルキーホワイトと近鉄マルーンの2色で、塗装されている。
本形式の塗り分けは、後に在来車や後継車種にも引き継がれている(平成12年登場の
シリーズ21登場まで)。

車内はロングシートでドアは両開きドアが片側4箇所にある。

主制御装置はVVVFインバータ制御である。これは近鉄の量産車としては初めての
採用となった。
ブレーキは他形式との連結を行わないため、電気指令式ブレーキが採用されている。
運転台はデスク型ツーハンドルマスコンである。

編成は当初、4連6本が投入されたが、昭和62年に中間車2両を増結、
さらに6連1本を増備して6連7本になっている。
この際、増備された3207編成は近鉄で初めて、行き先表示幕が当初より、
編成単位でローマ字併記のものになった。

地下鉄直通用の電車ではあるが、運用の都合で新生駒トンネルなどの
山岳トンネルに入ることもある。

先述した通り、京都市営地下鉄烏丸線との乗り入れ運用が主体となるが、
毎日、何本かが余るので近鉄線内のみで運用されることも少なくない。
地下鉄直通急行で近鉄奈良に出る列車については、奈良線を折り返して
近鉄難波まで来ることもある。
逆に京都市と近鉄の車両走行距離の調整から、京都市営地下鉄線内だけの
列車に使用される場合もある。

平成19年末より車体更新改造が進められており、外観はそのまま、
内装の張替えや一部機器の更新などが行われている。

JR東日本 E217系電車

2008-10-26 22:40:10 | 電車図鑑・JR新系列一般用車両
横須賀線・総武快速線で運行されていた113系電車の老朽化に伴う置き換えのため、
平成6年に登場した車両である。

京浜東北線で運行を開始していた209系電車をベースにしながら、
近郊区間の運用に対応できるように設計されている。
首都圏の通勤輸送に対応するため、近郊型にカテゴライズされる車両としては
初めての4ドア車になった。

車体はステンレス製で、投入線区に合わせて、「スカ色」の帯が入っている。
正面貫通扉横には帯色のロゴと形式ロゴ、「EAST JAPAN RAILWAY COMPANY」の社名ロゴが
刻印されている。
先頭車は踏切事故での乗務員の安全性を向上させるため、クッラッシャブルゾーンを
設けて乗務員室を従来よりも大幅に拡大した。
そのしわ寄せが客室側に来ており、運転室直後のドアと2つ目のドアまでの間隔が
詰められ、その分、座席も少ない。
運転台は片手操作式のワンハンドルマスコンである。
錦糸町~東京~品川間で地下を走るため、非常用貫通扉を正面に配している。
行き先表示は字幕式であったが、後期増備のものと更新車ではLED式になっている。
主制御装置は209系準拠のVVVF制御(GTO素子)で、最高120km/hでの運行が可能である。
台車は同じくモノリンク式ボルスタレス台車で、高速運転時の乗り心地低下を防ぐため、
グリーン車にのみ、ヨーダンパーを装備している(最初に増備されたものは普通車
にもあったが後に撤去)。
基本編成には、11両中4両しかない電動車の性能低下を防ぐため、単独走行時に
モーターに流れる電流量を増加させる機能がある。

編成は、グリーン車を含む基本編成11連と普通車のみの付属編成4連があり、
最大15連を組む。
東海道線では東京寄りに付属編成を連結するが、本形式は逗子駅の配線の都合で
久里浜側に連結される。
基本編成は久里浜まで乗り入れるが、途中の田浦駅のホームが短いため、
1・2号車と10・11号車にドアカットの機能があり、ドアにそれを示すステッカーが
貼られている。
グリーン車は4・5号車に連結されている。

トイレは普通車が、久里浜側先頭車(付属編成も含む)、グリーン車が4号車に設置している。
基本編成普通車が車椅子対応の洋式、グリーン車は洋式、付属編成は和式となっている。
初期の編成では基本編成の普通車も和式であったが、後に先頭車を付属編成に
振り替えて、先頭車を新しいものに交換している。

車内は普通車がロングシートとセミクロスシートの2種類で、基本編成の千葉側3両が
セミクロス、他はロングシートである。
千葉側先頭車はセミクロス車だが、ドア直後と2番目のドアの間だけ、間隔が狭いため、
ロングシートとなっている。
グリーン車は2階建てで片持ち式台座を使用した回転リクライニングシートである。
この台座は窓際に偏って脚があるため、座ると脚が伸ばせない弱点がある。
座席を回転させるときは肘掛後ろのレバーを引く少々特殊なものとなっている。

登場以来、横須賀・総武快速線に集中的に投入され、平成11年までに同線の113系を
全て置き換えた。
以降、同線の顔として君臨している。
平成13年~16年までは湘南新宿ラインでも新宿発着の列車に限定して
運行されていたことがある。
平成16年に湘南新宿ラインの運用が廃止になった際、余剰が生じたため、
15両編成3本を東海道線に転属させ、平成18年より同線で運行を開始している。
同線転属に際して編成を11連+4連から10連+5連に組み替えたほか、付属編成の
連結位置を東京側(横須賀線では千葉側)に変更した。
運行区間は半自動ドア用のボタンを持たないため、湘南新宿ラインや伊東線、
JR東海区間への乗り入れも行わず、東京~熱海(回送で来宮)間に限定される。

