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水の丘交通公園

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叡山電鉄 デナ21形電車

2009-05-27 21:00:00 | 保存車・博物館
叡山電鉄叡山本線の前身である京都電灯と鞍馬線の前身である鞍馬電気鉄道で、
路線の延伸などに合わせて製造された車両である。
昭和2年~3年にかけて10両が製造された。
車番は京都電灯側が21~24(昭和3年製)、鞍馬電鉄側が121~126(124まで昭和2年製。
残りは昭和3年製)である。

車体は内装が木造の半鋼製で、正面、及び側面の窓の上端に曲面が付き、
当時の鉄道車両で標準的に用いられていた窓上の補強材(ヘッダー)がない。
正面は緩やかな曲線を描いた3枚窓である。
塗装は緑一色で、集電装置はトロリーポールであった。

車内はロングシートで、木製ニス塗りの当時の電車としては標準的な車内であった。
性能面では、間接制御(抵抗制御)で、空気ブレーキを装備しているが、ブレーキの
メーカーや方式が京都電灯車と鞍馬電鉄車で異なっていた。
運転台は2ハンドルで、1両でも走れるように両運転台構造となっていた。

21~24は平坦線の叡山線用で、モーターが2個のみ、勾配線区対応の発電ブレーキを
有していなかった。ただし、一応、臨時での乗り入れも考慮してモーターの無い
台車のほうに線路に砂をまいて車輪の空転を防ぐ砂箱を設置している。

121~126は当初より勾配線区である鞍馬線向けだったので、当初より発電ブレーキを
装備しているほか、モーターが全車軸装備になった。
なお駆動方式は吊り掛け式である。

昭和17年の陸上交通統制法施行に伴い、両形式とも京福電鉄所属となり、
車番はそのままデナ21形としてまとめられた。

その後、車体塗装をクリームとグリーンのツートンカラーに変更したほか、
車内照明を管球に交換、マスコンの交換、ブレーキの共通化(20番台に発電ブレーキ
取り付け、120番台の空気ブレーキを20形と共通化)などが行われ、
昭和40年ごろから旧所属に拘らず、連結運用が出来るようになった。
なお、昭和39年に121・123号車が事故で廃車となっている。

昭和53年に集電装置をポールからパンタグラフに交換し、2両編成化された。
この際、連結部に貫通路を設置したほか、窓下の補強板であるウインドシルの
撤去(122号車は残存)、ポールの操作が不要になったので、運転台の窓を固定化し、
空気作動式ワイパーの設置などの改造を行っている。

昭和61年に京福電鉄から独立して叡山電鉄が発足した時も主力車であったが、
登場から60年以上が経ち、老朽化が目立つこと、サービス電源を持たず、
扇風機すら設置されていないことなどから、廃車が開始された。

まず、23・24号車がデオ710形711・712号に改造されて廃車になった。

残った車両は連結部の運転台を撤去して片運転台・固定編成化(運転席跡の乗務員用
扉とドアスイッチは残存)、ATS取り付けなどの改造が行われた。
しかし、これも長くは続かず、後継の800形810番台の増備で平成5年~7年にかけて
全車が廃車となった。

廃車後、21号車は車体丸ごとの保存が検討されたが、用地の問題で実現せず、
先頭部の運転席からすぐ後ろのドアまでの間と車輪が鞍馬駅で保存された。


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1 コメント

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Unknown (D)
2016-01-28 04:23:52
京都の地域レポートの制作のため、画像をお借りします。
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