水の丘交通公園

鉄道メインの乗り物図鑑です。
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用途を申告してください。

JR貨物 EF210形電気機関車

2009-09-30 21:00:00 | 電車図鑑・JR機関車
東海道・山陽本線の1300tコンテナ貨物列車の運用拡大と老朽化の進んだEF65形などの
国鉄型機関車の置き換えのため、登場した汎用電気機関車である。
平成8年に登場し、現在も増備が続けられている。
JRの機関車で初めて愛称が募集され、公募の結果、「ECO-POWER桃太郎」と
命名された。
これは当形式の初期配置が岡山であったことと省電力・大出力機である事に
由来する。

車体は鋼鉄製で全体にシンプルにまとめられたスタイルとなっている。
塗装は正面から側面上部にかけてブルー、正面下部から側面がグレー、
ヘッドライト周りにホワイトの帯が入り、正面窓周りはブラックである。
側面には白抜きで「JRF」のロゴが入るほか、平成12年以降に製造された
100番台以降は大きく「桃太郎」のロゴが入る。

主制御装置はVVVFインバータ制御装置であるが、本形式では1台のインバーターで
2基のモーターを制御する1C2M方式を採用している。

定格(モーターに最大限に電流を流し続けられる容量)出力3390kw(1時間)だが、
本形式では「30分定格」という新しい方式を日本で初めて採用した。
これは30分以内なら、通常の定格出力を超えて電流をモーターに送ることが出来る
機能で、この場合、3540kwまで上げることが可能である。
これにより、東海道本線の難所である関ヶ原の連続10‰の勾配も
通過できるようになり、高出力機のEF66形とも共通運用が可能である。

高速性能や通常の出力では、EF66形やEF200形(JR貨物最大最強の電気機関車。
VVVFインバータ制御を初めて採用した。高速・大出力の高性能機であったが、
消費電力が大きく21機で生産が打ち切られた)に劣るもののその分、
汎用性に優れる。

ブレーキは発電ブレーキ併用電気指令式空気ブレーキで、駆動方式は吊り掛け駆動、
台車はボルスタレス式である。

製造時期や仕様の違いによって3種類に分類され、それぞれが車番で分類されている。
違いは以下の通りである。

○900番台(901)
本形式の試作機である。平成8年に1機のみ製造され、新鶴見機関区に配属され、
各種試験後、岡山機関区に転属された。
量産機とは正面の塗りわけや窓の大きさ、車番表示が助手席側にあるという点が
異なっている。
機器類も一部異なっていたが、平成17年に駆動装置を量産機と同じものに
改造している。パンタグラフは下枠交差形。
○0番台(1~18)
試作機のデータを反映して平成10年登場。モーターを小型のものに変えた。
このモーターは後に登場する新型電気機関車にも搭載されている。
車番の表記が運転席側に移ったほか、助手席側側面に「桃太郎」のロゴが入る。
○100番台(101~)
平成12年より登場の改良型である。VVVFインバータ制御装置の素子がGTOから
IGBTに変更され、制御系も1つのインバーターで1つのモーターを制御する
1C1Mになった。また、補助電源装置の静止型インバーターには故障時に
走行系統のインバーターでバックアップできるよう冗長性が持たせられた。
外観では0番台と側面の採光窓や放熱グリルの形状や位置が異なるほか、
「桃太郎」のロゴが側面に大きく描かれるようになった点が異なる。
また、109号機からはパンタグラフがシングルアーム式になった。

運用範囲は広く、東海道・山陽本線を中心に東北・高崎線や瀬戸大橋線を経由して
予讃線新居浜までの乗り入れ運用もある。予讃線では狭小トンネルを通過する
関係で対策を施している。
今後も増備が続けられる予定で年間で10機前後ずつ製造される予定である。

JR四国 高知駅

2009-09-29 20:00:00 | 駅舎・鉄道施設
高知駅は鉄道省(国鉄を経て今のJR)が大正13年に高知線の日下~高知間を
開通させた際に開業した土讃線の駅である。
今回は土佐電気鉄道桟橋線の高知駅前電停についても紹介する。

◇歴史
大正13年11月15日:鉄道省高知線日下~高知間開業と共に開業。

大正14年12月5日:高知線が土佐山田まで延伸。途中駅になる。

昭和3年8月10日:土佐電気(→土佐電気鉄道)の高知駅前電停が開業。
・・・今の駅前の十字路を左に曲がった高知ホテルの前辺りにあった。

昭和26年5月24日:土佐電気鉄道電停移設。
・・・今度は逆に右に曲がったところの歩道橋の下あたり。

昭和45年:駅舎改築(先代の駅舎)完成。

昭和62年4月1日:国鉄分割民営化。JR四国の駅になる。

平成13年4月1日:土佐電気鉄道電停移設。
・・・現在地よりやや手前の駅舎真正面。

平成14年3月:高架事業のため駅構内にあった高知車両所を移転。

平成16年:高架事業着工。旧駅舎取り壊し開始。

平成20年2月26日:現駅舎竣工。高架化完成。

平成21年2月14日:土佐電気鉄道電停移設。新駅舎正面まで線路延長。

◇駅構内
※JR線

○1番線ホームに入った特急「あしずり」1号。

高架式の2面4線島式ホームで、1~4番線まである。構内の外れには
折り返し列車用の留置線が設置されている。なお、構内は非電化である。
発着番線は以下の通りである。

