水の丘交通公園

鉄道メインの乗り物図鑑です。
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伊豆箱根鉄道 5000系電車

2008-05-30 19:23:06 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
伊豆箱根鉄道が大雄山線の旧型車の置き換えのため、昭和59年に導入したものである。
大雄山線用の電車としては初めての冷房車で、平成8年までに3連7本が製造された。

駿豆本線で運行されている3000系電車をモデルに設計されている。
そのため、制御装置(抵抗制御)、台車(FS-372形ダイレクトマウント式空気バネ台車)、
ブレーキ(発電ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキ)、
運転台(ワンハンドルマスコン)は同車と共通のものを
採用している。
ただし、大雄山線は緑町駅付近に急カーブがあり、車体の大型化が難しいため、
裾絞りのない形状となり、長さも18m級となった。

製造時期が長きに亘っている事もあり、車体を中心に編成ごとに仕様が
以下に挙げるように異なる。

第1編成は車体が普通鋼鉄製で、車内はロングシートである。
車庫が終点の大雄山にあり、路線の長さも短く、途中駅での折り返し運用も
ない事から初期の編成では、行き先表示を「小田原」・「大雄山」で固定して、
該当するほうの行き先を照明を点灯させて表示する「バイナリーヘッドマーク」を
採用している。

第2編成~第4編成は車体がステンレス製となり、補助電源装置がMGから
静止型インバータに変更になった以外は、第1編成と同じである。
その他、連結部の貫通扉の有無(現在は撤去)、社紋の色違いなど、
若干の個体差があった。

第5編成は第4編成までと外観は同じだが、中間車の車内扉間が転換クロスシートに
なったほか、側面にLED式の行き先表示が付いた。

第6~第7編成では、正面にスカートが付き、正面の行き先表示も
バイナリーヘッドマークからLED式に変更された。
車内も全車の扉間が転換クロスシートになった。
第7編成は車椅子スペースを設置している。

一部編成では車内妻部へのLEDスクロール式の旅客案内装置を取り付けたほか、
全編成で連結部への転落防止の外幌と吊革の交換を行っている。

現在は大雄山線の全列車が本形式で運行される。尚、重要部検査、全般検査など
大掛かりな検査を行う際は駿豆本線大場工場までJR東海道線を介して
回送される。


第1編成。普通鋼鉄製の車体である。


大雄山駅に並ぶ各編成。手前の編成がスカート付きの最新編成である。

熊本市交通局 1080形電車

2008-05-27 21:14:22 | 電車図鑑・路面電車
昭和29年から30年にかけて180形として登場した車両である。

基本性能などは1060形等と同じであるが、乗降口の配置が前中非対称配置になった
初めての車両である(それ以前は前後か前中後の対称配置)。
以降に登場する熊本市電の電車の扉配置は、基本的に本形式に
準ずることになった(一部に例外はある)。

窓は木製の窓枠を使用した2段窓で、窓の上下には車体補強のための
ウインドシル・ヘッダーが残る。
車内はロングシートで、他の車両が青いシートモケットを使用している中、
本形式は赤いものを使用している。

昭和43年にワンマン化改造を行い、現形式に改称されている。

昭和53年に連接車の5000形の投入で2両が廃車になったが、昭和55年に残存の
5両に冷房化が実施された。
その後、平成4年と平成13年に、合わせて3両が新車と入れ代わりで廃車となり、
現在は2両が残る。
この2両も老朽化が進行しているため、基本的に予備車となっており、
ラッシュ時以外、運用に就くことは少ない。

熊本市交通局 1060形電車

2008-05-25 08:21:16 | 電車図鑑・路面電車
熊本市が昭和26年に3両、導入した電車である。
登場時は160形と称し、片側3ドアであった。

車体は半鋼製で、窓枠も木製で、車体補強のための
ウインドシル・ヘッダーが残る。

車内はオールロングシートである。

主制御装置は直並列抵抗制御で、マスコンは直接制御の大型のもので、
駆動方式は釣り掛け式である。

昭和44年にワンマン化され、現番号になった他、運転席進行方向右側の
ドアが撤去されて、埋められた。
この部分だけ、ゴム支持の丸っこい窓となっており、
外観上の特徴となっている。

現存する1063号車は昭和55年に冷房の取り付けを行っている。
1061号と1062号は、冷房を取り付けることなく、昭和63年までに廃車された。

塗装は、昭和60年代以降、ホワイトにグリーンの細帯であったが、
映画に出演する際、昭和40年代の熊本市内を再現するため、
クリームに紺色の帯の旧塗装に戻された。

老朽化が進んでいることもあり、最近では、ラッシュであっても滅多に
動くことはない。
動くとしたら、上熊本駅~健軍町間の3系統での運用が
主体となる(あっても1往復で車庫入り)。

