水の丘交通公園

鉄道メインの乗り物図鑑です。
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京福電気鉄道嵐山線 嵐山駅

2010-10-13 20:14:04 | 駅舎・鉄道施設
京都の観光地の一つ、嵐山の玄関口として嵐山電車軌道が開業させた駅である。
駅番号はA-14。春・秋の行楽シーズンには大変混み合う。

■駅構内
終端駅であり、ホームは頭端式3面3線の配置である。
1番線~3番線まであり、1・3番線の外側には降車専用ホームがある。
2番線到着の電車は3番線ホームを降車ホームとして扱う。
1・2番ホーム四条大宮側に足湯を設置している。嵐電利用者以外でも利用可能。
1回150円(タオル付)。一日乗車券、その他フリーきっぷ利用者は1回100円。
その他のフリーきっぷについては、規則がそれぞれ異なるので、発行の業者、
または駅にて問い合わせのこと。
なお、1・2番線ホームが異様に広いのは、かつて乗り入れていた愛宕山鉄道の線路を
埋め立てたためといわれている。
嵐電はワンマン運転で基本的に車内で運賃を支払うが、当駅では改札口で
運賃の収受を行う。

■年表
・明治43年3月25日:嵐山電車軌道の駅として開業。

・大正7年4月2日:会社合併で京都電燈嵐山線の駅になる。

・昭和4年4月12日:駅移転。愛宕山鉄道(嵐山~清滝間)が乗り入れ開始。

・昭和19年2月11日:愛宕山鉄道廃止。

・昭和49年10月1日:駅舎改築。駅舎の2階より上に嵐山レディースホテル開業。
 日本最初の女性客専用ホテル。

・平成14年6月15日:嵐山レディースホテル廃止。

・平成14年10月26日:レディースホテル跡を改装した商用施設「嵐山はんなり・ほっこり
 スクエア」開業。

平成16年9月18日:駅構内ホーム上に「駅の足湯」開設。

■乗り入れ路線
・京福電気鉄道嵐山線
※阪急電鉄嵐山駅は、徒歩10~15分ほど。
※JR嵯峨野線嵯峨嵐山駅とトロッコ嵯峨駅は一駅乗った嵐電嵯峨駅での
 乗り換えが便利。

■過去に乗り入れていた路線
・愛宕山鉄道線
※昭和4年~19年まで。同線は愛宕山方面への観光鉄道として開通。
鉄道線の終点の清滝駅でケーブルカーに接続して愛宕山山頂まで通じていた。
戦時中、不要不急鉄道線として廃止。戦後も復活しなかった。

■駅周辺
 渡月橋(駅から徒歩5分ほど)
 臨済宗天龍寺派大本山天龍寺(駅から徒歩すぐ。世界遺産)
 野宮神社(徒歩10分程度)
 嵐山はんなり・ほっこりスクエア(当駅施設)
 嵐山駅の足湯(当駅施設)
※観光客向けの飲食店、土産屋なども軒を連ねるが概ね20時ごろで
 店仕舞いするので注意が必要。

■バス路線
駅前に市バスと京都バスが乗り入れている。
なお、バス停の名前が異なる。
・市バス(嵐山天竜寺前)
11系統・四条河原町・三条京阪方面/山越中町方面
28系統・京都駅方面/大覚寺方面
93系統・錦林車庫方面
・京都バス(京福嵐山駅前)
61系統・大覚寺前方面/三条京阪方面(太秦映画村・丸太町通経由)
62系統・清滝方面/三条京阪方面(太秦映画村・丸太町通経由)
71系統・大覚寺前方面/京都駅前方面(四条烏山経由)
72系統・清滝方面/京都駅前方面(四条烏山経由)
83系統・(五条経由)京都駅前方面/苔寺方面
90系統・西山高雄方面/阪急嵐山方面