平成19年から車体更新が開始された。これに伴い、予備車が不足するため、
東海道線に転属した編成のうち1本が横須賀線に戻されている(東海道線にはE233系
3000番台15連(基本×10+付属5)1本が代替投入された)。
主な内容として、VVVF制御装置のIGBT化、発電機やブレーキシステムの多重化、
自動放送装置取り付け、帯色とロゴの変更、行き先表示と列車番号表示のLED化、
開閉可能な窓の追加、規制緩和に伴う正面貫通扉の埋め込みなどである。
行き先表示や列車番号のLED化や自動放送装置の取り付け、正面貫通扉埋め込みは
更新改造と関係なく行っているものもある。


グリーン車(写真は更新車)


未更新車。マグサイン式の列車番号や帯の形状が上のタイトル写真と異なる。



未更新車(上)と更新車(下)のロゴと帯の違い。帯色が淡いのが最大の違い。



普通車客室内。上がセミクロス車。下がロングシート車。
ロング車奥のトイレは車椅子対応のもので、車体中央側に張り出している。


東海道線転属車。現在は2編成30両が運行されている。
正面がノッペリしているように見えるのは、貫通扉を埋めた為。

広島電鉄 3800形電車

2008-10-21 13:02:03 | 電車図鑑・路面電車
昭和62年~平成元年に「ぐりーんらいなー」シリーズとして登場した
車両である。
製造メーカーはアルナ工機(→アルナ車両)で9本が投入された。

路面電車の市内線から鉄道線の宮島線に直通が可能な3体連接車で、
広島側から順に3800A+3800C+3800Bと編成を組む。
ドアはC号車が両引き戸で残りが片引き戸である。
車内はロングシートで、側面窓は戸袋窓と車掌窓以外は2連ユニット式の
2段窓(上段下降・下段固定)である。
運転台は2軸式ワンハンドルマスコンで、主制御装置にはVVVF制御を
広電の電車で初めて採用している。
製造された時期によって、正面の形状が異なる。これは同時期に製造されていた
市内線用の800形電車にも反映されている。
また、将来の連結運転を見越して、先頭車に連結器を設置できるように設計されている。
登場以来、荒手車庫に所属し、宮島線直通列車の主力車であるが、
混雑時などには、普段運用されない市内線各線区に入線することもある。

以下は形態別の写真と解説である。

○3801ACB~3803ACB号

3801ACB号。2つ下の3804ACB号と比較すると、側面方向幕の位置の違いがわかる。

3802ACB号。パンタの前に冷房用電源の箱がない。

昭和62年に製造されたグループである。ヘッドライトが丸型の横並びになっているのが
特徴である。上の写真の3801ACB編成だけ、側面の行き先表示の位置が異なる。
また、3802ACB号(下写真)と3803ACB号は冷房電源がC号車に1台だけと他の編成と
異なる(3701ACB号と3804ACB以降はA・B号車運転台側屋根上に1台ずつ(編成で2台)
搭載している)。
写真でもパンタグラフよりも前がスッキリしているのがわかる。

○3804ACB号~3809ACB号

3804ACB号。ライトが角型になった。

3806ACB号。本来の車番が広告で隠れるので、その下に車番が表記されている。

昭和63年と平成元年に製造されたグループである。ヘッドライトが角型ユニット式に
変更された。それ以外は側面字幕の位置は3802ACB以降に、冷房電源の位置は
3801ABCと同じである。

○車内

当時製造されていた広電の新車の標準といえる車内。
右側カードリーダー後ろに突出しているものは車掌用の腰もたれ。
すぐ後ろの客席との分離を図っている。車掌不在時は立席スペースとなる。

なお、広電の連接車は通常、運転士と車掌が乗務するツーマン運転である。
乗り降りの仕方は、C号車や先頭車の連結側から乗り込み、最前部か、後部の運転士、
または車掌のいるドアで料金を支払って降りる。
改札のある宮島口では乗車券を買って、着駅で乗務員に渡す。
他の宮島線各駅ではホーム又はドア横の整理券発券機で整理券を受け取って、
着駅で乗務員に料金を支払う。
広島駅前では、降車時にホームで運賃箱を持って待機している係員に料金を支払う。

伊予鉄道 モハ50形電車

2008-10-20 13:38:47 | 電車図鑑・路面電車
昭和26年~35年にかけて製造された、松山市内線用の電車である。
伊予鉄道の路面電車として最初のボギー車で、当時の主力だった木造単車を置き換えて
輸送力の増強と体質改善に大きく貢献した。
制御方式は初期型が直接制御、後期型が間接非自動制御であったが、現在は全て
間接非自動制御である。駆動方式は吊り掛け式である。
ドアは前中式2箇所である。ごく初期のものだけ、前後式であった。
車内はロングシートで、初期車は木製ニス塗り、後期車は淡いグリーン系の
車内となった。
ワンマン化は昭和45年~47年にかけて、冷房化は昭和56年~58年にかけて
全車に実施(後述の81号は冷房化未施工)している。
後継の2100形の登場により、一部に廃車が発生しているが、
現在も松山市内線の主力車両である。

