水の丘交通公園

鉄道メインの乗り物図鑑です。
※禁無断転載!使用に際してはコメント欄にて
用途を申告してください。

山万 1000系電車

2008-06-25 21:29:40 | 電車図鑑・特殊鉄道
昭和57年に開業した山万ユーカリが丘線用に登場した車両である。
3両編成3本が登場し、それぞれに「コアラ1号~3号」の愛称がつけられている。

日本車輌が開発し、同じ千葉県下にあった谷津遊園で遊具としてデモ走行を
行っていた「VONA」と呼ばれる中央案内輪方式の新交通システムで、
平成20年現在、現役唯一の存在となっている(平成3年~平成18年までは
愛知県小牧市の桃花台ニュータウンと名鉄小牧線小牧駅を結ぶ
桃花台新交通「ピーチライナー」が同様の方式を採用していた)。

車体は鋼鉄製で、正面は緩やかな流線型を描いた独自のものである。
基本塗装はクリームにライトグリーンの帯が入る。

ドアは両開きで片側一箇所、車内はロングシートである。
側面の窓は内側に折れる方式のもので、斜光カーテンには横引き式のものを
採用している。
車内への送風装置としてラインデリアを採用しているが、
冷房は搭載されていない。

運転台は逆L字型ワンハンドルマスコンである。
全線でワンマン運転をしているが、当初は自動放送装置がなく、運転士が
放送業務も行っていた。
行き先表示は字幕式であったが、平成20年にLED式に交換された。
ただし、見づらいためか、「回送」や「試運転」などは、紙をパウチした
大きな札で表示される。

開業以来、25年を迎えたが、今も大きな改造を受けることなく、
活躍を続けている。
なお、余談だが、山万ではユーカリが丘線のユーカリが丘駅以外の各駅の名前を
公募している。
締め切りは6月30日までである。詳細は同社ホームページ等を参照にされたい。


車内。


運転台。

鉄道用語・鉄道車両メーカー・製作所一覧

2008-06-20 17:23:08 | 鉄道用語・解説
今回は鉄道車両を製造している主なメーカーについて紹介する。
一部、地方私鉄向けの改造を専門にしているメーカーも掲出する。
左から会社名の移り変わりで()内は略称である。


○ナニワ工機→アルナ工機→アルナ車両
昭和22年に阪急の小林十三が戦後復員者の雇用確保のためにナニワ工機として創業。
阪急の電車のほか、東武の電車の製造も手がけていた。
満鉄の技術者を多く採用していたことから、軽量構造の鋼鉄製車体の製造を
多数製造している。
また、軽量で頑丈な鉄道用アルミサッシ窓の製造に成功し、この分野において
圧倒的なシェアを誇った。
昭和40年代には住宅用アルミサッシの製造を行うようになり、このブランド名から
アルナ工機に社名を変更している。
昭和50年代以降は新型路面電車の製造に力を入れ、昨今の路面電車の復権にも
大きく貢献した。
しかし、平成不況で業績が悪化し、平成14年に他の製造部門と分社化され、
アルナ車両となった。
現在は、新車については路面電車に限定して、製造を行っている。

都電7000形。車体はアルナ工機製。以降に登場する軽快電車の基礎となった。


○川崎造船所→川崎車両→川崎重工業 (川造・川車・川重)
鉄道車両メーカーとしても、それ以外でも超大手のメーカーである。
創業は造船所時代の明治39年である。
客車や蒸気機関車のほか、昭和初期には独自の形態で「川造型」として有名な
全鋼鉄製電車を製造した。
昭和3年に鉄道車両製造専門会社の川崎車両として、川崎造船所から分社。
国鉄、私鉄を問わず車両を製造してきたが、昭和44年、川崎重工業に再度、吸収された。
また、昭和48年には汽車会社を吸収合併している。
昭和40年代後半にはゴムタイヤ走行の案内輪鉄道用車両の開発を行い、
札幌市営地下鉄、ポートライナー用の車両を製造した。
現在も、国内外の鉄道車両を用途に問わず、製造している。

京阪の5ドア車5000系電車。京阪では、2200形電車以降の新車は川重製。

○汽車会社
明治29年に、日本の鉄道行政の牽引役だった井上勝が鉄道庁長官を下野した際に
設立した。
明治34年から蒸気機関車の製造を開始した。
私鉄向けの電車の製造にも携わっていたほか、エコノミカル台車と呼ばれる
独自の電車用台車の開発も行っていた。
昭和47年に川崎重工に吸収された。