1番線:土讃線窪川・中村・宿毛方面。特急列車岡山・宿毛両方面(大半)。

2番線:土讃線窪川・中村・宿毛方面。特急列車岡山・宿毛方面(一部)。

3番線:土讃線土佐山田・阿波池田方面。

4番線:土讃線土佐山田・阿波池田方面。土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線方面。


○土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線。この後、一旦引き上げて4番線に移動する。

現在の駅舎は平成20年2月に共用を開始した。ホームを覆うように大屋根がかぶさり、
この屋根は「くじらドーム」と命名されている。この駅舎を初めとする高架事業に
対して第7回ランドマークデザイン賞が贈られている。
駅構内は白で統一され、南国の開放感を表現している。また、喫煙所はあえて
動線から外れたところに設置している。
駅構内には観光案内所、喫茶、居酒屋、パン屋、土産物屋兼コンビニがある
(全て改札外)。


○2・3番線に並ぶ1000形気動車の普通列車。

改札は高知県の駅で初めての自動改札機を導入した。私が平成20年9月に
訪問した際には改札機の技術者が常駐監視しており、改札の使い方が
わからないお客に使い方を案内をしたり修理したりしていた。

・・・ちなみに私はこんな光景を目にした。

ある老紳士が通ろうとすると改札機の券なし警報がなる。

技術者:「失礼ですがきっぷはお持ちですか?」

老紳士:「家内が持ってます」

その家内:にっこり笑って技術者にきっぷを見せる。

技術者:あきれながらも通り方を説明。

老紳士:「少し前までは(駅員が見てくれるから)良かったのに不便になったね」

戦前や終戦直後のローカル私鉄とかのエピソードで自動ドアにビックリしたとか、
車両が立派なので思わず下駄を脱いだというのがあるが、こういうのを
現代で目の当たりにするとは・・・。

※土佐電気鉄道
3面2線の頭端式くし型ホームである。年表に記したとおり、現在地まで4回の移動を
経ている。
ちなみに平成13年まで使われた電停の跡は駅前の歩道橋にくっきり残っている。

1番線:はりまや橋・桟橋5丁目方面

2番線:はりまや橋・枡形・桟橋車庫・桟橋5丁目方面・1番線降車ホーム兼用。

無番:2番線用の降車ホーム。


○土佐電気鉄道のホームで並ぶ600形のアンパンマン電車と元名鉄590形。
背景の大屋根が「くじらドーム」。

◇今後
平成21年夏頃までに旧駅舎跡の整地・再開発とバスターミナルの移転などは
ほぼ完了しているため、ほぼこのまま推移すると思われる。

東京メトロ 新05系電車

2009-09-28 20:34:27 | 電車図鑑・地下鉄
冷房化や車体更新で延命してきた5000系電車の老朽化に伴い、
それらの全面置き換えのため、登場した車両である。
平成11年~平成16年にかけて10両編成×19本=190両が製造された。

車体は第24編成以前と同じアルミ製であるが、最終の第24編成の製造から5年もの
ブランクが開いたため、デザインや内装は大幅に変更されている。
正面は縦曲線を協調したスピード感のあるデザインとなり、斜めに配置された
丸型のヘッドライトや八角形状の窓など、かなり特徴的なスタイルとなった。
行き先表示は正面・側面ともLED式で従来のものより輝度の高いものを使用して
遠方からの視認性の向上を図った。
第33編成からは車体構造のセミダブルスキン化、第40編成からは日立製作所の
標準通勤型電車「A-train」の設計を取り入れてダブルスキン化が図られ、
車体の強度が増している。
また、機器や車体構造を半蔵門線の08系や東葉高速鉄道の2000系と共通とした
モジュール工法をとり入れ、製造コストを抑制している。
帯色はこれまで通りのライトブルーの濃淡であるが濃いほうの青が紺色に
近くなった。

客室はオールロングシートで座席はリサイクル性の高いものに変更された。
また第34編成からはドアの間隔が均一化され、4-6-7-6-4から3-7-7-7-3になったほか、
側面窓も2連一段下降窓に変更された。車端部は一部固定である。
妻面の窓は貫通扉の戸袋側のみの設置だったが、後に復活させている。
ドアは両引き戸4つドアで各ドアの上にLEDスクロール式の旅客案内装置と
ドアチャイムを設置している。第40編成からは案内装置が半減した
千鳥配置となり、案内装置の無いドアはドアの開閉表示のみの設置となっている。