以下に形態別の分類を紹介する。

■半鋼製車(51~61)
昭和26年~32年にかけて製造されたグループである。登場時は直接制御であったが、
昭和54年に路線全廃で廃車になった京都市電から機器を譲り受けて
間接非自動制御になっている。
車内は昔ながらの木製ニス塗りが維持されている。

○51~55号

昭和26年に51~53、同28年に54と55が製造された。
当初はドアの配置が前後式であったが、昭和44年に現在のスタイルに改造された。
集電装置は、51~53がトロリーポール(登場時)→ビューゲル(昭和28年)→
Zパンタ(昭和41年)と交換している。54と55は登場時よりビューゲルで、
前の3両と同じくZパンタに換装している。
現存する車両の中では最も古いグループだが、全車が健在である。

○56~61号

昭和29年に56~58号、32年に59~61号が製造された。
当初より、ドアの配置が前中式になった。また、側面の窓が上段窓を
Hゴムで固定した「バス窓」になったのが特徴である。
59~61号では、当時最新のコロ軸受け式防音防振台車を採用している。
集電装置はこのグループまでビューゲルで新造されている。


半鋼製車車内

半鋼製車運転台

上記グループのうち、56号車が新車の増備で廃車になっている。

■軽量車体車(62~78)
このグループから登場時より間接非自動制御・Zパンタとなった。
車体工法に当時のバスのものを採り入れた軽量車体を有するのが特徴で、
51~61号よりも2~3t軽くなった。
その分、車体の劣化が早かったのか、2100形の登場による置き換えが
このグループで進んでしまっている。

○62~64号
昭和35年製造のグループ。側面に車体補強のためのリブやリベットが目立つ。
前側のドアが2枚引き戸になっているのが特徴。
このグループは平成17年までに全車廃車となり、現存しない。
また当グループの全廃で前ドアが2枚引き戸の車両も消滅した。

○65~69号

昭和37年に製造されたグループ。車体構造は前の3両と同じだが、
前ドアは片引き戸に変更された。
65号が平成15年に廃車されている。

○70~78号

昭和39年に70~73、昭和40年に74~78号が製造された最終増備車。
車体工法を通常のものにしたため、側面のリブやリベットがなくなり、
スッキリとした外観になった。
台車は当初、コイルバネ式のものであったが、後に名古屋市電の中古品に
交換している。


軽量車車内。床だけ木張りである。

■その他のグループ
この他にも他社からの譲渡車を本形式に組み入れていた。
現在は全車廃車になっている。

○1001~1003号
元呉市電1000形を昭和42年に譲り受けて改造したものである。
外観や性能は62~64に近いが、製造されたのはこちらが1年早い(昭和34年製。62~64は昭和35年製)。
また、ブレーキ方法が、他が空気自動式(空気をシリンダーに送り込んだ分だけ
ブレーキがかかる)である中、セルラップ式(ブレーキハンドルの位置に比例して
ブレーキがかかる)を用いている点で異なっていた。
平成12年に1003号車が事故で廃車になったのを皮切りに、平成14年に1002号が、
同16年に1001号が廃車になり、このグループは消滅している。
1001号は廃車後、呉市に譲渡され、往時の姿に極力復元されて、呉ポートピアパークに
保存されている。

○81号
昭和46年に南海電鉄和歌山軌道線の321形電車324号(昭和38年製)を
譲り受けたものである。
ワンマン化やヘッドライト移設などの改造を受けている。
1両しかいなかったことや、車体の幅が狭かったため、京都市電より2000形電車を
譲り受けた際に予備車になった。
その後、冷房化やモーター、制御器の更新を受けることなく、昭和62年に廃車になった。
廃車後、しばらく古町車庫に放置されていたが、平成5年ごろ解体された。

名古屋鉄道 3780系電車

2008-10-18 18:46:55 | 電車図鑑・私鉄電車(中部)
昭和41年に登場したの3700系列の最終増備車である。

3700系列は支線で運行されていた電車の体質改善のため、
当時、多く運行されていた戦前製の木造車などの機器を流用して、
車体を新造した車両である。
軽量でスマートなスタイルの車体を有し、沿線から好評を博したが、
性能的にはHL(間接非自動)制御、吊り掛け駆動で、モーターの出力も弱く
最高速度も抑えられたものになった。