熊本電気鉄道 5000形電車

2008-05-24 20:40:48 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
旧型車の置き換えのため、昭和56年と60年に「青ガエル」こと
東急の5000系電車(初代)を譲り受けたものである。
熊本電鉄の車両として初めてのカルダン駆動車となった。

昭和56年に譲り受けたものは、5043号+5044号の1編成2連で、番号も塗装も
そのままで、架線電圧600V対応とした程度で運用を開始した。

その後、昭和60年に追加で4両を譲り受けた。これらは1両でも運行可能なように
連結側にも運転台を設けたほか、ワンマン運転用の機器を搭載している。
塗装についてもワンマンカーである事をアピールするため、オレンジと黄色の帯を
追加している。
車番も変更され、5101号~5104号になった。
昭和61年には、菊池線の菊地~御代志間の廃止に伴い、先に譲渡された
2連1本についても、ワンマン化を実施している。

昭和63年には5043号を両運転台化して、5105号とし、相方の5044号は休車(後に廃車)と
なった。

平成3年から塗装が変更されて、上半分が水色、下半分が青色でその間に白帯で
枠をとった赤帯が巻かれたものになった。

上記の通り、形態を変えながら、主力車両として活躍を続けたが、
超軽量構造の車体の老朽化が著しくなったため、平成7年から、都営三田線の
6000系を譲り受けて廃車が開始され、現在は5101、5102の2両を
残すのみとなっている。

これら2両は平成16年にATSを取り付けた際、塗装を東急時代のグリーン一色に
塗り替えられ、車番も5101A、5102Aに変更された。

熊本電鉄では、この2両を冷房化するか、冷房付きの新車に置き換える方針でいたが、
前者は車体の強度不足で、後者は適当な中古車が手に入らないため、
断念している状態である。
また、その旨の謝辞を書いたプリントが車内に貼られている。

運用は菊池線の上熊本~北熊本間の区間列車で、終日運行(概ね30分間隔)されている。
この区間は、上熊本駅で始発が7時20分と遅く、終電が20時20分と早いため、
乗りに行く際は注意が必要である。


増設された運転台側。通称「平面ガエル」。



東武鉄道 10030系電車

2008-05-18 22:04:03 | 電車図鑑・私鉄電車(関東)
10000系電車の増備車として昭和63年に登場した車両である。
性能面では10000系と同等であるが、車体を中心に改良を加えられている。

車体はステンレス製で、ギラつきを抑えたダルフィニッシュとし、全体にすっきりとした
印象となっている。
正面も8000系の更新車と同等としており、オリジナルに比べ、精悍なものとなっている。
車内はロングシートで、車端部の座席の定員が一人当たりの占有幅の拡大から
4人掛けから3人掛けになった。
吊革にはおむすび形のものを当初から採用している。
冷房と通風は天井の2本のスリットに収め、スッキリとしたものとなっている。

台車は東武鉄道の電車として始めてのボルスタレス台車を採用した。
主制御装置は10000系と同じ界磁チョッパ制御であるが、
4連1本が80番台(通称・10080系)として区分されて、VVVFインバータ制御の
試験車となっている。

平成4年以降に増備されたものから、設計が若干、変更され、屋根上の
クーラーカバーと通風器の一体化、車椅子スペースの設置など、
細かい点で改良が加えられている。
これ以降の増備車を車体番号から「10050系」として分類されることがある。

編成は2連、4連、6連、10連があり、2連は伊勢崎線系統のみ、10連は東上線のみの
在籍となる。
2連車、4連車、6連車は増・解結を容易にするため、電気連結器付密着連結器を
使用しているが、10連車は、それを行わないため、密着自動連結器となっている。
車番についての法則は10000系と同じで、10000系との混結も可能である。
これはVVVF制御の10080系も同じである。
また、30000系との混結も可能である。

運用範囲は東上線(池袋~小川町)、越生線と伊勢崎線、日光線系統各線で、
8000系と同等に広く使用されている。
ワンマン化前には、東上線の寄居口(小川町~寄居間。4連車)や亀戸線(2連車)などでも
使用されていた。
野田線は変電所の機能上、回生ブレーキを使用できないため、入ることが出来ない。
2連車は時に3本をつないだ6連で走る姿も見られる。
10080系は、100系「スペーシア」という成果を出したあとも、そのまま使用されたが、
機器の老朽化による不調から平成17年ごろに使用停止となった。
その後、制御装置を50000系と同等のものに交換して、平成19年に復帰している。