京成3300形。汽車会社が最後に製造した私鉄電車となった。

○田中車輛→近畿車輛 (近車) 
大正9年に田中車輛として創業し、昭和20年に近鉄グループに入って、現社名になった。
そのため、近鉄のごく一部の車輛を除いた全ての電車はここで製造されている。
最近はJR西日本アーバンネットワークにかかる、ほとんどの車両も請け負っている。
台車の開発も行っており、シュリーレン式と呼ばれる台車の、ほとんどは同社製造のものである。

近鉄22000形電車「ACE」。

○西武所沢工場→西武車両
昭和21年に西武鉄道が自社の車両の戦災復興のために設立した工場である。
昭和29年に西武鉄道501系(→351系)電車から新車の製造を開始した。
以降、昭和44年に初代レッドアロー5000系が他社で製造されるまで、
西武鉄道用の全ての車両がここで製造された。
性能的などが突飛な電車というものは製造しなかったが、鉄道車両用ドアの
システムで特許をもっており、後に多くの私鉄で採用された。
この他、自社の車両や他の私鉄の電車を地方私鉄に払い下げるための改造や
遊園地向けの豆汽車などの製造も行っていた。
新車の製造は平成11年に終了し、工場も翌年閉鎖された。
以降は武蔵丘検修工場に移転し、車両検査・改造部門を西武車両として分社化した。

西武9000系。この車両が最後の製品になった。

○梅鉢鉄工所→梅鉢車輛→帝国車輛工業 (帝車)
明治23年ごろに梅鉢鉄工所として創業した。地方都市向けの路面電車や
客車の製造を行っていたほか、日本最初のダイヤモンド・クロッシングの製造を
行った。
大正時代には鉄道省(今のJR)の指定工場となったほか、大都市圏の路面電車の製造で
大きく発展した。
昭和11年に大陸向けの鉄道車両製造に本格的に取り組むことになり、社名を
梅鉢車輛と変更した。
昭和14年、京成の傘下となり、昭和16年に帝国車輛工業と社名を変えた。
昭和21年に京成から離れ、国鉄向けの気動車の製造を行っていたが、
昭和43年に東急車輛に吸収された。
戦前から車両の出来の良さは有名で、国鉄に湘南電車80系電車を納車した際には、
他社製造分のとは明らかに違うほどで、関係者から賞賛されたという。
また車輛の寿命も長く、今、明治村で運行されている京都市電も同社製である。

○東急車輛
昭和21年に東急が自社の車輛の復興のために設立した。
現在、関東に工場を持つ唯一の鉄道車両メーカーであり、周辺地域のJRと私鉄で
同社が製造した車両が走ってない路線は、ほとんどないと言っても過言ではない。
早くからアメリカのバット社(→ボンバルディア社)と技術提携して、日本最初の
ステンレスカーを製造した。
近年ではJR東日本など共同で、軽量ステンレス製の通勤型電車を開発した。
これは、後にJR東日本の自社工場、新津車両製作所の設立につながった。

東急5000系(2代目)。

○新潟鉄工所→新潟トランシス
明治28年に日本石油の一部門として創立し、明治43年に独立した。
元々が石油会社であったため、石油関係の機械を作ることに長けており、
大正8年に国産ディーゼルエンジンの製造に成功した。
鉄道車両の製造も気動車の製造を中心に行っていた。
平成不況や9・11テロなどで製造が落ち込み、平成14年に会社更生法が適用され、倒産。
車両製造部門は石川島播磨重工(IHI)が出資して、新潟トランシスとして存続することになった。
この際に、地方私鉄向けレールバス(LE-カー)の製造をしていた富士重工業の
鉄道車両製造部門も吸収した。
このため、国内で運行される気動車の大半は同社製となっている。
また、わずかではあるが、路面電車や除雪車の製造も行っている。