主制御装置はIGBT式VVVFインバータ制御でATC連動回生ブレーキ併用電気指令式
ブレーキである。40編成以降は回生ブレーキを停止寸前まで使える純電気ブレーキ
対応となっている。
台車はボルスタレス台車で軸箱支持がゴム板支持のミンデン方式から
モノリンク式に変更となった。
運転台は片手操作式のワンハンドルマスコンを営団で初めて採用している。
このほか、編成中の電動車の数の適正化が図られ、第33編成までは
10両中4両が電動車、それ以降は10両中5両が電動車となっている。
パンタグラフは33編成までが菱型、それ以降がシングルアーム型である。

当初、47編成まで増備の予定があったが、副都心線の開業準備でホームドア対応が
できない有楽町線の07系を転属することになり、第43編成で増備は終了した。
これにより東西線開業以来の5000系電車は全て引退し、千代田線の北綾瀬支線に
残るのみとなった。


新05系としての初期増備車の先頭車。大きな窓が特徴。33編成までがこの形態。

車内。奥の妻窓が右側の戸袋一個だけ。座席の座り心地はかなり硬い。

新05系最終増備車。全体図。

先頭車アップ。窓が2連下降式なのと車端部の窓が車体外面との
段差が少ないのが特徴。また、連結面には特有の面取りがされている。

車内。上のものと配色が変わった。右のドアの上に案内装置が無いのが
わかる。

旅客案内装置。鴨居に埋め込みになった。周りもアルミ製で材質の均一化が
図られている。

05系第16編成との並び。僅か5年差でこれだけデザインが変わった。

東武鉄道 50050系電車

2009-09-27 21:34:02 | 電車図鑑・私鉄電車(関東)
営団(→東京メトロ)半蔵門線と東急田園都市線との直通運転で運用していた、
30000系電車の置き換えのためと輸送力増強のために登場した車両である。
平成18年に登場し、平成21年8月現在で10両編成×16本=160両が製造されている。

車体はアルミ製で同時期に登場した東上線向けの50000系第2編成と同等のものである。
正面は貫通式で正面向かって左側に扉が付いている。
ただし、東急田園都市線の建築規格が東武よりもやや小さいため、他の形式より
30㎜ほど横幅が狭くなっている。
行き先表示は正面、側面とも3色LED方式で側面のものは列車種別と行き先のほか
号車番号も表示する。

側面窓はドア間が固定式の大窓で車端部の一部が一段下降式窓となっている。
ガラスにはUVカットガラスを採用しているが、大窓、車端部の窓の両方に
カーテンが取り付けられている。

ドアは両引き戸で片側4箇所である。長時間停車時の空調保持のためのドアカット
機能を有している。
車内はオールロングシートで一般席が淡いパープルのモザイク柄、
優先席がエメラルドグリーンのモケットを採用している。また、大型の袖仕切りで
ドア付近の立席客と分けているほか、ドア間の7人席には3:4の位置にスタンション・
ポールを設置している。床はフットライン化され、グレーの濃淡で
塗り分けられているほか、ドア付近は注意を促すため、イエローとしている。
ドア上部にはドアチャイムのほか、LEDスクロール式の旅客案内装置を
設置している。

主制御装置はIGBT素子のVVVFインバータ制御でブレーキは回生ブレーキ併用
電気指令式ブレーキで回生ブレーキは停車直前まで使える純電気ブレーキである。
台車はモノリンク式ボルスタレス台車である。
冷房装置は集中式が1台だが、窓が固定式のため、非常用の強制換気装置を
搭載している。パンタグラフはシングルアーム式である。

運転台はT字型ワンハンドルマスコンで、速度計周りを半蔵門線・田園都市線で
使用されているCS-ATC(運転台信号式自動列車制御装置)対応としている。
なおATCは入れ換えで地上線向けになった30000系電車のものを流用している(一部
編成は新規製造)。

平成20年に増備された50061編成より車体を中心に設計変更が行われている。
主な内容はドア間の固定窓が2連1段下降窓に変更し車端部を全て固定窓化、
またこれに伴う強制換気装置の廃止、化粧板や座席の配色や柄の変更、
ドア鴨居部分の設計見直しでパイプ式手すりの設置、ドアへの警戒ラインの
マーキングなどである。

登場以来、半蔵門線直通列車専用で運行されている。現在同列車に対応できるのは
本形式16本と30000系3本であるが、今後の動向次第で変わる可能性もある。
なお、平成21年度の増備車の登場による30000系の地上線転用で8000系電車の
伊勢崎線における浅草口の運用が消滅した。


