水の丘交通公園

鉄道メインの乗り物図鑑です。
※禁無断転載!使用に際してはコメント欄にて
用途を申告してください。

お知らせとご案内:改めて年末のご挨拶

2008-12-31 23:27:50 | お知らせとご案内
本年も鉄道図鑑ブログ:水の丘交通公園をご覧いただきまして誠にありがとう

ございました。

至らぬ点も多く、ご迷惑をおかけしたところもあったと思いますが、

今後も変わらぬお付き合いをお願い申し上げます。

また、古い車両や遠方の車両に関しては資料が不足しているため、

ご指摘や資料の提供をいただけると幸いでございます。

それでは皆様、よいお年をお迎えくださいませ。

平成20年12月31日 管理人@水の丘

お知らせと御案内:今後のスケジュール

2008-12-25 20:00:44 | お知らせとご案内
管理人の水の丘です。私事ですが、パソコンの不調と私自身の体調不良により、
年内の更新は本日をもって終了させていただきます。

来年早々にも再開させていただきますので、しばらく御待ちください。

本年度もたくさんの方にご覧頂き誠にありがとうございました。

※なおコメントやトラックバックの確認は随時行なっております。
不適切なコメント、トラックバック、宣伝は公開せず
削除させて頂きますのでご了承ください。

西武鉄道 351系電車

2008-12-22 19:31:51 | 保存車・博物館
昭和29年に501系電車として製造された車両で、4両編成10本が登場した。

先頭電動車のクモハ501形が17m級3ドア、中間車のサハ1501形が20m3ドアで、
車内はロングシートである。
当時の車両としては珍しく、車内スピーカーと蛍光灯を製造時より
装備していた。
正面は当時流行の「湘南フェイス」で、西武では独自の進化をしながら、
3000系まで引き継がれている。
このうち、クモハ501形は半鋼製車体であった。
塗装はイエローにマルーンのツートンカラーである。

足回りは128kwの当時としては高出力のモーターと新しい台車を装備していたが、
機構面は旧態然としたもので、国鉄準拠の抵抗制御、吊り掛け駆動であった。

昭和32年に中間車と同じ長さの全金属車体の先頭車が製造されると、
それに足回りと中間車を譲り、形式を411系に改めた。
塗装も新車に合わせて、くすんだクリームに朱色の「赤電」色に変更されている。
このとき、新たに装備された足回りは所沢工場手持ちの中古部品と台車で、
性能は一気にグレードダウンしたほか、連結相手も旧型車になった。
昭和39年に別の411系が登場したため、再度、形式を譲って、351系となった。

昭和44年より車体更新を実施し、木造だった雨樋や乗務員室扉の鋼鉄化、
ベンチレーターの交換、正面への行き先表示幕の設置などを実施している。

吊り掛け駆動であったため、昭和52年までに池袋線や新宿線での運用は
終了したが、当時、国分寺駅のカーブがきつく大型車の入れなかった多摩湖線の
萩山~国分寺間では専用車となり、引き続き使用された。
専用車となった車両は、再度更新を受け、内装のデコラ化、床のリノリウム化を
実施している。

この時、本線から引退した車両は大井川鉄道と上毛電鉄に譲渡されている。

平成2年に多摩湖線国分寺駅の改修工事が終わり、20m車が入線できるように
なったことから、全車引退した。

引退後はクモハ355が横瀬車両基地に保存された。当初は赤電カラーのまま
保存されたが、平成10年より方向幕を撤去して、イエローとマルーンの
2色の登場時の塗装に復元された。

また、クモハ351がカットボディとなり石神井公園駅近くの小山病院の
院長(自らの病院に80系湘南電車を模した病室を作るなど、大の鉄道愛好家として
有名)宅に保存されたが、改築のため、平成20年に解体されている。

他社に譲渡された車両についても上毛電鉄のものが東武鉄道からの譲渡車の
入線で平成2年までに引退し、大井川鉄道のものも老朽化から、平成15年ごろ
引退している。後者については現在も千頭駅構内で留置されている。

東京地下鉄 10000系電車

2008-12-20 17:54:57 | 電車図鑑・地下鉄
平成20年に開通した副都心線用の車両で東京メトロとしては初めての
新形式電車となった。
初登場は平成18年で、線路と車両を共有する有楽町線で営業運転を開始した。