○新津車両製作所
JR東日本が新津車両所の組織改変を行い、平成6年に創業した、新しいメーカーである。
本工場の設立にあたり、東急車輛から技術の供与を受けたほか、
車両製造の技術を学ぶため、日光線などで運行される107系電車や
相模線用の205系500番台、901系や209系の一部を自社の工場で
製造し、ノウハウを身に付けている。
第1号は京浜東北線第37編成(ウラ36)で、以降は首都圏で運行される新型車両の多くを
製造している。
また、それらをベースにした私鉄向けの電車の製造も行っており、相模鉄道、
小田急電鉄、東京都交通局などに納車している。

JR東日本E231系。新津で作られた車両の代名詞。

○日本車輌 (日車)
明治29年に創業した鉄道車両メーカーとしては、かなりの老舗で、会社や様態を
問わず、多くの車両を製造してきた。
特に地元の名鉄やJR東海では、ほとんどの車両が同社製である。
現在の工場は愛知県の豊川にあるが、かつては埼玉の蕨や名古屋にも
あった。
古くから地方私鉄向けに独自の設計の気動車、電車、新交通システムの製造・開発を
行っており、特に昭和20年代後半から30年代にかけて製造された日車標準車体や
同ロマンスカーは地方私鉄の近代化に貢献した。
昨今ではステンレスカーの製造に独自の方法を用いたものを採用している。

名鉄7000系パノラマカー。日車の代表格。

○日立製作所
大正9年に創立した、電機メーカーである。家電や通信機器や某「ふ○ぎ発見!」などで
有名だが、鉄道車両メーカーとしても長い歴史を有する。
新幹線の先頭車両の多くは、ここで製造されているほか、アルミボディの新型通勤型
電車「A-Train」シリーズの製造も行っている。
また、鉄道に関わる機器類の多くもここで作られており、例えば、
みどりの窓口などで毎度、お世話になるマルスの大半は、同社製である。

A-Trainシリーズの西武20000系と東京メトロ10000系

名古屋鉄道 モ400形電車(岡崎市立南公園保存車)

2008-06-10 20:12:56 | 保存車・博物館
揖斐・谷汲線の輸送力増強と速度向上を図るための試作車両として、
昭和27年に登場した車両である。
名鉄では初めての連接車である。

当時の岐阜の各支線で運行されていた車両の大半は2軸4輪の台車に、
そのまま車体を載せた、いわゆる4輪単車が主流で、速度や乗り心地、
輸送力に難があった。
その解決のため、4輪単車2両を改造して連接車にしたのが本形式である。

連接車にしたのは、カーブの通過を容易にするためである。
車体は種車(改造元になった車両のこと)のものを改造したもので、
連接部分の進行方向右側の車端部にあった
ドアは埋められて、客席となった。
座席はロングシートで、内装は木造、外側が鋼鉄の半鋼製車体となっている。
集電装置はパンタグラフである。
連接車である為、車体は2つあるが「1両」と見做され、車番は前後の車両で
共通である。

台車は、当時の標準的なイコライザー式のもので、モーターの駆動方法は
釣り掛け式である。
制御器には英国製の自動加速式のものを使用していた。
これらは極力、種車のものや名鉄の手持ち部品で賄われている。

種車となった車両はモ110形電車110号と111号で、これらは大正14年に
美濃電気軌道のセミシ64形として登場したものである。
その後、昭和16年の名鉄合併後にモ60形60号・61号になり、昭和24年の車番変更で
モ110形になった。

運行開始後の評価は上々であり、同様の改造車を増やす計画も存在したが、
改造費用が嵩んだ事と、名鉄名古屋本線をはじめ、岐阜以南の路線の高規格化や
新車の投入が進んだことで、それまでの車両よりも大きな小型~中型のボギー車が
転入するようになったため、本形式は1本分のみの改造で終わった。

1形式1両だけの存在ということもあり、ファンからは珍重されたが、
昭和48年に瀬戸線の1500V化、及び、お堀区間の地下化による栄町乗り入れに伴い、
同線の中古車が転入してきたため、これと入れ替わる形で廃車となった。

廃車後、しばらく、保管された後、岡崎市立南公園にて保存・展示されている。
同公園には変形デフ装備のD51形蒸気機関車や科学万博(つくば博)で活躍した
HSST-03リニアモーターカー、消防車(はしご車)が、共に展示されている。
展示場所については、上記のリンクを参照されたい。

名鉄での連接車は、岐阜市内線・揖斐線直通用の770形
美濃町線用の870形(元札幌市電A830形)、880形と犬山モンキーパークモノレール線の
MRM100形が存在するが、いずれも新製当初からの連接車である。
つまり、改造で生まれた連接車としては、本形式が唯一の存在ということになる。