50番台車。クーラーカバーの形状が一体型。


10連車。連結器が上記の編成と異なる。


松本電気鉄道 3000系電車

2008-05-12 09:59:33 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
老朽化した5000系電車(元東急旧5000系)の置き換えのため、
平成11年から12年にかけて、京王電鉄井の頭線で運行されていた
3000系電車を譲り受けたものである。

松本電鉄では初めての冷房車であり、また、地方ローカル私鉄の車両として
初めて界磁チョッパ制御を採用している(回生ブレーキは機能停止)。
全車が中間車だったものに運転台を取り付ける改造を施したもので、
運転台機器は同じく京王で廃車になった6000系電車のワンハンドルマスコンを
取り付けている。
運転席後部の座席のあった部分は、これを撤去して車椅子スペーとしている。
また、ワンマン運転を行うため、整理券発券機の設置や運転室後部への運賃表、
運賃箱の設置などの改造を行っている。
座席は種車のままのロングシートである。
塗装は、搬入時には施されていなかったが、営業運転を前に同社バスなどと同じ
「アルピコカラー」に塗り替えられている。

編成は2両編成で、新島々側が奇数で電動車、松本側が偶数で制御車となっている。
このうち、松本側先頭車の3004と3008には運転台側に冬季に架線に付いた霜を
削ぎ落とす為のパンタグラフを設置している。

平成12年7月までに5000系電車を置き換え、全列車が本形式で運行されている。

横浜高速鉄道 Y500系電車

2008-05-11 21:16:09 | 電車図鑑・私鉄電車(関東)
平成16年2月のみなとみらい線開業のため、平成15年から翌年にかけて、
横浜高速鉄道が用意した車両である。

車体や機器は、当時、東急田園都市線で営業を開始したばかりの5000系電車
共通とし、保守パーツの共通化とコストダウンを図っている。
ドアの上にはLCDによる旅客案内装置を2つ設置しており、片方がCMなどを流す
「TOQビジョン」、もう片方が次駅案内をそれぞれ表示している。
座席はロングシートで、赤色の布地にヨットや舵輪、横浜スカーフをモチーフとした
イラストを織り込んだものとなっている。
しかし、5000系の中でも初期車をベースとしており、座り心地が硬いため、
それについて、不満を感じる乗客も少なからずいる(同型で同じ東横・みなとみらい線を走る
5050系ではクッション材を用いて座り心地を改善している)。
車椅子スペースは2両目と7両目に設置されている。

塗装は、東急所属の同型車と判別しやすいように、正面をブルー、側面には
「横浜の海」をあしらったブルーと「躍動する都市」をあしらったイエローの
グラデーションによって、みなとみらい線の頭文字である
「M」をあしらったラインを車端部を中心に側面全体に貼り付けている。

行き先表示は側面、正面とも種別が字幕式、行き先が3色LEDとなっている。

主制御装置はIGBT素子のVVVFインバータ制御で、ブレーキはATC連動回生ブレーキ
併用電気指令式空気ブレーキで、回生ブレーキは停止直前まで回生ブレーキが
可能な純電気ブレーキである。
編成は8両編成で電動車は半数の4両である。
車番の見方は、社名の頭文字の「Y」に続き、百の位が形式をあらわす「5」、
十の位が号車番号で、一の位が編成番号である。
例えば「Y542」という車号であれば、「Y500系電車の4両目で2番目に作られた
編成にある車両」という意味になる。
編成は先述したとおり8連であるが、10の位の号車番号は2と3が欠番になっている。

これは整備を東急の長津田工場で行う関係で、東急所属の5000系と番号の上での
判別をつけやすくするためである。

運用線区は東急東横線(渋谷~横浜)と横浜高速鉄道みなとみらい線(横浜~元町・中華街)で、
東急の車両とは区別なく、共通で終日使用される。

鉄道保存施設 旧名鉄美濃駅

2008-05-09 18:41:22 | 保存車・博物館
旧名鉄美濃駅は平成11年4月1日に廃止となった名鉄美濃町線美濃駅跡を利用して
同線で活躍した電車を保存している鉄道保存施設である。
オープンは平成12年。
ホームを利用して4両の電車を保存・展示しているほか、
駅舎では「のりものや美濃駅」と称し、様々な鉄道グッズの販売をしている。
売り物ではないが、ワンマンカーの放送カセットの再生機や、
新幹線0系の先頭部分のカバーなどが置かれて、何とも不可思議な空間を作り出している。
施設の運営は「旧名鉄美濃駅保存会」が行っている。