この3780系も、その一党であるが、車体の設計を大幅に変更した。
正面窓が平窓を付き合わせたパノラミックウィンドウになったほか、
ヘッドライトが左右2つに振り分けられた。
側面窓は2連ユニット式になり、支線での特急運用を想定してミュージックホーンを
正面貫通扉上に装備している。
また、当時製造されていたパノラマカーや「北アルプス」用のキハ8000系と同様に
冷房を搭載した。これはHL車で唯一である。
車内は1人掛けと2人掛けの転換クロスシート(扉付近は固定)を千鳥配置にした
特徴的なものであった。
塗装もライトパープルを初めて採用し、パノラマカー以外の他の形式にも波及した。
しかし、保線側や沿線から「遠方から見えない」とクレームがついて変更となり、
クリームに赤帯→スカーレットに白帯→スカーレット単色と他の形式同様に
塗り替えられた。

足回りはこれまで通りだが、初期車は台車を新造している。
先述のとおり、本形式は冷房を搭載しており、車体の強化や大型の発電機の搭載で
その分の重量が増加しているが、モーターは相変わらずのパワー不足であった。
このため、HL車の欠点である加速と高速性の弱さに拍車をかけてしまい、
ダイヤを乱すことも度々あった。

昭和53年に瀬戸線の栄町乗り入れと架線電圧の1500V化に伴い、全車が転属した。
転属時に車体の難燃化、客席のロングシート化を行った。
瀬戸線では、主に急行列車に用いられ、平成8年まで使用された。
引退後、全車が解体されたが、初期車が使用していた新造台車は6750系に流用された。

JR北海道 キハ59系気動車「アルファ・コンチネンタル・エクスプレス」

2008-10-15 19:18:30 | 保存車・博物館
キハ56系の改造で昭和60年に誕生した北海道リゾート特急シリーズの
第1弾となった車両である。

キハ56系はキハ58系の北海道バージョンで、昭和36年に主として急行列車に
投入された車両である。最盛期には15両編成の長大編成を組んで運行されたり、
ダイヤ改正に車両が間に合わなかった特急「北斗」の代走まで受け持ったことがある。
車内はオールボックスシートで床は冬季に靴についた雪が車内をぬらしても
すぐ乾くようするため、木造である。冷房は搭載しなかった。
グリーン車も存在し、こちらは回転リクライニングシートであるが、やっぱり冷房は
搭載されなかった。
昭和50年代初頭に急行の削減と特急の増発、残った急行も冷房付き・空気バネ台車の
14系客車が投入され、昭和55年以降はローカル運用のほうが多くなっていた。
そのローカル線も国鉄の赤字が膨らむ中で廃線の一途をたどって行った。

しかし、時代はバブル直前のリゾートブームで、北海道への観光客が増加。
それを背景に石勝線沿線に大型リゾートホテルが建設されるようになった。
当時は道路事情もよくなかったことから、石勝線が唯一の交通機関であったが、
臨時列車に入るのが、この古びた車両であった(初期型に到っては博物館
入りしていたものもあるくらい)ため、ホテルとお客から大いに不評であった。

そこでホテルから特別車両開発の提案が持ち上がった。これは特別車両を国鉄が
製造する代わりにホテルが列車を借りきり営業収入の保障をホテル側が
受け持つというものであった。
当時の国鉄の体質では受け入れがたい部分もあったが、分割民営化前の方針転換もあり、
国鉄とホテル双方の提携で車両の開発が進められた。

当初の編成は3両編成で、後に3両を追加(うち2両は塗装のみ変更)して最大6両で
運行された。
塗装は正面がゴールド、側面がダークブラウンにゴールドのステンシルラインが入り、
アクセントとして窓周りをブラックで塗り分けている。
車内は回転リクライニングシートで、冷房化、大型荷物置場の設置など、大規模に
手を加えられ、改造元のキハ56系を想像するのは難しい。

以下は本形式各車両についての概説である。

キハ59形(1・2)
本列車の先頭車両を構成。キハ56系200番台(昭和43年製造でキハ56系の最終増備車。
前面窓がパノラミックウィンドウで冷房準備車)の201と209が種車となった。
当時は製造後15年程と車齢も若い方で、冷房搭載準備車で改造が容易なことから、
選ばれた。
車体の4分の1を切り落として、ハイデッカー構造の展望室を設けた。
これは運転席を低くして客席を高くすることで展望を得る構造である。前頭部が
大きく傾斜しているため、暗い中でも運転席に反射光が入りにくく、客席からも
展望が楽しめた。

キハ29形(1)
本列車初期より連結されている中間車。車内に供食用のカウンターを設けていた。
種車はグリーン車のキロ26形201(キロ26形200番台)で、製造時より冷房を搭載し、
自車用の発電機を有していたが、他の先頭車へも給電する必要があるため、
3両分の冷房電源がまかなえるものに交換している。

キハ59形100番台(101)
登場後、好評を博したため、追加で改造された車両である。種車はキハ56形212。
出力を確保するため、2個エンジンのキハ56形(キロ26やキハ27は1個エンジン)を
ベースとしたが、発電機を床下に置けず、キハ29形からの給電能力も超えてしまうため、
床上に発電機室を設けている。発電機は自車用で他の車両への電力供給は行わない。
また、元は先頭車であるが、運転台を撤去した後、きっちり整形の上、完全な
中間車になった。