車内。写真は初期型のもので座席の色が薄い。61編成以降はキュービックブルー
と呼ばれる濃い青色の表地となった。

設計が変わった現時点でのラストナンバー車50066編成。
秋の交通安全週間ヘッドマーク付き。

設計変更の中間車。窓が2連式の一段下降窓になっている。車端部の面取部分は
衝突時の側面剥離を抑えるためのもの。

設計変更車の車内ドア付近。手すりが付いたのとドアの縦方向にもイエローの
警戒ラインを付けた点が異なる。右にちらりと写っている座席の色も上の車内
写真と異なるのがわかる。

土佐電気鉄道 200形電車

2009-09-25 22:15:57 | 電車図鑑・路面電車
土電で初めてのボギー車(1つの車体の前後2箇所に2軸以上の台車のある車両の
こと)として登場した車両である。
昭和25年~32年までに21両が製造された。

車体は都電の6000形電車をベースに設計されており、正面はやや曲面を描いた
3枚窓で側面の乗降ドアは2枚引き戸が車体前後両端の2箇所に設置されている。
なお、ヘッドライトは正面上部にあり、210号車までは外付け、211号車以降は
埋め込みになった。
201~204号は更新改造で正面中央の窓を拡大し、左右の窓の幅を縮め、2段窓とした
改修を受けている。それ以外の車両も方向幕の拡大などの改修を施している。

塗装はクリームに屋根がグリーン、バンパーから下がエンジ色で青帯を巻いた
土佐電気鉄道の標準色である。ツーマン車とワンマン車が混在した時は
ツーマン車は抹茶グリーンにクリームの帯が入った独自の塗装となっていた。

車内はロングシートである。側面窓は214号までは2段窓、215号以降は1段下降窓
(一旦上にして落っことすバランサーのないタイプ)で、側面の窓の数も214号までが
10枚、215号以降が11枚となっている。
なお、後の改修で2段窓、1段窓の車両を問わず、上段固定・下段上昇のいわゆる
バス窓になった車両もある。
冷房は装備していなかったが、201号と202号は昭和55年にワンマン化改造と
更新改造の際に取り付けている。残りの車両の内、204~215・221号車は
送風機のみを取り付け冷房装置は取り付けていない。

主制御装置は抵抗制御で直接制御式、ブレーキは空気自動ブレーキである。
211・212・219~221号車は間接非自動制御式で登場し、連結器を装備して、
安芸線(後免~安芸間。現在の土佐くろしお鉄道ごめんなはり線の一部)への
直通運転に使用されたが、昭和49年に安芸線が廃線となったため、
連結器を撤去し、マスコンも直接制御に改造された。

集電装置は201~205がトロリーポール、206~210がビューゲルだったが、
211号以降は211~214・216・219・220がひし形のパンタグラフ、それ以外が
Zパンタである。201~210号も現在はZパンタになっている。

台車は201~210号が板バネ台車、211~221号がコイルバネ台車である。
わずか21両ではあるが7種類の台車が存在する。
このうち221号は名古屋鉄道モ590形電車のうち、土電に譲られなかった593号車
(旧美濃駅保存車)の台車に交換され、その際にモーターも同車から流用して
出力も向上している。
なお、駆動方式は全車とも吊り掛け駆動である。

登場以来、主力車両の一翼を担っているが、203・215・220号車は事故で廃車に
なったほか、217~219号は2000形に機器を譲って廃車になっている。
218号は引退前に旧ツーマン色に塗られたが、これが好評を博したため、
215号がこれに続いた。しかし、平成17年に215号も220号との接触事故で廃車に
なってしまったため、現在は213号が引き継いでいる。
なお、218号は引退後、集電装置や台車などの機器を2001号車に譲った後、
車体は「わんぱーくこうち」にて保存されている(台車は西鉄から譲り受けた廃車
発生品。Zパンタもビューゲルにされた)。
なお、残りの車両の主な運用区間は桟橋線が中心であるが、後免線・伊野線に
入ることもある。
老朽化が進んでいることもあるが、冷房のある201・202号車を除き、
夏季にはラッシュ時を除いて運用に就かない。


冷房化改造と更新改造を受けた201号車。行き先表示は全車LED化されている。

ツーマンカラーになった213号車。

桟橋車庫で休む200形電車。ラッシュ時間をやや越えたあたりだが、
この日は暑く、動いている車両は少なかった。
手前右は広告電車。こうしてみるだけでも結構なバリエーションがある。

2000形とすれ違う県庁方面から来た200形。
今後、数年かけて2000形に更新される予定。

JR東日本 185系電車

2009-09-22 21:51:05 | 電車図鑑・国鉄型特急用車両
老朽化の進んだ153系急行形電車の置き換えと、急行列車の特急格上げのため
登場した車両である。
昭和56年~57年にかけて10両編成×5本=50両、5両編成×7本=35両、
7両編成×16本=112両の227両が製造された。
10両編成と5両編成が0番台、7両編成が200番台である。

車体は普通鋼製で、これまでの「特急車は特急専用」という概念を捨て、
急行列車や普通列車での使用も視野に入れて設計されている。
また、ポリエチレン樹脂による塗り屋根やドアや車体側面窓下にステンレス鋼を
使用しているなど腐食対策を施している。
正面は非貫通で中央部に字幕式の愛称・種別表示を設置し、側面にも同じく
字幕式の行き先表示を設置している。