■保存車

モ510形(512号)
・・・大正15年に美濃電気軌道セミボ510形として登場した車両である。
美濃電気軌道の名鉄買収後、現形式になる。
半円形5枚窓の正面と、側面の丸窓が特徴。
当所で保存されている512号車は平成12年に引退したものである。

モ600形(601号)
・・・昭和45年に開始した各務原線新岐阜駅(現・名鉄岐阜駅)乗り入れのために登場した電車である。
車体の幅が細い上に正面は更に絞られており、外見以上に細く見える。
足回りは旧型車のリサイクル品。当車も512号と同じ平成12年に廃車。

モ590形(593号)
・・・昭和32年に登場した車両で当初は岐阜市内線用であった。
昭和46年までに美濃町線に転属し、昭和58年にはワンマン化の上、新関~美濃間の
区間列車専用になり、現役時代は当駅の主であった。
同区間廃止後は徹明町~日野橋間の区間列車中心に使用された。
593号は廃止を記念して登場時のクリームとグリーンのツートンに塗りなおされた。
この車両は平成17年に廃車。台車は土佐電気鉄道へ譲渡された関係で、車体のみを購入。
現在の台車は同時期に廃車になった豊橋鉄道市内線モ3100形電車のもの。

モ870形(876号・前頭部のみ)
・・・ラッシュ時の混雑緩和のため、札幌市電の連接車A830形電車を譲り受けたものである。
当初はその目的どおり、活躍したが、600V線専用車だったため、後に日野橋~徹明町間の
区間運転専用になった。
平成8年までに冷房化と車体更新、平成12年に複電圧化を実施して運用範囲を拡大したが
平成17年の廃線と共に廃車。その後、スクラップになる直前の同車の先頭部分を
解体業者から購入し、新関側に置かれた。
余談だが、保存会で同車の購入を知っていたのは、ごく一部で、搬入された時には
大いに驚かれたという。

■開館時間等
午前9時~午後5時(4月~9月)
午前9時~午後4時半(10月~3月)
火曜日・年末年始休館。
入館料・無料。

■行き方

鉄道利用(名古屋から)
JR東海道線で岐阜に向かい、岐阜で高山線(美濃太田・高山方面)に乗り換え。
美濃太田で長良川鉄道に乗り、美濃市駅下車。
駅前の道を徒歩で3分ほど。

高速バス利用
名鉄バスセンターから高速バスで美濃バス停下車。すぐ。
本数が少ないので(1~2時間に1本)時刻表を十分に確認してください。

鉄道事業者紹介 京成電鉄

2008-05-06 21:53:55 | 鉄道事業者・路線紹介
京成電鉄は東京から千葉県にかけて路線を保有する大手私鉄である。

東京から成田山新勝寺を結ぶ鉄道線として敷設されたため、東京の「京」と
成田の「成」を合わせて社名とした。
明治42年に創立、明治45年に押上~市川(現・江戸川駅西方にあった)間と
高砂~柴又間を開通させている。
また、柴又~金町間で営業していた帝釈人車軌道を買収して、
電化・改軌(軌道の幅を変えること)して、大正2年に再開業させている。
以後、大正から昭和初期にかけて路線延伸を繰り返している。

昭和3年には、東京側のターミナルとして浅草乗り入れを企図していたが、
同じく浅草への延伸を計画していた東武鉄道との免許出願合戦となり、
それが元で疑獄事件を引き起こした。
結果、浅草乗り入れは断念し、昭和5年に筑波高速度電気鉄道を買収して、
日暮里~筑波間の免許を取得。それを利用して昭和6年に青砥~日暮里間を開業し、
昭和8年には日暮里~上野公園(現・京成上野)間を地下線で延伸し、
念願の都心乗り入れを果たした。

この頃、昭和3年に向島~白髭間の白髭線を開業させ、王子電気軌道(現・都電荒川線)への
乗り入れを計画していたが、上野開業と入れ代わりに廃線になった。
また、昭和2年には直営の谷津遊園への乗り入れる支線を花輪(船橋競馬場)~谷津遊園地間で
開通させたが、谷津海岸駅(現・谷津駅)からの道路が完成したため、昭和6年に営業を休止し、
昭和9年に廃線になっている。