この他にキハ56形213号車とキロ26形202号車が車内設備はそのままに、塗装だけ合わせて
連結されたことがある。これは本形式の当時の人気振りを示すものであるが、
他の4両と比べて車内が明らかに違うものであることから、不評であり、
すぐに通常の仕様に戻されている。

本形式は、その秀逸なデザインと設備のよさから注目の的となり、道内各地で
臨時列車や団体列車などで活躍した。
特に先頭部分の形状はデザインのみならず、強度面でも優れていたことから、
JR東日本の「アルカディア(→現在の「kenji」)」、JR西日本の「ゆぅトピア和倉」に踏襲された。

その後も本形式の好評を受けて登場したリゾート特急シリーズと共に運行されたが、
台車が金属バネで乗り心地に劣ること、最高速度が95km/hまでと他の車両に劣ること、改造から年月がたち、老朽化が進んできたことから、平成7年に営業から引退した。
廃車後も、しばらく苗穂工場で保管されていたが、競売に出され、
キハ59形2号車が千歳市内の牧場に引き取られた。また、キハ59形1号車は先頭部分を
切り取って、苗穂工場内の北海道鉄道技術館に展示されている。


北海道鉄道技術館にて展示されているキハ59形1号車の先頭部分。

◇北海道鉄道技術館◇
場所・JR北海道苗穂工場内
行き方・札幌駅から岩見沢・千歳方面に普通列車で1駅目の苗穂駅で下車。
徒歩15分~20分程度。快速などは停車しないので注意。
入館料・無料。苗穂工場入口の守衛所で入館手続き後、係員の誘導で入館する。
開館日・第2・第4土曜日の13:30~16:00
注意点・係員の誘導に従い、絶対に立ち入り禁止の場所には入らないこと。

鉄道事業者紹介:伊予鉄道

2008-10-09 23:42:37 | 鉄道事業者・路線紹介
伊予鉄道は愛媛県松山市を中心とした中予地方に路線を延ばす私鉄である。
松山市内を走る軌道線(市内電車)と松山市駅を拠点に郡中港、高浜、横河原へと向かう
鉄道線(郊外電車)を有する。

■沿革
明治21年に松山(現・松山市駅)~三津間が開通したのに始まる。
これは四国で最初の鉄道であり、日本最初の軽便鉄道でもあった。
当時運行された車両は、夏目漱石の小説「坊っちゃん」に「マッチ箱のような汽車」と
記されたことで有名で、いつしか「坊っちゃん列車」の愛称で親しまれるようになった。
その後、横河原線の開通、道後鉄道、松山電気鉄道、南予鉄道の合併を経て、
現在の路線形態が、ほぼ形成されている。
戦前は主に市内線と高浜線の電化・複線化、全線の軌道幅を1067mmへの統一が進められた。
戦後は終戦直前の松山空襲からの復興を進め、昭和25年に郡中線の電化が完成した。
非電化だった横河原線では、ディーゼル機関車の導入を進め、
昭和29年に蒸気機関車牽引の「坊っちゃん列車」が廃止になった。
なお、横河原線は昭和42年に電化が完成し、伊予鉄全線の電化が完成した。

昭和40年代以降は車両の冷房化、大型化、パーク&ライドの実施、
駅構内のバリアフリー対策の実施、ICカードの導入と割引制度の採用など、
施設の改善を積極的に進めている。
平成13年から軌道線で、開業時の列車を再現した観光列車「坊っちゃん列車」の
運行を開始しており、内外の観光客から人気を集めている。

■営業運転区間
■■鉄道線

・高浜線・・・松山市~高浜間

・横河原線・・・松山市~横河原間

・郡中線・・・松山市~郡中港

※概要
高浜線と横河原線は終日直通運転を行い、郡中線は線内折り返しが基本となる。
列車の編成はデータイム2連、ラッシュ時3連、4連である(郡中線は終日2連)。
3連で運行される列車はラッシュ明けに高浜側先頭車1両が切り離され、留置線のない
松山市駅から車庫のある古町駅までの間で、先頭車だけが走っていくという、
何ともシュールな光景が展開される。
高浜線大手町駅には全国唯一となった市内電車との十字クロスがある。
現在の営業列車は全車冷房車となっている。
タッチ式ICカード「い~カード」で乗車すると運賃が割引になる。

■■軌道線


1号/環状線外回り・・・松山市駅~JR松山駅~古町~木屋町~上一万~大街道~松山市駅

2号/環状線内回り・・・松山市駅~大街道~上一万~木屋町~古町~JR松山駅~松山市駅

3号/市駅線・・・松山市駅~大街道~上一万~道後温泉

5号/JR駅線・・・JR松山駅~南堀端~大街道~上一万~道後温泉

6号/本町線・・・本町六丁目~西堀端~南堀端~大街道~上一万~道後温泉

坊っちゃん列車・・・古町~JR松山駅~大街道~道後温泉/松山市駅~大街道~道後温泉
※概要
「坊っちゃん列車」以外、全車ワンマン運転で後ろ乗り前降り。運賃は150円均一。
1日乗車券は300円である。
「い~カード」で乗車すると運賃が1割引になるほか、4回以上乗ると、
乗車当日に限り乗り放題になる。
坊っちゃん列車は1乗車300円である。1日乗車券では乗れない上(別途運賃が必要)、
い~カードも対応していない。
ただし、坊っちゃん列車1乗車付き1日乗車券(500円)はある。
車庫は古町にあり、鉄道線工場と同居している。