■駅に関連すること
第4回近畿の駅百選に選定。
JR九州久大本線由布院駅と姉妹提携。


○嵐山駅構内。レトロ調電車モボ21形が停車中。


○1・2番線ホームにある足湯。


○駅近くにある世界遺産・臨済宗天龍寺派大本山天龍寺山門。

長野電鉄長野線 湯田中駅

2010-06-17 21:34:28 | 駅舎・鉄道施設
日本スキー発祥の地として知られる志賀高原への玄関口として昭和2年に開業した
駅である。

○年表
昭和2年4月28日:平穏線開通と共に同線の終着駅として開業。

昭和2年8月27日:路線名改称で山の内線の駅になる。

昭和6年7月10日:未着工区間の当駅~渋安代間の鉄道工事敷設期間延期が却下される。

昭和6年7月14日:上記を受けて湯田中~渋安代間免許失効。

昭和12年1月2日:国鉄の直通列車が初めて乗り入れる。
 ※その後、散発的に国鉄の乗り入れ列車が入る。

昭和24年5月10日:湯田中~渋安代間鉄道敷設免許再申請。

昭和30年11月15日:新駅舎(現駅舎)が完成する。

昭和32年3月15日:長野電鉄初の特急電車2000系が運行を開始する。

昭和33年5月13日:湯田中~渋安代間鉄道敷設免許失効。

昭和37年3月1日:国鉄信越本線急行「丸池」・「志賀」が定期列車として乗り入れを開始する。
 ※後に「丸池」と「志賀」は「信州」に吸収され、さらに長野電鉄直通編成が「志賀」として
  乗り入れるようになる。

昭和46年5月1日:貨物営業廃止。

昭和57年11月14日:国鉄の急行「志賀」廃止に伴い国鉄との直通運転が無くなる。

平成3年5月21日:長野オリンピック招致成功に伴い、駅名を「志賀高原」への改称を発表。
 ※地元湯田中温泉組合の猛反発を受け白紙撤回される。

平成14年9月18日:木島線の廃線に伴う路線名称の改称で長野線の駅になる。
 山の内線の名称は廃止。

平成16年12月10日:旧駅舎が国の登録有形文化財に登録される。


平成18年9月1日:特急「ゆけむり」の運行開始に伴う駅構内改修工事開始。
 3両編成以上の列車にて実施されていたミニスイッチバック廃止。
 工事期間中は上条~湯田中間はバス代行。

平成18年10月1日:駅構内改修工事完成。2面2線から1面1線に配線が変わる。

平成18年12月9日:1000系特急「ゆけむり」営業開始。

○乗り入れている路線
 長野電鉄長野線(終着駅)

○駅構内
 ホームは現駅舎側のみ使用の1面1線。駅に隣接して長電バスの湯田中駅バス停と営業所、
 車庫が存在する。
 また、特急列車の到着に合わせて周辺の温泉地から半被を着た番頭さんが旅館の旗を
 持ってお客を迎えに来る光景が現在でも見られる。

 かつては旧駅舎側にも線路が敷かれ、2面2線の配線であった。
 駅手前の急勾配とカーブの関係でホームの中心寄りにポイントがあり、
 3両編成で当駅に入る列車は、一旦、県道を交差する踏切を渡って当駅外れの
 引込み線(旧駅舎横のローソンの脇辺りまで伸びていた)に入り、
 バックで駅の構内に入りなおすミニスイッチバックを行っていた。
 発車のときも同様である(2両編成はそのまま停車可能)。
 
 急行「志賀」廃止後は旧駅舎側ホームを使用していなかったこと、「ゆけむり」の
 運転台は2階にあり後方監視が難しいことなどから現在の配線になった。
 引込み線の跡は線路は撤去されたものの現在も残っている。
 
 なお、旧駅舎は有形登録文化財として保存され、隣接して長野電鉄直営の日帰り温泉施設
 「楓の湯」がある。
 楓の湯の前には無料の足湯も設置されている。

○駅周辺
 湯田中駅旧駅舎(登録有形文化財)
 湯田中駅前温泉「楓の湯」
 ローソン湯田中駅前店
 世界平和聖観音
 湯田中郵便局
 八十二銀行
 長電バス湯田中営業所

○バス路線
 長電バス
  志賀高原・白根火山線(渋温泉・蓮池・硯川・白根火山・奥志賀高原方面)
  上林線(信州中野駅・上林温泉方面)
  夜行高速バス(京都・大阪なんば方面)

○今後の動き
 長らく当駅に乗り入れていた2000系特急用電車が、来年の春に引退する予定。
 代替にはJR東日本から譲り受けた253系「成田エクスプレス」が就役する。


○湯田中駅旧駅舎。登録有形文化財。後に特急「ゆけむり」が停車中。


○改修前の駅構内に停車する2000系C編成。
 現在この部分は車椅子用の渡り廊下が作られて、
 このアングルでの撮影は出来ないし、
 写真のC編成も平成18年12月に引退した。