車体はアルミ製で、平成16年以降、東西線の新05系や東葉高速鉄道の2000系電車などで
採用されたものと同等のものとなっている(日立製作所「A-Train」シリーズ)が、
更なる軽量化が図られている。
正面部分は大きく曲面を描いたものとなっており、外観上の大きな特徴と
なっている。
非常脱出用の貫通扉はプラグ式で、昭和39年登場の東西線5000系電車以来、
久々に正面中央部分への配置となった。
ただし、後述するが、ワンマン運転を行う関係上、運転台の機器が多く、
中央部分からはみ出しているため、通路として使う際は斜めに通ることになる。
ヘッドライトは鍵穴状のケースに収められている。これはかつての丸ノ内線電車を
モチーフにしたものである。
各車両の連結部分は、過去の事故の教訓から、衝突時の車体へのダメージ緩和や
外板が剥離しないように角の部分が面取りされている。

ラインカラーは副都心線のブラウン、有楽町線のゴールドにアクセントとして
ホワイトを配したものとなっている。
ブラウンの帯は側面窓下のほか、正面から天井方向にまわりこんで側面窓上にも
配されている。
最初の4本は正面にもゴールドの帯を入れていたが、5本目以降は省略された。
正面向かって左側の窓と車体側面上部に社紋である「ハートM」マークが
付けられているが、第15編成以降、正面のものは省略されている。

運転台はT字形のワンハンドルマスコンで、有楽町線で運行される電車としては
初採用となる。
有楽町線用のATCのほか、副都心線でのワンマン運転を考慮し、運転台周りに
ホームドア対応のドアスイッチやATO発進ボタンなども搭載している。
ワンマンとツーマンの切り換えはスイッチ一つで行える。
ドアスイッチは西武線などで車内保温のために行われる、一部ドア締め切りにも
対応できる。
行き先表示は正面、側面共にLED式である。

車内はオレンジに近いブラウンとグレーでまとめられたものとなっている。
座席や内装には火災時に有毒ガスを発生させないものを採用している。
特に内装材はアルミを多用することでリサイクルの難しいFRP製の部品を排した。
連結部の貫通扉は全面ガラス張りとなり、車内の見通しが良くなった。
扉があることの目印として、縦縞模様が真ん中の部分に引かれている。
また、ドアの左右もガラス張りとなっている。
天井は平坦なものではなく、中央の部分が高くなった凸状になった。
車内照明はこの出っ張り部分に設置されている。
その関係で、ラインデリアは線路方向ではなく、各ドア付近の枕木方向に配置されている。
座席はロングシートで、7人掛けの席には3:4になる位置にスタンションポールが
設置されている。
ドアとの境界部分は大きな金属板で仕切られる。

ドアは両開き片側4箇所で車内鴨居部分に、東京地下鉄では初のLCD式旅客案内装置を
2つ装備しており、向かって左側がCMやお知らせ、右側が停車駅や行き先案内などを
表示する。
初期投入車は左側を準備工事としていたが、平成20年初頭までに取り付けを
完了している。
車内放送は自動放送が可能で、東武線、西武線ではそれぞれにあわせたものが
流れる。

主制御装置はIGBT式のVVVF制御で、純電気ブレーキが可能である。
台車は保守と安全性の観点から、ダイレクトマウント式の空気バネ台車となった。
パンタグラフはシングルアーム式である。

編成は基本10連で、車番は新木場側から順に10100、10200・・・10000である。
番号の見方は百の位が号車番号、十と一の位が編成番号である。
中間4箇所に工場内での移動などに使う簡易運転台があり、第1~5編成は
10400+10500の2両を抜いて8連とすることも可能である。
副都心線開業時には、7000系の8連化改造が間に合わなかった関係で、
実際に第1編成~第4編成が8連で営業運転に就いている。

運用範囲は自社線が東京メトロ有楽町線と副都心線で、有楽町線は10連車のみの
運用である。
乗り入れ範囲は10連車が西武池袋線飯能までと、東武東上線川越市、
又は森林公園までで、8連は西武池袋線が清瀬、又は小手指、
東武東上線が志木までとなる。
なお、西武鉄道へ直通する列車の一部は野球開催時やイベントなどで
狭山線の西武球場前まで乗り入れることもある。
西武池袋線では当初、誘導障害が発生したため、乗り入れを中止していたが、
平成19年の春以降、開始している。
なお、同年にはグッドデザイン賞を受賞し、その記念ステッカーを付けて
運行されている。