登場時の0番台、及び田町車両区に配属された200番台車はアイボリー一色に
車体側面中央にグリーンの大きなストライブが入るという、これまでの
鉄道車両にはない大胆な塗り分けとなった。
新前橋車両区に配属され「新幹線リレー」号や「あかぎ」、「草津」、「谷川」、「なすの」などの
新特急に用いられたものはアイボリーにグリーンの細帯という凡庸な塗り分けと
なった。

ドアは片引き戸で片側2箇所のデッキ付きであるが、これまでの特急型よりも
幅広なドアを採用し、混雑に配慮している。

車内の階級は普通車とグリーン車があり、グリーン車は10両編成に2両、
7両編成に1両が組み込まれている。なお、0番台のグリーン車が3・4号車、
7両編成のグリーン車は田町車両センターのものが4号車、大宮総合車両センターの
ものが6号車に連結される。

普通車は登場時、オール転換クロスシートであった。登場時の国鉄の特急車ですら
回転式簡易リクライニングシートを採用していた中、急行や普通で用いられていた
時期もあったとはいえ、特急車としての設備としては少々劣るものだった。
グリーン車はこれまでの特急用電車に準拠したフットレスト付回転式リクライニング
シートである。
側面窓は普通車が戸袋部分を除いて2連ユニット式、グリーン車は同じく座席ごとの
1枚窓で、いずれも1段上昇式となっており開放可能である。
なお、グリーン車の窓枠はゴールドに塗られ、外観上のアクセントとなっている。

主制御装置は抵抗制御で機器類は当時の急行形電車に揃えられており、
営業最高速度も110km/hである。
ブレーキは抑速ブレーキ付き発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキで
勾配区間での走行に配慮している。
台車はインダイレクトマウント式空気バネ台車である。
200番台車については、耐雪・耐寒構造を強化しているほか、かつて存在した
信越本線横川~軽井沢間を通過できるように車体構造の強化が図られているほか、
同区間での機関車の後押しが容易に出来るように軽井沢側を軽く、上野側を
重くしている。グリーン車の連結位置が田町車と異なるのはこのためである。

平成7年~8年にかけて大宮総合車両センター所属車が、平成11年~14年にかけて
田町車両センター所属車が、それぞれリニューアル改造を受けた。
主な変更点は普通車の座席の回転リクライニングシート化、グリーン車座席の
リニューアル、内装の張り替え、一部トイレの洋式化、客室仕切り戸の自動ドアを
フットスイッチからセンサー式に変更、洗面所の冷水器撤去、自販機設置、
塗装の変更(大宮車=アイボリーに赤・グレー・黄色のブロックパターン、
田町車=アイボリーにオレンジとグリーンのブロックパターン)などである。
細かいリニューアルの内容は時期や所属区の事情によって、若干異なる。

運用は0番台車が登場以来、特急「踊り子」に用いられているほか、
朝夕のホームライナー「湘南ライナー」でも運行されている。
登場後しばらくは「踊り子」の前身の急行「伊豆」、「あまぎ」にも使用されていた
こともある。

200番台車は当初、新前橋電車区に全車が配置された。運行当初は急行列車で
使用されたが、東北・上越新幹線の大宮暫定開業に伴い、上野~大宮間で運行された
特急「新幹線リレー」号で本格的に特急運用に就くようになった。
東北新幹線の上野に延伸で「新幹線リレー」号が廃止になると、4編成が田町車両区に
移籍して、「踊り子」の一部で使用されていた183系を置き換えた。
その後、昭和63年と平成2年に合計3編成が田町車両区に移籍している。
残った9編成は新特急「草津」、「あかぎ」、「谷川」、「なすの」に用いられた。
平成6年~7年にはシュプール号用に塗装をぬりかえたこともある。
その後、「谷川」が「水上」に「なすの」は「おはようとちぎ・ホームタウンとちぎ」に
改称され、平成18年に全車大宮総合車両センターに移管された。

田町に移籍した編成ではグリーン車の連結位置を6号車から4号車に変更したほか、
塗装も0番台に合わせて変更している。
また、リニューアル工事の際に波動輸送対策でパンタグラフを小断面対応のものに
交換したほか、3編成に対して「はまかいじ」用にATC取り付け改造を実施している。

現状では置き換えの計画も無く、今後も使用される予定である。


上野駅で発車を待つ200番台大宮車。グレートーンの塗装が特徴。

松本駅を発車する200番台田町車の臨時特急「はまかいじ」。こちらはグリーン系。

名古屋鉄道 モ700形・750形電車

2009-09-21 22:57:05 | 電車図鑑・私鉄電車(中部)
旧名古屋鉄道(→名岐鉄道→現・名古屋鉄道)で初めての鋼鉄製電車として登場した
車両である。
昭和2年に700形が10両、昭和3年と4年に750形が10両の計20両が登場した。
登場時の形式記号はデセホ700形、デセホ750形でである。
なお、タイトル写真は750形だが、700形も同等の車体と性能の電車だったので
まとめて紹介する。