○改修後の駅構内に停車する1000系第2編成。
 左側の線路がなくなり、カーブが緩和されているのがわかる。

伊予鉄道高浜線・市内線 大手町駅

2009-11-12 19:00:00 | 駅舎・鉄道施設
昭和2年に江戸町駅として開設された駅である。日本では唯一となった
路面電車との平面クロスが見られる駅として有名である。

○利用可能な路線
伊予鉄道高浜線
伊予鉄道市内線(大手町線)

○年表
昭和2年4月3日:江戸町駅として開業。同時に市内線古町~国鉄駅前開通。
昭和11年5月1日:国鉄駅前~西堀端間開通。乗換駅となる。
昭和28年7月1日:駅名を大手町駅に改称する。

○駅構内
高浜線、市内線共に2面2線の相対式ホームである。
高浜線の駅は改札内の地下道で上下ホームが結ばれているが、場所が極めて狭く
エレベーターやエスカレーターなどのバリアフリー施設は無い。
駅舎はなく、駅ビルに腹付けする感じで松山市駅方面ホーム側に改札口がある。
また、ホームの長さが3両分しかなく、朝の4連は1両締め切り扱いをする。
市内線は踏切を挟んで安全地帯が設置されている。概ね2両分ぐらいの
長さがある。
なお、坊っちゃん列車は通過する。

○駅周辺
徒歩圏内にJR松山駅がある。距離にして250mほどである。
それ以外は松山市街の外れであり、マンションやオフィスビルが多い。
駅前にはバス停があり、路線バスのほか高速バスのバス停もある。


東京急行電鉄 田園調布駅

2009-11-06 21:00:00 | 駅舎・鉄道施設
東急の前身である目黒蒲田電鉄の目黒~丸子(現・東急多摩川線沼部駅)間開業時に
開設された駅である。
元々、目黒蒲田電鉄はこの駅周辺の住宅地の販売を目的としており、東急発展の
歴史と重なり、地域との結びつきも強い。
現在は東京急行電鉄東横線と目黒線が乗り入れている。

○年表
大正12年3月11日:目黒蒲田電鉄目黒~丸子間開通と共に開業。
※当初の駅名は周囲の地名から「調布」であった。

昭和2年8月28日:駅名を「田園調布」に変更。

平成2年9月4日:旧西口駅舎での営業終了。後に解体。
 東横線、目蒲線(→目黒線・多摩川線)改良工事着手。

平成6年11月27日:目蒲線ホーム地下化。

平成7年:6月と12月に東横線ホーム地下化。

平成12年1月15日:旧西口駅舎復元完成(駅舎としての機能はない)。

平成12年8月6日:目蒲線の改良工事完成。運行系統が多摩川駅で分離され、
 当駅は目黒線の駅になる。

○乗り入れている路線
東京急行電鉄東横線:特急と通勤特急は通過。急行と各駅停車が停車する。
東京急行電鉄目黒線:急行・各駅停車両方が停車。

○駅構内
2面4線島式の地下ホームである。中線の目黒線ホームにはホームドアがある。
改札は地上部分に一箇所あり、東急スクエアガーデンと一体になっている。
改札付近にパン屋が入っているほか、売店もある。
トイレは改札内でユニバーサルデザイン対応。
当初の計画ではエレベーターの設置の予定は無かったが、沿線住民の要望で
設置された。これが東急における駅へのエレベーター設置の嚆矢となった。

1番線:東横線 武蔵小杉・横浜・みなとみらい線 元町・中華街方面
2番線:目黒線 武蔵小杉・日吉方面
3番線:目黒線 大岡山・奥沢・目黒・東京メトロ南北線・埼玉高速鉄道線・都営三田線方面
4番線:東横線 自由が丘・中目黒・渋谷・東京メトロ日比谷線方面
   
当駅の多摩川駅側には多摩川線に乗り入れるためのポイントがあり、
系統分離まで目蒲線の列車はここを走っていた。
改良工事以前は、3面4線で西側に東横線、東側に目蒲線のホームがあったほか、
荷物電車用のホームや留置線が広がっていた。