当初の計画では10連20本を平成19年までに投入する予定であったが、
在来車の7000系の置き換えや改造計画の絡みなどから、さらに11本増の
31本が導入される予定である。
なお、8連化された車両であるが、7000系電車の改修が進んだことから、
順次、10連に戻され、平成20年12月現在で第3編成のみが残っている。


車内。

8連化された金帯付きの第2編成。正面右の窓に「8cars」のマークが入る。
なお、この編成は現在、10連に戻されている。

導入されたての頃の一コマ。07系との並び。この写真を撮ってしばらくして、
小竹向原駅にホームドアが設置され、07系が有楽町線を去っている。

東武東上線川越市駅に入る副都心線直通、普通渋谷行きの第19編成。
正面の「ハートM」マークがない。

広島電鉄 5000形電車「GREEN MOVER」

2008-12-19 23:03:55 | 電車図鑑・路面電車
広島電鉄で初、日本で2番目の超低床ノンステップ電車で、平成11年~平成14年までに
5体連接12編成が投入されたものである。
メーカーはドイツのシーメンス社で同社の超低床電車「コンビーノ」シリーズの
一つである。
日本での受け入れ整備はアルナ車両で車内のメーカープレートは、両社のものが
掲示されている。

車番は編成で統一で、宮島側から順にA+C+E+D+Bのアルファベットが振られている。
連接車であるが、C号車とD号車は浮き車体となっており、関節で接続されている。
編成の長さは軌道法が定める30mを超えているが、国土交通省より特認を受けている。

車体はアルミ製でオリジナルのコンビーノに日本でデザインした正面を
組み合わせたものである。
正面ヘッドライトのすぐ下のカバーは取り外し可能で、中に緊急用の連結棒が
収納されている。
行き先表示は字幕式である。
窓は固定式(上端は内折れ)で大きく、晴れた昼間はとても明るい。
客用ドアはプラグドアで、A・B号車は片開きで運転席左側に、C号車とD号車は
左右非対称で一方が片開きで2箇所設置、もう一方が両開きで1箇所である。
座席はA・B・E号車が台車の出っ張りの上にクロスシートを中心に配置、C・D号車は
1人分ずつ独立したロングシートの配置である。
当初、採用していた座席は硬い素材で作られていたため、5005号編成から軟らかめの
ものに変更され、それ以前のものも交換された。
連接部など枕木方向にLED式の旅客案内装置を設置している。

運転台は無段階式右手操作のワンハンドルマスコンである。
主制御装置はVVVF制御でブレーキは回生ブレーキ優先発電ブレーキで、緊急用に
電磁吸着式トラックブレーキを装備している。
駆動方式は直角中空軸積層ゴム駆動方式である。
これは台車枠よりも外側にモーターとギアボックスを固定し、
大歯車と車輪側から伸びた腕にゴムを挟み込んでカーブなどでの台車の
位置変動への対応と駆動を行うものである。
パンタグラフはC・D号車にシングルアーム式のものが設置されている。

所属は荒手車庫で市内線~宮島線直通列車に投入されている。
第1編成は補助金の申請期限と話題づくりから、ドイツから広島空港まで空輸された。
組み立ては江波車庫で、試運転中は車体をグレーのフィルムで覆っていた。
第2編成以降は船便で搬入されている。
平成12年には鉄道友の会から技術的に優れた車両に贈られるローレル賞を
受賞している。
導入後、空調のパワーが弱く、日本の風土に合わない部分が多いこと、
車両価格や部品代が高いこと、部品の調達に時間がかかることなどから
第12編成をもって増備を終了した。
この第12編成は5100形電車「Green mover max」の第1編成と入れ替わりで
千田車庫に転属し、主に1号線で運行されている。

平成16年にドイツ・シーメンス社よりコンビーノの連結(関節)部の強度不足による
リコールが発表された。放置すれば、関節部にかかる負荷から車体に細かい
ヒビが入り、事故などで天井が落ちる可能性があるというものである。
本形式も、これに該当したため、平成19年以降、オーストリアにあるメーカーの
工場に順次発送されている。