戦争中は路線全体が関東屈指の空襲地帯となったため、大きな被害を被った。
また、上野の地下線は運輸省(現・国土交通省)に接収され、遊休化していた
一等客車や食堂車を引き込んで分室として利用された。
国鉄とはレールの幅が違うため、軌道を改修して乗り入れたという。

戦後、都心への直通の機運が高まり、昭和35年には押上駅を地下化して
都営地下鉄1号線(現・都営浅草線)との直通運転を開始した。
これに際し、昭和34年10月から12月までの間にレールの幅を1372mmから、
1435mmに変更する工事を行っている。

昭和40年代後半になると並行する総武快速線や営団東西線の開通で鉄道事業だけでの
収益を上げるのが難しくなり、兼業事業への依存せざるを得ない状況に追い込まれていった。
昭和47年には成田空港開港にあわせ、路線を延伸した(現・京成成田~東成田)が
過激派の反対運動で空港の開港が延び延びになり、路線の開通も延びてしまった。
ようやく開港という運びになった昭和53年には初代スカイライナーが
放火される事態にもなった。
その間、オイルショックなどの景気の停滞なども加わって赤字が
雪だるま式に膨らんでいった。
成田空港の開港も空港建設の経緯から立ち入りが大幅に制限されたこと、
駅が空港のターミナルから離れていたことなどから利用客が伸び悩んだ。

昭和50年代後半には経営の健全化のため、兼業部門の整理やリストラを進めた。
その後、傘下にオリエンタルランドが東京ディズニーランドという優良な資産を
得たことや景気の回復、リストラ政策が功を奏し、
平成元年には経営を再建することが出来た。

平成3年にはJR東日本と共同で念願の成田空港ターミナル直下への乗り入れを果たした。
現在は、成田高速鉄道対応の工事や京成船橋や四ツ木付近の高架化事業を進めている。

◇保有路線
・京成本線・・・京成上野~成田空港間
 座席指定特急「スカイライナー」、着席定員制特急「モーニングライナー」、
 「イブニングライナー」を運行している。運賃のほかに特急券が必要。
 一般車使用の列車は快特、特急、急行、快速、通勤特急、普通。
 京成高砂から北総線に乗り入れ。
・東成田線・・・京成成田~東成田間
 芝山鉄道線芝山千代田まで乗り入れ。
 芝山千代田発京成上野行きの列車のうち1本は行商専用車。
・押上線・・・押上~京成青砥
 押上から都営浅草線に乗り入れ。
 本線から料金不要の優等列車の乗り入れあり。
・金町線・・・京成高砂~金町間
 普通列車のみの運行。
 日中は線内折り返し。ラッシュ時に京成上野からの列車あり。
・千葉線・・・京成津田沼~千葉中央間
 普通列車のみ運行。
 新京成線と直通運転。
・千原線・・・千葉中央~ちはら台間
 千葉線からの直通列車あり。普通列車のみ運行。
 旧千葉急行線。

◇保有車両
・現在保有している車両の全てが都営浅草線への乗り入れが可能である。
 通勤型は18m3ドアの浅草線直通規格と先頭車が電動車である京急線乗り入れ規格を
 満たしているものが大半である(都営線は全車OK。京急は一部車両が乗り入れ不可)。
○特急用
・AE100形
 スカイライナー用としては2代目で「ニュー・スカイライナー」と呼ばれる。
 2年後に登場する新型と置き換えられる予定。
○通勤用
・3000形
 通勤用としては最新鋭。第1編成が8連であるほかは、6連で増備されている。
 京成グループの標準車として新京成、北総にも同型がいる。IGBT式VVVF制御。
・3300形
 通勤用としては最古の形式になった「赤電」の生き残り。
 4連2本を北総鉄道にリース中。
・3400形
 廃車になった先代のスカイライナーの機器を流用して登場。
 車体デザインは3700形準拠で鋼鉄製ボディ。界磁チョッパ制御。
・3500形
 京成で初めてのステンレスカー。車体更新を実施しているが、
 一部は未更新のまま廃車予定。未更新車は京急に乗り入れられない。
・3600形
 3500形の改良型。界磁チョッパ制御。ステンレス車。
 登場時は6連だったが、組みなおして8連化された。先頭車にモーターがないので
 京急には入れない。
 余った先頭車を組み合わせて電動車化(GTO-VVVF制御)したものが6連1本ある。
 芝山鉄道に8連1本をリース中。
・3700形
 成田空港ターミナル直通時に登場。8連と6連がある。
 GTO-VVVF制御。ステンレス車。北総に8連1本をリース中のほか、
 同社には同型車が所属している。