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広島電鉄 1900形電車

2008-09-15 21:53:24 | 電車図鑑・路面電車
昭和52年に京都市電の1900形電車を譲り受けたものである。

京都市電1900形は、昭和30年~32年にかけて900形として登場。
正面部は当時の京都市電のボギー車特有の流線型を継承しながら、
行き先表示窓と運転席部分にあたる正面中央の窓を大型化している。
これらの変更によって、重厚感のあるデザインながら、鈍重ではないという
京都市電の車両でも最も美しい車両と称された。

ドアは前後2箇所で、車内はロングシートである。車内照明に蛍光灯を京都市電で
初めて採用した。
塗装はグリーンとクリームのツートンで、当初、グリーンの部分は、
もっと濃い色であった。
制御装置や台車などの違いから、間接制御車の901~915、
直接制御車の916~935号車に分けられる。
間接制御車では車輪に弾性車輪を採用し、防音効果を向上させたが、保守上の都合から、
末期に通常の車輪に交換している。

昭和45年に京都市電の一部ワンマン化に伴い、直接制御車の916~931号がワンマン化され、
1900形に改称された。
この際にドアの位置を前後から前中にして、進行方向左側後部にあたるドアを埋め込んで
客席を延長している。
また、ワンマンカーを示す標識灯を正面方向幕上に取り付けて、オレンジ色の帯を
巻いている。
その後は1922号を事故で失うも、京都市電全廃の昭和53年まで運行され、
1930号車(広電1914号)は廃止の日の最終列車を務めている。

広島電鉄では、1900形15両全てを譲り受けて昭和53年~55年にかけて就役させている。
主な改造内容は、車番を1916~1921、1922~1931を1901~1915に整理、
正面の行き先表示の大型化、ワンマン灯を撤去し、運転席脇への表記に改造、
中ドア脇の広い吹き寄せ部分に車掌台と縦長の窓の設置(広電ではワンマンカーでも、
混雑時には車掌が乗務する場合がある)、
後部ドア跡の窓の2段窓・開放可能化(1908号車除く)、
正面及び、側面への愛称板取り付けなどである。
この愛称板には、京都にちなんだ地名(「東山」、「祇園」など)などが書かれている。
また、昭和50年代末期に路面電車としては早期に冷房化を実施している。
なお、塗装の変更はせず(但し、一時的に全面広告車になったものがある)、
側面には、今も尚、京都市の市章が残っている。

広島で約30年、登場以来50年以上が経過しているものの、
運転が比較的容易なこと、出入口周りが広く詰め込みが利くことなどから
乗務員の評判は良く、旧型車の淘汰が進む中、全車健在である。
配属車庫は、千田車庫と江波車庫で1901~09までが千田、
1910~15が江波で、主に3・5・6・7・8・9系統で運行される。

下記は各車の愛称である。()内は京都時代の車番である。

1901(1916)=「東山」
1902(1917)=「桃山」
1903(1918)=「舞妓」
1904(1923)=「かも川」
1905(1919)=「比叡」
1906(1920)=「西陣」
1907(1924)=「銀閣」
1908(1921)=「あらし山」
1909(1925)=「清水」
1910(1926)=「金閣」
1911(1927)=「祇園」
1912(1928)=「大文字」
1913(1929)=「嵯峨野」
1914(1930)=「平安」
1915(1931)=「鞍馬」


車内。


側面に残る京都市の市章。楕円形のプレートは他都市からの
譲渡車に付けられているもの。
ドア右のものが広電の社章である。


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