車内。ひじょうに見通しがいい。

運転台。にょきっと生えた銀色のレバーがマスコン。



広告電車2種類。上が「広島大洋カープ」号。下が「サンフレッチェ広島」号。
車内にはキャラクターのイラストやロゴなどのステッカーが貼られている。

千田車庫所属の5012編成。広島港(宇品)電停にて。

西武鉄道 E851形電気機関車

2008-12-17 23:20:12 | 保存車・博物館
西武秩父線(吾野~西武秩父間)の開通に際して、秩父方面から正丸峠を越えて
東京方面へのセメント輸送の貨物列車の運行も実施することになったために
製造された電気機関車である。
昭和44年に851~854の計4機が製造された。

民鉄用の電気機関車としては、日本最大級のもので動輪数6個のF級機である。
これは、重量級の貨物列車の牽引を可能とするためである。
車体は鋼鉄製のボックス型で、台車配置はB(=動力のある車軸が2つ)-B-Bである。
車体設計は国鉄(→JR)のEF65形電気機関車、台車の設計は同じくEF81形電気機関車を
参考にしており、両形式から「8」と「5」を拝借して、この形式を与えられたと
いわれている。

デザインは独自なもので、車体中央にある2つの丸い明かり窓や運転席横の
窓などに曲面を多用しながら、側面の放熱グリルや塗装などは直線的で
優雅さと機能美を合わせ持つ。
また、運転室扉に窓が設置されていないのも外観上の特徴である。
塗装はファイヤーオレンジにクリームの帯で、運転席窓周りにも細い帯が入るなど
芸が細かい。

主制御装置は電動カム軸接触器式バーニア併用電磁空気単位スイッチ式
抵抗制御で重連総括制御も可能である。
駆動方式は吊り掛け駆動でモーターはEF65形電気機関車と同等品であるが、
貨物用なので高速性より牽引力重視のギア比となっている。
ブレーキは空気自動直通式である。

本機は主に三菱セメント鉱業(→三菱マテリアル)の工場で武甲山の石灰石を
原料に生産されたセメントを輸送する貨物列車に投入され、東横瀬~池袋、
もしくは国分寺までの貨物列車に使用された。
昭和51年に武蔵野線が開通し、秋津~新秋津間の連絡線の共用が開始されると
運行区間が東横瀬~新秋津間に変更された。
この頃は貨物量が最も伸びてた頃で、秋津方面への上り列車では重連運転も
よく見られた。

しかし、平成の世になると、道路整備が進み、貨物の輸送量が減少に転じたこと、
機関車自体の老朽化も進んだことから平成8年の貨物列車廃止と共に引退した。
同年5月に行われたさよなら運転ではJRより12系客車6両を借りて、最初で最後の
客車牽引を行った。

その後、全機が除籍され、851~853は解体されたが、854は横瀬車両基地にて
静態保存されている。
基本的に非公開であるが、毎年10月ごろ行われるイベントで公開される。

東京都交通局 12-000形電車

2008-12-16 22:40:14 | 電車図鑑・地下鉄
平成3年の12号線(→現・大江戸線)開業に伴い、導入された車両である。
平成2年~平成12年までに4次にわたって8両編成53本が製造された。
他に昭和61年に製造された試作車両があるが、これについては、またの機会に
紹介する。

トンネル断面が小さい小断面地下鉄のため、車体の窓から上が斜めになっている。
また、関東の地下鉄で初めての鉄輪式リニアモーター駆動を採用している。
車体は16m級3ドアのアルミ製で、側面にラインカラーであるマゼンダの濃淡の
帯が入る。
このうち、1次・2次車に該当する第1~6編成はホワイトに塗装が施されているが、
第7編成以降が該当する3次車以降は無塗装となっている。
最初の6本は6連で登場したが、3次車増備時に中間車2両を組み込んで8連化
されている。

車号の読み方は「いちまんにせんがた」である。ハイフンより左2桁が路線名、
ハイフンから右二桁が編成番号、一番右の桁が都庁前方面側から数えた
号車番号となる。
例えば、12-075であれば、「12-000形の第7編成の5号車」となる。