■車両
◇鉄道線
700系・・・元京王電鉄5000系電車

800系・・・元京王電鉄2010系電車ほか。

610系・・・オリジナルの新車で唯一のステンレスカー。

300系・・・郡中線電化の際に導入した電車。中間車は東急の中古車を改造したものだが、
車歴を遡ると大正時代に作られた鉄道省の木造電車に行き着く。
足回りの更新などが為されているが、昨今は運行されていない。

モニ30・・・古町車庫の入換車だったが、現在は使用されず構内に留置。

◇軌道線
50形・・・オリジナル車で伊予鉄軌道線最初の大型ボギー車。製造時期で形態が大きく異なる。2100形の登場で一部廃車。

2000形・・・元京都市電2000形。

2100形・・・オリジナルの新車で部分低床車。ドアとドアの間だけノンステップ。
車体側面の余白にメッセージが書かれている。

D1形・D2形・ハ1形・ハ31形・・・「坊っちゃん列車」用の車両。機関車はディーゼル式。客車の屋根上には、ポイント切り換えのためのビューゲルを装備している。
編成はD1形+ハ1形2両/D2形+ハ31形である。

◇保存車
ハ31・・・本物の「坊っちゃん列車」で使われていた客車。モニ30と並べて置いてあるが、
状態の悪化により、カバーで覆われている。
600系・・・鉄道線最初のカルダン車。610系の導入で廃車。
この他、梅津寺パークに「坊っちゃん列車」1号機関車の実物(鉄道記念物)、
子規堂に客車の実物が保存されている。

タビノワ:四国と本州の玄関口で (四国旅行最終日)

2008-10-06 14:27:36 | レポート:タビノワ
昨日とうって変わって、素晴らしい晴天となった。
昨晩のフロントの助言どおりに、朝一番で1階の朝食会場へ急ぐ。
開店と同時に座席を確保。「戦闘モード」に移行した。
いつものメニューが並ぶ中、最も目を引いたのは、讃岐うどんである。
客自身で湯がいて、薬味や汁を盛り付けるもので、美味いも不味いも自分自身の腕に
かかるというものである。
湯きりを派手にやりたかったが、周りに迷惑がかかるのと、自分の席がすぐ近くだったのでやめた。
そのせいか、少し水っぽくなった。

ホテルを出て、歩きで高松駅へ向かい、午後イチの伊予西条までの特急「いしづち」&「しおかぜ」の
指定券&グリーン券を購入。軽く構内を撮影した後、高松琴平電鉄(以下・琴電)の高松築港駅へ向かう。

高松城址である玉藻公園脇にある小さな駅から琴平線の電車に乗り込んだ。
この電車で車庫のある仏生山へ。ここには琴電の車庫がある。
駅に入る前の留置線にイベント用にとってある1000形電車などが見れた。
また、駅のすぐ横まで出ている留置線(廃線跡を流用しているらしい)に
元近鉄の電車であった23号車が置いてあった。

■23号電車。履歴を遡ると近鉄創業時代の電車になる。

それにしても琴電の車両はずいぶんと様変わりしていた。琴平線と長尾線は
京急の車両で占められ、志度線と長尾線の一部は名古屋市営地下鉄の車両で
ほぼ統一されている。
昔のような雑多な車種がひしめき合っているというものではなくなってしまった。
仏生山からは、琴平に向かう。土曜の割りに空いていた。

■琴平線電車。手前が1200形(元京急700形)。奥が1080形(元京急1000形)


琴電琴平で降り、周囲を散策したあと、JRの琴平駅へ向かう。
古い洋館スタイルの駅舎にでっかく「JR琴平駅」と書かれた看板がくっついて、
妙に台無し感が漂っているように見えるのは私だけか?

■JR土讃線琴平駅駅舎

ここから特急「南風」に乗って宇多津まで出て、そこから快速「サンポート」で高松に一旦戻る。
この列車、7000系電車2連なのだが、折り返しが松山行きとえらく気合の入った
列車であった。
中途半端に時間が余ったので高松駅で撮影と昼食をとって、なるべく高松から動かないようにした。

特急「いしづち」で宇多津に出て、そこから連結する「しおかぜ」のグリーンに乗り換える。
両端からの移動なので、ちょいと疲れた。もっとも、こんな乗り方をするのは
バースデーきっぷ利用者ぐらいなものだが。