車体は前述のとおり鋼鉄製だが、全て鋼鉄製ではなく内装は木造のいわゆる
半鋼製車である。深めの屋根構造に小さめな一段窓、リベット張りの
重厚な車体を有する。正面窓は3枚でヘッドライトは当初、正面中央窓の
下に取り付けられていた。
また、集電装置はパンタグラフを屋根の中央に、その前後にトロリーポールを
設置していた。
これは当時の名鉄の起点が押切町にあり、路面電車区間を走る必要があったためである。
塗装は当時の標準色であるダークグリーンである。

ドアは片側3箇所で全てステップ付きの片引き戸で車内はロングシートである。
ドアは当初、手動ドアであったが、最終増備のデセホ759・760号がドアエンジンを
搭載して、最初から自動ドアとなり、旧名古屋鉄道で初めてのドアエンジン
装置車となった。

主制御装置は抵抗制御で電動カム軸式自動加速制御装置を搭載し、自動加速車ながら
手動加速車と同じノッチ刻みのマスコンを採用したため、どちらの車両とも
連結が可能であった。また、それらを選択するためのスイッチがあった。
ブレーキは空気自動ブレーキである。
駆動方式は吊り掛け駆動で台車は釣り合い梁式台車を採用している。

登場時は名鉄西部線(現在の名鉄名古屋~名鉄岐阜)を中心に運用された。
登場間もない昭和2年11月には707号と708号が貴賓車SC-1形3号を連結して
お召し列車牽引の名誉に浴した。また、天皇が乗った初めての「一地方私鉄の電車」
によるお召し列車となった。
社名が名岐鉄道になった昭和7年からは行楽シーズンに755・756号車がお座敷仕様に
改装されて省線の高山線(→JR高山線)に乗り入れた。
その後、直通運転は一旦なくなるが、昭和15年に今度は省線側から客車を乗り入れる
形で再開された。この時は707~710号が牽引車に指定された。

昭和10年に名岐鉄道と愛知電気鉄道が合併して現在の名鉄が発足すると、
形式記号が変更され、モ700形、モ750形にそれぞれ改称された。
昭和16年には東枇杷島~新名古屋(→名鉄名古屋)間開業に伴い、路面電車区間への
乗り入れが廃止になったことから、トロリーポールの撤去とパンタグラフの移設、
ヘッドライトの屋根上への移設が行われた。
その後、新名古屋~神宮前間が開業すると同駅まで乗り入れるようになった。

昭和23年に旧西部線の主要区間の電圧が600Vから1500Vに昇圧し、現在の名古屋線が
出来上がったが、本形式は昇圧工事の対象から外れて、600Vのまま残った
各務原線や広見線、小牧線で運行された。
それも昭和39年に昇圧されると瀬戸線や揖斐・谷汲線に転じた。
なお、この際に700形6両が余剰廃車となり、福井鉄道と北陸鉄道に譲渡されている。
また、2両が新川工場で発生した火災により焼失して廃車となっている。

揖斐・谷汲線に移籍したものはHL制御(手動加速制御)に改造されたほか、台車や
モーターの換装を実施している。
その後、瀬戸線でも3700系の導入による近代化や架線電圧の1500V化が
行われることになり、余剰となったものが揖斐・谷汲線に集まった。

晩年、ドアの自動化及び鋼鉄化、窓枠のサッシ化などの近代化改造が行われた。
また、ワンマン運転実施のため、750形のみワンマン化改造された。
700形は片方の運転台を撤去して、制御車と常時連結とされ2連で使われた。
この当時の運用区間は忠節~黒野~谷汲or本揖斐であったが、重要検査などで
市ノ坪にあった岐阜工場に入る際は、軌道線乗り入れ対応準備として正面に
排障器を設けて岐阜市内を走行した。

平成9年~10年にかけてモ780形が新造され、運用形態が変化したことにより
700形は全滅し、750形も3両だけとなった。この3両は黒野から先の本揖斐方面、
及び谷汲方面の末端区間で使われた。

この区間が廃止になった平成13年に最後の3両が廃車となり全車引退となった。
引退後は751号車足回りを除去の上で岐阜県内のパン屋に、754号車は車体を
切断し、やはり足回りを取り除いて瀬戸市の郷土資料館「瀬戸蔵」に、
755号が現役時代の姿で谷汲駅跡にそれぞれ保存されている。