JR東日本 E351系電車 「スーパーあずさ」

2008-06-07 19:57:26 | 電車図鑑・JR新系列特急用車両
特急「あずさ」で使用していた183・189系特急用電車の老朽置き換えと、「あずさ」の
スピードアップのため、平成5年~6年に登場した。

JR東日本の車両として初めて車両の形式に「E(East=東の意味)」を冠した。
また、振り子式(カーブの内側に車体を傾けて、車両にかかる
遠心力を軽減させる車両のこと。カーブで速度を下げなくても走れる)を
初めて採用して、最高速度130km/hで新宿~松本間を2時間25分で走破している。
振り子装置は中央線新宿~八王子間と大糸線信濃大町~南小谷間では使用しない。
この装置の有無で所要時間が大きく異なったため、本形式使用の列車は
「スーパーあずさ」として分類されるようになった。

編成は基本編成が8連、付属編成が4連で最大12連で運行される。
付属編成は新宿側に連結される。

平成5年製造のもの基本8連2本と付属4連2本は、量産先行車で先頭部分や
クーラーの形状、客席や車内の空調の方法も、若干、異なる。

車体は鋼鉄製で、運転台部分を踏切事故を想定し、高運転台としている。
デザインは常磐線の651系「スーパーひたち」に準じている。
非貫通型と貫通型があり、非貫通型は正面中央に3色LED式の大型ヘッドマークと
ヘッドライト(角型×3)が配されている。
貫通型は、この部分に貫通扉を設け、連結時には通行が可能となる。
ヘッドマークはなく、代わりに貫通扉にロゴマークがサインされている。
重心を低くするために屋根上にはクーラーとパンタグラフぐらいしかない。

塗装はホワイトに淡いパープルの帯を配している。
窓は連続窓である。

車内は、グリーン車、普通車共に左右2列配置の回転リクライニングシートである。
普通車とグリーン車で前後間隔と座席の色が異なる。
量産先行車では、普通車の足元部分は塞がれていたが、量産車では暖房の吊り下げ方式を変えて
足が延ばせるようになっている。テーブルは背面配置である。
グリーン車はフットレストと肘掛内蔵のテーブルがあり、量産車では、これに背面テーブルが追加される。
また、量産先行車では網棚の下にも照明を設置していたが、量産車では採用されていない。
客室出入口鴨居部分にはLEDスクロール式の旅客案内装置が設置されている。
一部車両にはカード式公衆電話とスキー板などの荷物が置ける大型荷物置場、
飲み物の自販機が設置されている。
飲み物の自販機は平成20年4月より使用を停止している。

主制御装置はVVVF制御で、量産先行車がGTO、量産車がIGBTとなっている。
台車にはコロ軸式ボルスタレス振り子台車を採用しており、最大で5℃まで
車体を傾斜できる。
パンタグラフは通常の菱形のものを採用していたが、後にシングルアーム式に
統一されている。
また、カーブで車体を傾ける関係で、パンタグラフが架線から離れないように、
台車直結の櫓の上に載せる形態をとっている。

特急「スーパーあずさ」に投入され、中央線特急の速度向上に貢献したが、
初期故障の多さと、走行環境の整備が間に合わなかったことなどから
基本編成+付属編成で5本60両しか製造されていない。

このほか、平成9年10月12日に大月駅構内にて信号を無視した回送列車と
衝突し、第3編成のうち5両が大破・解体されている。
この際、廃車手続きは執らず、使用可能な部品を流用して車体を新造して
復帰している。
その間、長野新幹線の開業で余っていた「あさま」用の189系を投入するなどして
急場を凌いだ。

現在は特急「スーパーあずさ」のほか、ホームライナーの「中央ライナー」、
「おはようライナー新宿」、「ホームライナー小田原」でも使用されている。


貫通型正面。写真は量産車。

■特急「スーパーあずさ」DATE
運転区間・・・新宿~松本
停車駅((カッコ内)は一部列車のみ停車)
・・・新宿~(立川)~八王子~大月~(石和温泉)~甲府~(韮崎)~(小淵沢)~
茅野~上諏訪~(岡谷)~塩尻~松本
運転本数・・・1日上下とも8本