○駅周辺
いわずと知れた関東を代表する高級住宅街である。
当駅を中心に同心円状に道が伸び、その周りに多くの豪邸が並んでいる。

○バス路線
全て東急バスである。
西口を出て右側の駅にバスターミナルがある。

渋11系統:渋谷駅前行き
園01系統:千歳船橋行き
園02系統:世田谷区民会館行き
蒲12系統:蒲田駅行き
直行:IKEA港北行き無料シャトルバス

かつては成城学園行きや大森駅行き、京急バスと共同運行の羽田空港行き
(旧国際線ターミナル行き)が運行されていた。
大森駅行きは途中で桜坂を通過していた。

○今後の予定
東横線の渋谷~代官山間の路線改良後には東京メトロ副都心線の列車が乗り入れて
くる予定である。
当駅としては現時点での開発は終了している。


○現行駅舎。西から東に向けて傾斜しており、西側の復元駅舎は概ね建物
1フロア分高い。


JR四国 高知駅

2009-09-29 20:00:00 | 駅舎・鉄道施設
高知駅は鉄道省(国鉄を経て今のJR)が大正13年に高知線の日下~高知間を
開通させた際に開業した土讃線の駅である。
今回は土佐電気鉄道桟橋線の高知駅前電停についても紹介する。

◇歴史
大正13年11月15日:鉄道省高知線日下~高知間開業と共に開業。

大正14年12月5日:高知線が土佐山田まで延伸。途中駅になる。

昭和3年8月10日:土佐電気(→土佐電気鉄道)の高知駅前電停が開業。
・・・今の駅前の十字路を左に曲がった高知ホテルの前辺りにあった。

昭和26年5月24日:土佐電気鉄道電停移設。
・・・今度は逆に右に曲がったところの歩道橋の下あたり。

昭和45年:駅舎改築(先代の駅舎)完成。

昭和62年4月1日:国鉄分割民営化。JR四国の駅になる。

平成13年4月1日:土佐電気鉄道電停移設。
・・・現在地よりやや手前の駅舎真正面。

平成14年3月:高架事業のため駅構内にあった高知車両所を移転。

平成16年:高架事業着工。旧駅舎取り壊し開始。

平成20年2月26日:現駅舎竣工。高架化完成。

平成21年2月14日:土佐電気鉄道電停移設。新駅舎正面まで線路延長。

◇駅構内
※JR線

○1番線ホームに入った特急「あしずり」1号。

高架式の2面4線島式ホームで、1~4番線まである。構内の外れには
折り返し列車用の留置線が設置されている。なお、構内は非電化である。
発着番線は以下の通りである。

1番線:土讃線窪川・中村・宿毛方面。特急列車岡山・宿毛両方面(大半)。

2番線:土讃線窪川・中村・宿毛方面。特急列車岡山・宿毛方面(一部)。

3番線:土讃線土佐山田・阿波池田方面。

4番線:土讃線土佐山田・阿波池田方面。土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線方面。


○土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線。この後、一旦引き上げて4番線に移動する。

現在の駅舎は平成20年2月に共用を開始した。ホームを覆うように大屋根がかぶさり、
この屋根は「くじらドーム」と命名されている。この駅舎を初めとする高架事業に
対して第7回ランドマークデザイン賞が贈られている。
駅構内は白で統一され、南国の開放感を表現している。また、喫煙所はあえて
動線から外れたところに設置している。
駅構内には観光案内所、喫茶、居酒屋、パン屋、土産物屋兼コンビニがある
(全て改札外)。


○2・3番線に並ぶ1000形気動車の普通列車。

改札は高知県の駅で初めての自動改札機を導入した。私が平成20年9月に
訪問した際には改札機の技術者が常駐監視しており、改札の使い方が
わからないお客に使い方を案内をしたり修理したりしていた。

・・・ちなみに私はこんな光景を目にした。

ある老紳士が通ろうとすると改札機の券なし警報がなる。

技術者:「失礼ですがきっぷはお持ちですか?」

老紳士:「家内が持ってます」

その家内:にっこり笑って技術者にきっぷを見せる。

技術者:あきれながらも通り方を説明。

老紳士:「少し前までは(駅員が見てくれるから)良かったのに不便になったね」

戦前や終戦直後のローカル私鉄とかのエピソードで自動ドアにビックリしたとか、
車両が立派なので思わず下駄を脱いだというのがあるが、こういうのを
現代で目の当たりにするとは・・・。

※土佐電気鉄道
3面2線の頭端式くし型ホームである。年表に記したとおり、現在地まで4回の移動を
経ている。
ちなみに平成13年まで使われた電停の跡は駅前の歩道橋にくっきり残っている。