車内はロングシートで、各車両の光が丘側に貫通扉を設置している。
このうち、1次車に該当する第1~5編成は車内を広く見せるため、幅広の貫通幌を
採用しているが、第6編成以降は通路幅のみのものに変更された。
また、1次車では、関東の通勤型電車としては珍しく、蛍光灯にプラスチック製の
カバーを設置していたが、車内が暗くなるため、2次車からドア付近のみ6箇所の
設置となった。
1次車のカバーについては、平成19年から行われている車体修繕の際に、
鉄製の網状のカバーに変更された。
旅客案内装置はマップ式とLEDスクロール式のものを一体としたものが採用され
各ドアの上に設置されたが、3次車からLEDスクロール式のものを千鳥配置したものに
変更され、それ以前のものも変更されている。車椅子スペースは4・5号車に
設置されている。

運転台は右手操作式のワンハンドルマスコンである。ATOによるワンマン運転に
対応するため、ホーム監視モニター、車両情報制御装置などが設置されている。
設置位置などは製造時期で異なる。
1次車では、速度情報などを運転席の窓に表示するヘッドアップディスプレイが
設置されていたが、前方の景色と重なって使いにくいため、使用を停止し、
後の改修で撤去されている。
また、1次車では速度計にデジタルバー方式を採用していたが、これも2次車から
通常の指針計に変更されている。

主制御装置はVVVFインバータ制御で1・2次車がGTO素子、3次車以降はIGBT素子である。
ブレーキはATC連動回生ブレーキ付き電気指令式空気ブレーキである。
台車はダイレクトマウント式の空気バネ台車で、曲線通過性を向上させるため、
自己操舵機能を備えている。当初は試作的な意味も込めて、3種類あったが、
最終的に1種類に統一されつつある。

先述したが、平成19年度より車体修繕工事を実施している。主に1次車を中心に
車体塗装の塗りなおし、床の張替え、蛍光灯カバーの不燃化、車内送風機の
大型化、車内貫通扉のガラスへのイチョウマークの設置、座席の張替えなどを
行っている。
3次車以降も送風機の大型化や座席の張替えなど小規模な改良は行われている。
所属は木場車両検修場で、木場車庫、高松(光が丘)車庫にて管理を行っているが、
大掛かりな修繕や検査などは、都営浅草線の馬込車両検修場で行う。
この際、本形式は浅草線を自力走行できないため、浅草線との連絡線のある
汐留駅から専用の機関車で回送される。

車両の運用については平日日中と土曜・休日は3・4次車で、ほぼ賄われている。
1・2次車は機器の違いから、平日のラッシュ時に運用されることが多い。


1次車。運転席の黒い四角状のものがヘッドアップディスプレイ。
現在は全編成で撤去済み。

更新後の1次車。

1次車の中間車。手前の連結部分の幌が車体幅ギリギリまであるのが
おわかりいただけるだろうか?


2次車。第6編成1本のみの存在。

2次車の運転台周り。1次車とも3次車(タイトル写真)とも異なる。


車内。写真は3次車のもの。

広告電車もある。写真は4次車の第52編成のもの。

新京成電鉄 8900形電車

2008-12-14 21:53:25 | 電車図鑑・私鉄電車(関東)
平成5年~8年にかけて8両編成3本が導入された車両である。

車体は新京成初のステンレス製で先頭部分のみFRPとなっている。
京成電鉄の3700形をベースにしているが、独自の設計としている部分も多い。
帯色は、社内公募で決定されたもので、ピンクの細いものに濃い目のブルーが
入ったものであった。
しかし、ピンクは褪色が著しかったため、現在の濃い目のルビーレッドに
変更されている。
先頭形状は「く」の字型で正面向かって左側に非常用の貫通扉が設置されている。
行き先表示はLED式である。

座席はロングシートで、ロールカーテンには、ブドウや梨などの沿線の名物が
描かれている。
新京成の電車として初めて、自動放送装置や車外スピーカーの設置、
ドア上へのLEDスクロール式旅客案内装置の設置を採用している。
旅客案内装置にはデジタル時計が装備されており、日本中の鉄道車両の中でも
珍しいものとなっている。
窓は1段下降式でドア間の窓は可動式の窓の間に細い固定窓が入るものとなっている。
一部の編成ではこの部分に広告を入れている。
客用ドアは、片側3箇所で、京成グループ唯一のワイドドア(通常1300mmのところを
1500mmとしている)採用している。
平成20年に検査を行った第2、第3編成はドアを交換し、後継のN800形(京成3000形と
同型)と同一形状のものになった。
なお、放送放置などの機器の更新は行っていない。