伊予西条で降り、駅隣接の四国鉄道文化館に入る。伊予西条市の観光案内所と
同市出身の十河国鉄総裁の記念館も併設されている。
職員が独りしかいないため、電話対応やトイレに行かれると、チケットが買えない。
私も結構、待たされた。
さて、鉄道文化館には0系新幹線のカットボディとDF50形ディーゼル機関車が
保存されている。
DF50は車籍を有しており、展示場所もJRの線路と繋がっている処に置いてある。

■四国鉄道文化館にて。左が0系新幹線。右がDF50形ディーゼル機関車

ここをしばし見学して、高松に戻る。今度は2000系気動車の「しおかぜ」+「いしづち」。
一部がアンパンマン号だった。
はじめは琴平に向かおうかと思っていたら、多度津での土讃線の接続がわるいので断念した。


■伊予西条駅に入る特急「いしづち」

高松に戻って再度、高松築港駅へ向かう。時間的に厳しいが、まだ乗ってない志度線に乗るためだ。
入ってきた琴平線の電車で瓦町に出た。

降りようとしたら乗ろうとする奴らが道をあけないばかりか、乗り込んできたので、
旧ザク(機動戦士ガンダムより)よろしくショルダーチャージをかましながら降りた。
この後、撮影をしながら、観察したが、どうやら高松市民、若しくは香川県民には
「降りる人のため、乗車口を広く開ける」文化というか、概念がないようである。
駅前や街がどんなに現代的に開発されても田舎者揃いの街ということに
かわりがないようだ。
ちなみに、ここ数年で回った、静岡、浜松、名古屋、岐阜、大阪、京都、神戸、
福井、富山、金沢、鳥取、熊本、大分でこれが出来てなかったのは、私の見る限り
香川県だけである。琴電にあっては、県外の利用者も安心して乗車できるように
乗客のマナー向上啓発をお願いしたい。

瓦町で志度線に乗り換えて、次の今橋で降りる。ここには志度線の車庫がある。
本当は屋島のケーブルカー廃線跡や八栗ケーブルまで足を伸ばしたかったが、
時間的に不可能なので、できるだけ多くの車両を見ることに専念する。

■琴電志度線600系電車。写真は瓦町駅にて。

だいぶ暗くなってきたので、瓦町駅や高松築港駅で撮影をしつつ、高松駅に引き上げる。
駅構内の店で軽い夕食を済ませ、帰りの列車で食べる夜食や飲み物を買い込む。
その後は、撮影タイム。時間が許す限り、多くの列車を撮った。


■上がN2000系気動車と8000系電車の特急車同士の並び。
 下がキハ48系の国鉄カラー復元車。もちろん、これ以外にも撮った。

そうこうしているうちに四国からの別れの時が来た。
東京行きの寝台特急「サンライズ瀬戸」号が入線してきた。

■285系寝台特急電車「サンライズ瀬戸」号

全車個室(一部除く)ダブルデッカーの寝台列車で朝日を思わせる赤系の塗装が目を引く。
私の部屋はシングルツインで、二人使用も可能な上下に長い部屋だった。
デッキにも一番近く、トイレやごみ捨てには便利な場所だ。
上段は荷物置場にして下段で寝ることにする。
瀬戸大橋を渡り、岡山で「サンライズ出雲」号と連結し、東京に向かう。
岡山を過ぎてすぐ眠ってしまい、起きたら大船の辺りだった。
東京に着いて中央線に乗り換えて、中野経由で帰った。
途中の中野で183系の臨時列車を見れ、最後の最後まで収穫の多い旅であった。


久しぶりの四国で、あちこち周ったので、散漫になってしまった部分も多かった。
次回はもう少しゆっくりと回れるように、余裕のある計画を練るように心掛けたい。
                                   ・・・タビノワ:四国旅行編終

タビノワ:鯨と鰹と一豊と龍馬の町で (四国旅行3日目)

2008-10-03 21:41:42 | レポート:タビノワ
朝起きたら、雨が降っていた。天気予報を見ると、午前中いっぱいは降るという。
雨が降るなら、撮りはほとんどできんなぁ。ひたすら土電とごめん・なはり線に乗るかなぁ・・・
なぞと思いつつ、ホテル1階に入っているコンビニへ。
なぜコンビニかというと、ここのイートインコーナーが、朝食場所になっているからだ。
さすがに前日の某大手ホテルに比べるべくもないが、思ってたよりも良かった。
ただし、配膳のオバチャンが立っているので、ご飯はともかく、
おかずのお代わりはしづらい。
外の様子を見ると、晴れ間が出てきて、雨もだいぶ弱くなってきたようだった。
前日と同じく8時過ぎにチェックアウト。もう雨は、ほとんど降っていなかった。

とりあえず、土佐電気鉄道(以下・土電)の桟橋車庫まで行って見る。
ちょうど、ごめんやいの方面からの入庫列車が集中している時間だったので、すぐ来た。
車内で全線1日乗車券を購入。運転士は女性の方だった。
桟橋車庫に着くと先客がいる。ウザイw向こうもそう思ってるんだろうけど。