車内。肘掛の形状や網棚の装飾に当時の職人技を見ることが出来る。

運転台。客室とは簡単に仕切られた開放的なものだった。

南海電気鉄道 浜寺公園駅

2009-09-20 21:58:22 | 駅舎・鉄道施設
南海電気鉄道の前身である南海鉄道が明治30年に堺~佐野(→泉佐野)間を
開通させた際に開業した南海本線の駅である。
現在の駅舎は明治40年に建てられたもので、私鉄で現役の駅舎としては
日本最古のもので国の有形登録文化財に指定されている。

○年表
明治30年10月1日:南海鉄道の堺~佐野間開通と共に開業。駅名は浜寺。
明治40年:駅舎が現在のものになる。8月20日に浜寺公園に改称。
昭和19年6月1日:戦時合併により近畿日本鉄道(近鉄)の所属になる。
昭和22年6月1日:近鉄から独立し南海電気鉄道の所属になる。
平成10年:国の登録有形文化財に登録される。
平成19年:現駅舎が建設されて100年目を迎える。

○駅舎及び駅構内
現在の駅舎は東京駅や国会議事堂の設計に携わった辰野金吾が手がけたものである。
木造・平屋建ての洋風建築で柱や梁などに模様をあしらったハーフテンバー様式を
採用している。
駅舎のうち向かって右側にあった待合室は「浜寺ステーションギャラリー」となり、
左側は駅事務所になっている。改札は真ん中にある。
駅構内は変則2面4線の配置となっており、駅舎の反対側の和歌山方面ホームの
奥が1番線で手前が2番線。駅舎改札前が難波方面の3番線で3番線ホームの
難波側にある切り欠けホームが4番線となっている。
4番線ホームの向いには5番線があった形跡が残るが、いつまで使われたのか、
また実際に使っていたのかどうかの記録が少なく詳細は不明である。
ちなみに、この場所にはホームに近接してマンションが建っている。

○停車する列車
各駅停車のみである。かつては浜寺公園への観光客向けに停車していたようで
あるが、昭和21年ごろに通過駅に降格した。

○乗り換え
阪堺電気軌道阪堺線(浜寺駅前電停)。

○駅周辺
大阪府内屈指の高級住宅街として知られ、数寄屋造りの豪邸や洋館が立ち並ぶ。
駅名にある浜寺公園は駅の西側にある。

○今後について
大阪府と南海電鉄が進めている連続立体化工事(高架化)により、現駅舎が
解体される恐れがあった。しかし、地元住民などから反対運動が起こり、
長年の議論を経て、最終的に高架工事完成後、新駅舎の前に移築されることが
決定している。
なお、当駅より難波側に1つ隣りの諏訪ノ森駅も同世代の建築で同じように
保存問題で揺れているが、こちらについては先行き不透明である。

○写真

駅構内。向いが1・2番線ホーム。手前奥のポイントの先が3番線。

1・2番線ホームの待合室。年代不明だが、こちらも凝った意匠である。

4番線ホームに停車する9000系電車。手前側が3番線となる。
左のフェンスのある部分が5番線跡といわれる部分。

JR東日本 183系電車

2009-09-19 22:48:01 | 電車図鑑・国鉄型特急用車両
国鉄が房総地区の急行列車の特急化、181系電車(※)の老朽化に伴う
置き換えのために導入された車両である。
昭和47年~昭和57年にかけて、房総特急向けの0番台車99両と寒冷地対応などの
改良を行った1000番台181両の合計280両が製造された。
この他に改造などで編入されたものが存在するほか、485系などのほかの形式に
編入されたものが存在する。なお、編入組のJR西日本で特急「北近畿」などで
使用されている183系700番台などについては、機を改めて紹介する。

車体は鋼鉄製で先頭部分は485系後期型や583系に準じたショートノーズを
採用している。房総地区向けに製造された0番台車は総武快速線の地下区間に
乗り入れるため正面貫通型であり、外扉を左右に開いて中の鉄扉とヘッドマークを
開ける事で貫通路が形成できる。1000番台車は寒冷地対策のため、非貫通である。
塗装はクリームにエンジのいわゆる国鉄特急色で先頭部側面にJNRマークが付く。
非貫通先頭車の正面両脇の羽根型の塗り分けがツリ目風になっている。

ドアは片側2ドアでデッキ付きである。車内は普通車が回転式簡易リクライニング
シート、グリーン車が回転リクライニングシートである。
普通車の座席はリクライニングと共に座面がせり出すものであるが、リクライニング
角度は1段だけで調整できない。また、ストッパーがなく、姿勢を少し変えただけで
元に戻るという極めて簡素なものである。テーブルは無く、背もたれ裏面には
ネット状の物入れがある。
グリーン車のものは当時の国鉄グリーン車の標準品でフットレストと
肘掛に小さなテーブルが付いている。
なお、これらは後年の改造でリクライニングシートのフリーストップ化、
グリーン車の1:2配置化などのグレードアップ改造を受けたものがある。
なお、国鉄の特急用電車としては初めて食堂車の設定がない。