1番線:はりまや橋・桟橋5丁目方面

2番線:はりまや橋・枡形・桟橋車庫・桟橋5丁目方面・1番線降車ホーム兼用。

無番:2番線用の降車ホーム。


○土佐電気鉄道のホームで並ぶ600形のアンパンマン電車と元名鉄590形。
背景の大屋根が「くじらドーム」。

◇今後
平成21年夏頃までに旧駅舎跡の整地・再開発とバスターミナルの移転などは
ほぼ完了しているため、ほぼこのまま推移すると思われる。

南海電気鉄道 浜寺公園駅

2009-09-20 21:58:22 | 駅舎・鉄道施設
南海電気鉄道の前身である南海鉄道が明治30年に堺~佐野(→泉佐野)間を
開通させた際に開業した南海本線の駅である。
現在の駅舎は明治40年に建てられたもので、私鉄で現役の駅舎としては
日本最古のもので国の有形登録文化財に指定されている。

○年表
明治30年10月1日:南海鉄道の堺~佐野間開通と共に開業。駅名は浜寺。
明治40年:駅舎が現在のものになる。8月20日に浜寺公園に改称。
昭和19年6月1日:戦時合併により近畿日本鉄道(近鉄)の所属になる。
昭和22年6月1日:近鉄から独立し南海電気鉄道の所属になる。
平成10年:国の登録有形文化財に登録される。
平成19年:現駅舎が建設されて100年目を迎える。

○駅舎及び駅構内
現在の駅舎は東京駅や国会議事堂の設計に携わった辰野金吾が手がけたものである。
木造・平屋建ての洋風建築で柱や梁などに模様をあしらったハーフテンバー様式を
採用している。
駅舎のうち向かって右側にあった待合室は「浜寺ステーションギャラリー」となり、
左側は駅事務所になっている。改札は真ん中にある。
駅構内は変則2面4線の配置となっており、駅舎の反対側の和歌山方面ホームの
奥が1番線で手前が2番線。駅舎改札前が難波方面の3番線で3番線ホームの
難波側にある切り欠けホームが4番線となっている。
4番線ホームの向いには5番線があった形跡が残るが、いつまで使われたのか、
また実際に使っていたのかどうかの記録が少なく詳細は不明である。
ちなみに、この場所にはホームに近接してマンションが建っている。

○停車する列車
各駅停車のみである。かつては浜寺公園への観光客向けに停車していたようで
あるが、昭和21年ごろに通過駅に降格した。

○乗り換え
阪堺電気軌道阪堺線(浜寺駅前電停)。

○駅周辺
大阪府内屈指の高級住宅街として知られ、数寄屋造りの豪邸や洋館が立ち並ぶ。
駅名にある浜寺公園は駅の西側にある。

○今後について
大阪府と南海電鉄が進めている連続立体化工事(高架化)により、現駅舎が
解体される恐れがあった。しかし、地元住民などから反対運動が起こり、
長年の議論を経て、最終的に高架工事完成後、新駅舎の前に移築されることが
決定している。
なお、当駅より難波側に1つ隣りの諏訪ノ森駅も同世代の建築で同じように
保存問題で揺れているが、こちらについては先行き不透明である。

○写真

駅構内。向いが1・2番線ホーム。手前奥のポイントの先が3番線。

1・2番線ホームの待合室。年代不明だが、こちらも凝った意匠である。

4番線ホームに停車する9000系電車。手前側が3番線となる。
左のフェンスのある部分が5番線跡といわれる部分。

JR東日本 姨捨駅

2009-07-26 22:02:49 | 駅舎・鉄道施設
鉄道庁(当時)篠ノ井線篠ノ井~西条間の開通に伴い、明治33年に開業した駅である。

駅舎は大正末期に設計され、昭和2年に完成したものである。
平成の初め頃まで売店があり、硬券の委託販売をしていたが、店主が引退してしまい、
現在は無人駅である。しかし、駅舎・周辺ともよく整備されている。

構内はスイッチバック対応相対式ホームの2面2線で駅舎直結のホームが
長野方面用、反対側が松本方面用となっている。
現在、長野側にある駐車場の部分にも列車の暴走防止のための線路が敷かれていた。
当駅の前後は急勾配が続く区間で長野側の稲荷山駅~当駅間は8km程度しか
離れていないが、標高で200mも違う。
また、稲荷山駅~冠着駅間ではスイッチバック方式の信号所が当駅も含めて
3箇所もあり、この勾配の凄さを物語っている。
駅手前の信号所の関係で、貨物列車や優等列車は通過して、普通列車のみが
停車する。