運転台は新京成初のT字形ワンハンドルマスコンである。
主制御装置はGTO式VVVFインバータ制御で、ブレーキは回生ブレーキ併用電気指令式
空気ブレーキである。
回生ブレーキは後にソフトを交換して、停車寸前まで回生ブレーキが可能な
純電気ブレーキに改造されている。
台車は京成グループの1435㎜軌間の電車として唯一のボルスタレス台車を採用している。
パンタグラフにはシングルアーム方式を採用した。これは日本の電車として
初めての採用である。

1編成あたりの電動車の比率は8両中4両で、制御車(先頭車)と電動車2両で
構成される3両ユニットで付随車2両ユニットを挟んでいる。
このユニットを抜いて、6両編成で運行することも可能である。

車番の見方は上2桁が形式を現わす「89」で十の位が編成番号、一の位が号車番号である。
第1編成は京成津田沼側から順に8911+8912+8913・・・となり、最後尾の松戸側は
8918である。第2編成は8921からスタートする。

登場以来、新京成線専用で運行されている。平成18年より開始された京成電鉄
千葉線との直通運転も千葉線のホームが6両分の長さしかないため、
8両編成の本形式は乗り入れない。

秩父鉄道 2000系電車

2008-12-11 21:23:58 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
老朽化の進行していた普通列車用の500系電車(※)の置き換えのため、
平成3年に東急7000系電車を譲り受けたものである。
4連4本が登場し、秩父鉄道で初めてのステンレスカーになった。

弘南鉄道などに譲渡されたものとは異なり、4両編成のままそっくり譲り受けている。
改造された部分は少なく、ワイパーの大型化、三峰口側先頭車のデハ2300形を除いた
各車両の三峰口側連結面への貫通扉設置、前面帯色の青色化、保安装置の設置、
ベンチレーターへの蓋設置(冬季のみ設置)程度で、外観に影響を与えるような
大きな変化はない。

第3編成と第4編成は、長津田からの回送ルート上、通過するはずだった武蔵野線が
線路冠水で不通になってしまったため、逆向きで入線した。
このため、秩父鉄道入線後、秩父駅にあるデルタ線を利用して方向転換を
実施している。

第2編成は入線早々の平成3年、秩父夜祭当日、踏切を突破したライトバンと
衝突し、前面を損傷した。
この傷は意外に深く、自社での修理が不可能だっため、東急車輛の出張工事で
修復された。
この間、同年末をもって廃車予定だった500系が延命された。

主に各駅停車で使用されたほか、平成11年ごろまで運行されていた準急に
使用されていた。

本形式は車体の長さが18m3ドアで3連とした場合、20m4ドア3連の1000系電車よりも
6mも短くなってしまう。
そのため、4連で登場したが、逆に輸送力過大となってしまった。
また、同時期に地方の中小私鉄でも車両冷房化が進み始め、
秩父鉄道でも保有車両の冷房化が開始されると、床下機器に余裕がなく冷房化が
不可能で、全車が電動車のため、電力を食う本形式は持て余されるように
なってきた。

そのため、秩父鉄道では1000系と性能差も少なく、車体の大きさも同じ
東京都交通局三田線の6000形電車を譲り受け、5000系として登場させた。
これにより平成12年に全車が廃車となった。
廃車後は秩父市内で解体処分されたが、一部が個人に引き取られたという
噂がある。

秩父鉄道500系電車(※)
昭和32年~37年に登場した自社発注オリジナルの電車。正面2枚窓の湘南フェイスで
大型2つのヘッドライトが特徴であった。側面ドアは片開きで2箇所ある。
車内はロングシートで、ドア間は非常に長いものが採用されていた。
塗装はチョコレートクリーム色にマルーンの帯が入るものであったが、
後にイエローに茶帯になった。。
編成はデハ500形+クハ600形の2両1ユニットを組み、2編成を繋いで4連で使用された。
クハ600形にはトイレがあったが、このトイレは垂れ流し式だったため、
後に封鎖されている。
主制御装置は抵抗制御、駆動方式はカルダン駆動である。
平成3年に2000系の導入と共に廃車が始まり、平成4年までに全廃となった。
その後、石原駅や広瀬川原にある熊谷工場などに留置されていたが、
順次解体された。
この中でクハ602は、唯1両、解体を免れ、現在も熊谷工場内にて倉庫として
使用されている。