主制御装置は抵抗制御でブレーキは抑速ブレーキ機能付き発電ブレーキ併用
電磁直通ブレーキである。
台車はダイヤフラム式空気バネ台車で駆動装置、モーターなどはこれまでの
国鉄型特急車を踏襲している。

0番台は前述のとおり、登場時は幕張電車区に配置され、房総特急の「さざなみ」、
「わかしお」に投入された。その後、「あやめ」、「しおさい」、「すいごう」が
ラインナップに加わった。
1000番台は新潟上沼垂運転所に配置され、上野~新潟間を結んでいた
上越線特急「とき」に投入され、181系を順次置き換えていった。
更に長野にも配置され、中央東線特急「あずさ」の181系も置き換えたほか、
田町に配属された車両は急行「あまぎ」を特急化した「踊り子」でも運行された。
後に「あずさ」用の車両は松本運転所に一括で異動したほか、上越新幹線開業で
廃止になった特急「とき」用の編成や185系による置き換えが完了した「踊り子」用の
編成が松本に異動して「あずさ」や「かいじ」の増発に用いられた。
これらの過程で余剰となったグリーン車などの中間車や先頭車などは
485系や113系に編入されたり、横川~軽井沢間通過対策を施して189系に
編入されたものもある。逆にこれらから本形式に改造・編入されたものもある。

JR化後は「あずさ」用にグレードアップ改造車を投入し、塗装もホワイトに
グリーンとレッドの帯というこれまでの塗装に囚われないものに変更された。
その後、松本車は全車が塗装変更を行い、グレーに窓周りを水色、その下の縁取りを
パープルという独自の塗装になっていた。

長くJR東日本を代表する特急電車で運行されたが、寄る年波には勝てず、
後継車両の登場で廃車が進めら、平成17年12月10日のダイヤ改正で全ての
定期の特急運用から引退した。
その後は波動輸送用となっており、夜行快速「ムーンライトながら」などの
臨時列車やライナー列車で主に使用されている。
なお、廃車された車両の一部は鉄道博物館や長野県の某民宿などで保存されている。


廃車となり、長野車両センターで解体を待つ0番台。
なお、0番台は既に区分が消滅している。

俗に「松本色」と呼ばれる塗装の車両。この時は何かのキャンペーンか、
キャラクターのステッカーが貼られていた。

高松琴平電気鉄道 1070形電車

2009-09-17 21:00:00 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
京浜急行電鉄の600形電車(先代)を改造の上で譲り受けた車両である。
琴電で初めての冷房車で昭和59年~昭和62年までに2両編成×3本=6両が入線した。

○京急時代
京急では昭和31年~33年にかけて2両編成×20本=40両を製造した車両で
当初は700形を名乗っていた。
車体は鋼鉄製で正面2枚窓の湘南フェイスであった。ドアは片引き戸が片側2箇所で
車内はドア周りをロングシート、それ以外をボックスシートとしたセミクロス
シートであった。
性能面では京急で初めてのカルダン駆動を採用した。しかし、試験的な要素も
若干含んでいたこともあり、機器を製造したメーカーによって互換性が無く、
駆動装置も中空軸平行カルダンとWN駆動の2種類ある。
主制御装置は抵抗制御で多段式電動カム式自動加速制御器を採用し、こちらは
メーカーのわけ隔てなく使えるように加速シークエンスを揃えている。
ブレーキは発電ブレーキ併用電磁直通ブレーキを採用した。
昭和41年に形式を600形にして、製造メーカーと向きによって分けられた形式を
統一したほか、昭和43年にかけて約半数の車両の運転台を撤去、中間車化して
4両編成に組み替えた。冷房は昭和46年~47年にかけて搭載している。
主に品川~三崎口間の快特を中心に使用されたが、老朽化が進んだため
2000形と置き換えられて昭和59年~61年にかけて引退した。

○琴電への譲渡とその後
琴電への譲渡にあたり、多くの面で改造が行われた。
車体では正面の貫通化、ヘッドライトの移設とアンチクライマー撤去、
車内のクロスシートの撤去とオールロングシート化である。

機器類については在来車との混用を可能にするため、
マスコンを9段式(直列5段・並列4段)手動加速式マスコンに交換、ブレーキの
発電ブレーキ併用空気直通ブレーキ化、主制御装置の回路を変更し、
加速性能の変更と85km/hリミッター取り付けなどが行われた。
この改造は琴電に入る全ての自動加速制御装置車に行われていたが、長尾線に
導入された新鋭の1300形(元京急1000形)では行われていない。

塗装は上半分がクリーム、下半分がピンクのツートンになった。
また、行き先表示は正面貫通扉に設けられた札差に行き先札を差す方式になった。

琴電への入線時は唯一の冷房車ということもあり、最大限に活用された。
しかし、車齢が若く扉の多い車両が増えたことによって、昨今ではラッシュ時での
運用がメインとなっている。


仏生山駅裏の駐輪場から撮ったサイドビュー。