車庫の周辺は、電車の渋滞が出来ていた。入庫線を信号待ちの車が塞いでしまうのが原因のようだ。


■桟橋車庫電停付近の状況。奥の右折しようとしている電車が曲がれず、手前2台は待機中。
後ろから、奥には次の電車が来ている。

しばし撮影の後、高知駅へ向かい、みどりの窓口で高松行き特急「しまんと」の
指定席をとる。
高知駅前に入るちょっと前、電車の中から、伊野側の留置線に土佐くろしお鉄道
ごめん・なはり線の9640-S形眺望車がいるのを発見していたので、
それを待って、奈半利に向かった。
この車両の海側側面は船のオープンデッキの様になっており、ごめん・なはり線内では
潮風を浴びながら、太平洋を一望することが出来る。


■土佐くろしお鉄道9640-S形。こちら側の側面が眺望デッキ側。

あいにくの天気ではあったが、太平洋の眺めはよかった。1時間半ほどで奈半利について
駅前の豚カツ屋で昼飯。柚子ベースの豚カツソースって珍しい。
土産物屋を軽く見つつ、高知方面へ折り返す。今度は普通のタイプの9640形。
当初は後免町で降りて、土電に乗り換える予定だったが、なんとなく変更して高知まで通す。
高知からは須崎行きに乗り換えて、伊野まで出る。
乗ったのはJR四国1000形。昨日の7000系の気動車バージョンみたいなものだ。
高知を出るとしばらくは住宅街が続くが、ロケーションがまるで台湾などの
アジアの鉄道のような雰囲気。朝倉を過ぎるとちょっとした山道を走るが、
この辺も国鉄型気動車と組み合わせたら、オールドファン感涙の風景である。


■JR四国1000形気動車。

伊野に着いて、土電の伊野電停に向かう。一応、駅前に「伊野駅前」という電停が
あるが、歩いてすぐの場所に終点の伊野電停がある。
ここから、市内方面に戻っていく。
この付近では専用軌道を走るのだが、明確に整備されたものではなく、
電車側だけ未舗装になっている道路を走っている。


■伊野線の専用軌道。

鏡川橋までは単線でタブレットの交換をしながら走る。
沿線の雰囲気とかが、かつての名鉄美濃町線を思い出させる。
上の写真にも、チラッと出ているが元名鉄美濃町線の590形がいるので、
是非、この線でも走らせてほしい。
グランド通あたりで安全地帯が広くなってきたので、撮影のため県庁前で降りる。


■ツーマン時代の塗装に復元された200形213号車。

■600形の広告電車。左がクロネコヤマト、右がやなせたかし美術館。

■200形「ごめん」行き。他に「いの」、「朝倉駅前」行きは菱形看板をかけて走る(一部除く)。

この後、はりまや橋に向かうと復元電車「維新号」が見えたので降りる。
高知駅行きだったので折り返しを待って乗る。降車客がいると「チン」、
いなければ「チンチン」とベルを鳴らしながら走る。


■7号「維新号」。

桟橋車庫で降りて、高知駅に折り返す。維新号は入庫して、代わりに590形が出てきたので、
これに乗る。
さっきも述べたが、この電車は元々名鉄美濃町線で運行されてた電車である。
後部ドアが埋められ、降車ボタンが新品になったが、車内に入るだけで岐阜時代を
十分に思い出させる。
シートも張りがよくて、よく整備されてくれているようだ。


■590形。名鉄時代の雰囲気そのまま。

高知駅に着いて、今日の晩飯を買い込んで改札内に入る。JR四国の特急には
車内販売がないので食料と飲み物の確保は重要である。
ホームに上がるとキハ58系がいた。かつては急行列車を中心に四国のみならず、
全国を走り回った本形式であるが、この四国では、間もなく引退する。


■キハ58系気動車。

前日の新聞記事で走っているのはしっていたが、この時間とは思わなかった。
しばらくして、「南風」が入ってきて、その後、「しまんと」が入ってきて、連結した。
高松行き「しまんと」が前3両、岡山行き「南風」が後ろ4両の7両編成で走る。
昨日に引き続いて暗闇の中を進むが、いくらか慣れたので闇の中でもいくらか
周りが見れた。
どうでもいいが、揺れるたびに天井が、やたら歪むんですが・・・大丈夫・・なのかな?
宇多津で「南風」と切り離しを行う。すぐ後ろなので邪魔にならないところで見学。
手際よく、幌を切り離し、通路の扉を閉めて、スイッチの切り換えを行って完了。
3両の短い編成で高松に着いた。


■高知駅に着いた特急「しまんと」。普通の貫通2000+N2000+2000改の3連だった。

全く階段のない高松駅の改札を出て、ホテルに向かう。
よく整備された駅前だ。ガラス張りの駅舎に夜景も映える。


■高松駅夜景。手前の池は高松港の海水を入れた海水池。

今回のホテルは駅までちょっと歩いた。チェックインをしたときに
「本日、団体様がおりまして、朝食が混み合うかと・・・」とのことだった。
明日は飯のために早起きだ。そして四国最終日。四国鉄道文化館と・・・どこ行こう?
                                  

                                            ・・・続く。