名古屋鉄道 7300系電車

2008-12-09 21:43:07 | 電車図鑑・私鉄電車(中部)
昭和41年に車体の老朽化した旧型車の機器を流用して、当時の最新車両であった
パノラマカー並みの車体を新製した車両である。
2連9本と4連3本の計30両が製造された。

正面は貫通型で、パノラマカー増結用の7700系に近いが、同車よりも全体に
角ばった雰囲気となっている。
また、貫通扉の窓だけ、縦長になっている。

車内は戸袋部分を除いてオール転換クロスシートである。
冷房も搭載されており、当時の車両としてはサービス面で優れていた。

主制御装置は、3800形と800形から流用した抵抗制御のAL(自動加速)式で、
駆動方式は吊り掛け駆動である。
台車は当初、種車由来のものを履いていたが、昭和53年に別の新しいものに
交換されている。

ファンからは車体のデザインがパノラマカーによく似ていたが、吊り掛け駆動で
展望席もないため、「偽パノラマカー」、「パノラマカーもどき」などの
あだ名で呼ばれた。
名古屋に訪れた名鉄に詳しくない鉄道ファンが、本形式に乗って足元から聞こえる
吊り掛け駆動ならではの響きに驚いたというエピソードもある。
こういった旧型車の機器を流用して車体を新造した車両は、国鉄から地方ローカル
私鉄まで幅広くみられたが、空調完備、固定窓、オールクロスシートというものは
近鉄が規格の小さかった京橿特急用に製造した18000系電車ぐらいしかおらず、
かなり貴重なものであった。

新製当初の計画では、座席指定特急での使用も予定されたため、側面に「座席指定」
表示器が設置されたほか、本家パノラマカーと同じくミュージックホーンを
装備していた。
これらの装備は後に撤去された。

実際、登場時は三河線等から本線、犬山線に乗り入れる支線特急に用いられた。
昭和50年代になると高性能車の増備が進んでいったため、支線のローカル運用から
全車自由席の特急(後の高速)まで1500V線区のAL車が用いられる運用に
幅広く使われるようになった。
特に支線では冷房のない5000系や5200系などの高性能車両より、足回りは古くても
冷房装備の本形式のほうが、一般客に喜ばれ、名鉄線全線のサービス向上に
寄与したことは疑いようがない。
晩年は広見線、各務原線、小牧線などで運行され、平成9年に全車が引退した。

引退後は全車が豊橋鉄道渥美線の架線電圧の1500V化に伴う車両の置き換えのため
譲渡され、うち28両が入籍した(2両は部品確保用で入籍せず。台車は名鉄3400系に
転用)。
豊橋鉄道では車体の長さを形式番号とする慣習があるが、本形式は名鉄時代のまま
車番の変更は行わずに使用された。これは現在に到るまで唯一の例外である。
車体については大きな改造は行われず、貫通扉に方向幕を設置した程度である。
塗装は元のスカーレットにクリームの帯を巻いたものとしている。
一部の編成は特別塗装として、イエローにグリーンの帯を入れた「なの花」号、
ブルーにクリームの帯を入れた「なぎさ」号になっていた。

本形式の登場と昇圧工事完成で、在来車両の全車が本形式に置き換えとなった。
置き換え対象となった車両の中にはカルダン駆動の1900形(元名鉄5200系電車)もあり、
カルダン車を吊り掛け車で置き換えるという珍しい現象が見られた。
しかし、そもそもが長距離・高速運転向けに設計された車両で、起動加速が遅く、
2ドアクロスシートでラッシュ時の詰め込みが利かず、列車遅延が多発し、
折角15分間隔から12分間隔に増発したダイヤも元に戻さざるをえなくなるという
事態に発展した。
このため、平成12~13年ごろまでに東急7200系を譲り受けた1800系に置き換わり、
平成14年に予備車として残った「なの花」編成を最後に全車廃車となった。
廃車後は豊橋鉄道が一般に無償譲渡先を募り、個人や企業などに引き取られて、現在も数両が存在する。