当駅は山の尾根に沿って敷かれた為、たいへん見晴らしがよく、根室本線の
狩勝峠や肥薩本線矢岳駅と共に日本三大車窓の一つに数えられる。
また、当駅の景観は、上高地、天竜峡、寝覚ノ床、光前寺とならんで
長野県にある日本の名勝にも選ばれている。
ホームには松尾芭蕉の句碑があり、利用者が句を投稿できるように
用紙と投函箱が松本方面ホームに置かれている。

駅周辺は有名な景勝地である姨捨棚田(田毎の月)、姨捨山、姨捨公園、
千曲川展望公園、宝光院長楽寺などがある。
道は狭いが車でのアクセスも可能で長野自動車道の姨捨サービスエリアも近い。

当駅からしなの鉄道・長野電鉄屋代駅まで千曲市循環バス「めいげつ」号が
運行されている。この路線は沿線にこの周辺の観光地を含むほか、
区間によっては篠ノ井線列車よりも景色のいい場所を走る。
運行本数は少なめなので時刻表は要確認。ちなみに屋代駅まで所要時間30分ほどで
運賃は200円均一である。

昨今は臨時列車の設定が観光シーズンに多くなっているほか、休日には撮影に
訪れる人が多い。
特にイベント列車の撮影に車で訪れる心無い者の違反駐車が目立っており、
警察の取り締まりも厳しくなっているので注意されたい。


昼間の風景。善光寺平を一望できる。

こちらは夜景。これを目当てに遅い列車で訪れる人も多い。
ただし終列車の時間に注意。

姨捨駅に停車する115系の長野行き普通列車。停車するのは普通列車のみ。

JR四国 琴平駅

2009-04-25 11:28:19 | 駅舎・鉄道施設
JR四国土讃線の駅でJR側での金刀比羅神宮への最寄り駅である。
駅コードはD-15である。

ホームは駅舎直結で高松側にある切り込みホームの1番線、同じくすぐ目の前の
2番線、跨線橋を渡って3・4番線となる。

2番線が主に使われ、1番線は多度津・瀬戸大橋方面への折り返し運用中心、
3・4番線は阿波池田方面の列車とそれに接続する列車が使用する。
停車する列車は普通列車のほか、特急「南風」・「しまんと」も全列車停車する。
ただし、夜行列車の「ムーンライト高知」は通過時間帯が深夜なので停車しない。
なお、当駅より南側の阿波池田、高知方面は非電化で列車の本数も大幅に減少する。

駅舎は昭和11年に建設されたものである。内部には駅事務室のほか、
旅客待合所、売店(コンビニ)、みどりの窓口がある。
平成元年に四国鉄道100周年を記念して鉄道資料館も併設されたが、
現在は閉鎖され、資料は伊予西条の四国鉄道文化館に移転された。
この他、駅前に蒸気機関車の動輪が置かれている。

駅周辺は金刀比羅神宮の参堂となっており、土産物屋や宿などがある。
歩いて5分程度の場所に高松琴平電鉄琴電琴平駅があり、乗換えが可能である。

駅の開業は讃岐鉄道が明治22年に開業した際に設置され、四国のJRの駅では
多度津、丸亀などと並び最古の歴史を有する。
明治37年に山陽鉄道に吸収され、同鉄道の駅となるが、明治39年に一定規模の鉄道
会社を国の所有とすることを定めた鉄道国有法により国有化された。

大正11年の阿波池田方面への延伸に際し、現在地へ移設された。
尚、跡地は琴平参宮電鉄が払い下げて琴参琴平駅として利用された後、
現在はことひら温泉琴参閣が建っている。

昭和62年に国鉄が分割民営化され、JR四国の駅となり、現在に至る。


駅構内。2番線ホームから高松方面を望む。向いが3・4番線ホーム。
跨線橋は阿波池田側にある。


駅の上屋根にある金刀比羅神宮の御紋。軒先にズラッと取り付けられている。


駅舎の高松側の裏手にある折り返しホームの1番線に乗り入れた
JR西日本の115系電車。


駅前に展示されている蒸気機関車の動輪。

伊予鉄道 高浜駅

2009-03-15 11:00:00 | 駅舎・鉄道施設
伊予鉄道高浜線の終点駅である。

開業は明治25年である。現在位置には、明治38年に移転してきている。
現在の駅舎が建ったのは昭和6年の改軌・電化完成時といわれ、
平成20年に惜しまれつつ解体された三津駅駅舎とは同期である。

建物は木造2階建てで、愛媛県における本州との連絡口として栄えた頃を
偲ばせる大きなつくりのものである。
かつてはアールヌヴォ調の装飾が駅舎外部壁面にされていたが、
駅出入口側はペンキで塗りつぶされ、現存するのはホーム側の面だけである。

構内は、1面1線で駅舎と直結したホームがあるだけだが、
かつてはもう1本線路とホームがあった。

線路は駅舎から延びて、ラッシュ時に運行される増結車両の留置場所として
使用されている。

駅のすぐ目の前は高浜港フェリー乗り場で、興居島や忽那諸島からの高速船や
フェリーが発着している。
また、駅前から松山観光港行きのバス(片道150円)が発着しており、
広島・関西・九州を結ぶカーフェリーや高速船(高速船は広島方面のみ)に
乗り継ぐことが出来る。
ちなみに徒歩でも当駅から20分ぐらいでたどり着ける。


北陸鉄道 加賀一の宮駅

2009-02-11 06:00:00 | 駅舎・鉄道施設
北陸鉄道石川線(野町~加賀一の宮間)の終着駅である。昭和62年まで(列車が
運行されていたのは昭和59年まで)は当駅から金名線(※)が白山下まで伸びていた。

開業は昭和2年で金名鉄道の神社前駅として開業した。
昭和4年に金沢電気鉄道に当駅と鶴来駅の間が譲渡され、路線が電化された後、
昭和12年に現駅名に改称された。
昭和18年に北陸鉄道が発足して金名線の駅となった。
その後、金名線は当駅から、白山下までの路線を指すことになり、当駅から
鶴来・野町方面は石川線に編入された。

なお、2つ手前の鶴来駅から分岐していた石川線、金名線、
能美線(鶴来~新寺井。昭和55年廃線)を指して石川総線と呼ぶこともあり、
金名線、能美線の亡き今も地元ではそう呼ぶことがある。

駅の周辺には白山比神社があり、年末~正月にかけて参拝客で賑わう。
自動券売機の設置されていた跡があったり、臨時改札用の柵の跡が
残っていたりと駅員配置時代の面影が残るが、現在は無人駅である。
一時期、NPO法人が観光案内所として入居していたが、それも現在は
行われていない。

ホームと線路は1本ずつであるが、金名線があった頃はもう1本線路と
ホームがあり、昭和45年以降の日中はここで金名線の列車が折り返していた。

現在は概ね1時間に1本の間隔で列車が運行されているが、神社の参拝客の減少や
沿線の過疎化などで輸送人員が減り、赤字が累積しているため、
平成21年11月をもって廃止となることが決定した。

(※)北陸鉄道金名線
元々は金名鉄道の有してた路線で社名が示すとおり、金沢と名古屋を結ぶ壮大な
計画があった。しかし、当時は投資家の目を引くための名前だけがやたら
壮大な鉄道会社が多く、実際に名古屋まで延ばす気があったかどうかは
不明である。
路線開通は大正15年で白山下~加賀広瀬間、昭和2年に加賀広瀬~神社前(加賀一の宮)間、
同じく神社前~鶴来町間に延伸した。
開業時より資金繰りには相当苦労していたようで、加賀一の宮~鶴来間は
開通から僅か2年で、金沢電気鉄道に売却され、同社線に乗り入れる形で
金沢乗り入れは果たしたものの、白山下より先は開通させることはなかった。
昭和18年に戦時買収で北陸鉄道が発足し、同社の金名線となる。
全線電化の完成は昭和24年でそれまではガソリンカー、もしくは蒸気機関車が
運行されていた。
雪深い地域である為、冬場には住民総出で雪掻きをするなど、地域の足として
活躍した。また、この地区の開発や産業の発達に大きく貢献した。
しかし、並行する道路の整備が進み、昭和45年には日中の列車の運行が無くなり、
バスに代替された。
昭和58年に大雨によって鉄橋が破損し、しばらく運休となったが、翌59年には
復旧した。
しかし、この年の年末、運行開始前の点検で沿線の2箇所の鉄橋も
橋を支える地盤が風化しており、危険な状態であることが発覚し、
再度、列車は全面運休。
そのまま、さよなら列車の運行も無く昭和62年に廃線となった。