水の丘交通公園

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東武鉄道 8000系電車

2007-07-24 22:45:34 | 電車図鑑・私鉄電車(関東)
輸送力増強と老朽化した戦前製から終戦直後にかけて製造された
旧型車両の置き換えのために、昭和38年に登場した車両である。
昭和58年まで20年に亘り、712両が製造され、私鉄電車での
一系列あたりの生産数で最多記録を誇る。

編成は2連、4連、6連、8連があり、それらの組み合わせで、柔軟な運用が可能で
亀戸線などのローカル線での2連から東上線などでの10連まで、
幅広く運行されており、現在は鬼怒川線以外の全ての線で使用され、野田線では
変電所の関係で全列車が当形式での運転である。
ちなみに8連車は東上線のみの在籍である。

車体は鋼鉄製で、徹底的な軽量化と強度の両立を図るため、同時期登場の車両としては
珍しく戸袋窓が無い。
正面は貫通式で、編成中間に入る際には幌で連結され、運転台は仕切られる。
運転台は当時、大なり小なり頻発していた踏切事故への対策として、
高運転台にしており、独自の正面形状となった。

側面の窓はオーソドックスな2段窓を採用しているが、上段のほうが面積が広い
珍しいものを採用している(普通は上下段同一か、上段のほうが狭い)。

塗装は登場時はベージュに窓周りをオレンジ色に塗ったものであったが、
昭和50年代にクリーム色一色に変更され、現在の塗装になったのは
昭和60年代以降である。

機構面では超多段バーニア抵抗制御で滑らかな加速制御を実現した。

ブレーキは、発電ブレーキや回生ブレーキは無く、直接に車輪を締め付ける
空気ブレーキを採用している。
これは製造当時の東武の路線事情として、駅の間隔が広く、
高加速・減速を行う必要がなかったためで、合理的な発想といえる。
なお、減速力を確保するために、レジン製のブレーキシューを採用している。
そのため、停車時には独特の樹脂が焦げたような臭いがすることがあるほか、
車輪がレジンで削られて、乗り心地が悪くなるなど、これが、この形式において
最大の弱点になっている。

台車は昭和30年代の通勤型電車としては珍しく、ドイツ・ミンデン式の空気バネを
全面的に採用した。
これは車体の軽量化によって、満員の時とそうでないときの車体の浮き沈みに
コイルバネでは対応しづらいことと、生産コストはかかるが、保守の手間が
かからず、長期的に見れば経済的なものであったことなどが、
採用の決め手になった。
後期増備車ではダイレクトマウント式の空気バネ台車になった。

製造当初は非冷房であったが、昭和47年製造の車両から新製時より、
冷房を搭載し、非冷房車も冷房化している。

生産数が多いため、車体番号が80000番台になっているものがある。
例をクハ81101号で挙げると「クハ8100形の101号」という読み方になる。

昭和61年から、修繕工事(他社でいう車体更新改造。東武における「車体更新」は
旧型車の機器を流用し、新しい車体と組み合わせることを指す)を実施しており、
初期車は外板の取替えと、再塗装などの老朽化防止対策、車内化粧板の交換、
側面への行き先表示の設置、座席の交換などを実施して、外観では
原型車とあまりかわらなかったが、昭和62年からは正面形状を変更し、6050系電車
同等のものに替え、運転台のレイアウトもそれに合わせて一新している。

平成9年度以降からは、ヘッドライトのHDD化や車椅子スペース設置、
行き先表示のLED化を実施している。

2連車と4連車の一部にはワンマン運転対応車があり、前者は小泉線の一部と
大師線、亀戸線で、後者は東上線の小川町~寄居間で運行されている。
これらは後期に製造された車両が中心に改造されており、ドアの上に
旅客案内装置が配置(1両あたり4箇所の千鳥配置)や車外スピーカーを
設置している。

まだ、未修繕の車両が残っているが、こちらについても、行き先表示の
LED化だけは済ませており、原形を保っている車両は、消滅している。

伊勢崎線ワンマン化用の800系、850系への改造のため、登場後41年目で
ようやく8連車の一部で廃車が発生したが、今尚、702両が在籍し、
東武鉄道の在籍車両最多を、誇っている。


修繕工事実施車。左が平成9年以降に実施した車両。


登場時の塗装を復元した車両。平成16年10月末から平成17年6月27まで運行された。



名古屋鉄道 1600系電車「パノラマSuper」

2007-07-23 19:51:51 | 電車図鑑・私鉄電車(中部)
平成11年に支線系特急で使われていた7000系「パノラマカー」
特急専用車(通称・白帯車)の置き換えと中部国際空港への
乗り入れを想定して登場した車両である。

「パノラマSuper」を名乗るが、塗装以外はオリジナルの1000系電車とは
外観も性能も大きく異なるものとなっているが、
伝統のミュージックホーンは健在である。

支線特急に用いることから、定員の適正化のため、3連である。
車内は回転リクライニングシートで各デッキには空港利用客対応として
大型荷物置場が設置されている。
ドアも両開きで、従来の車両よりも幅を広く取っており、
大きな荷物を持った旅客に対しての配慮が伺える。
トイレは名鉄で初めてユニバーサルデザインのものを採用している。

正面は貫通構造で、2編成を連結して運転する際は幌を連結し、編成間を
行き来できるようになっている。
使用開始時に急カーブで幌が外れるトラブルがあり、
しばらく、使用していなかったが、
空港線ダイヤの増強に備えて、平成17年に改修の上、使用を再開している。

機器類ではVVVF制御を採用し、編成中の電動車を3両編成中1両だけにし、
省エネに適した構造であるが、雨天時には出力過剰で空転してしまうことが多い。
第1編成では車体傾斜制御装置を試験的に採用している。
これは、カーブで台車の空気バネの圧力を調整し、車体を傾斜させることで
遠心力を減らして、カーブでの速度を向上させる装置である。
そのため、車体を傾斜させた際に、車体が電柱などにぶつからないように、
上にすぼまるような断面になっている。
パンタグラフはシングルアーム式で先頭車に設置されている。

これらの機能や車内の構成などは後に登場する2000系「ミュースカイ」に
改良の上で生かされている。

主な運用は、名鉄名古屋~西尾間の特急のほか、津島線佐屋から、西尾線
吉良吉田までの特急を中心に運行され、当初予定していた、空港線特急には
入っていない。
ただし、過去には臨時列車としては何度か空港線に乗り入れる機会があった。

現在、3連4本が運行中であるが、名鉄では、全車特別車の特急列車を、
全て一部特別車へ置き換える予定であり、本形式でも、
先頭車1両を外して、2200系一般車相当の車両を連結する予定である。
その際、余剰となる先頭車は廃車になるが、もし、引き取り先が無ければ、
登場後、僅か10年足らずで引退ということになる。

長野電鉄 10系電車 

2007-07-11 00:08:09 | 電車図鑑・ローカル私鉄&第三セクター
長野~善光寺下間の地下化に伴って、A-A基準に適応した車両が
必用となり、昭和55年に2連1本が登場した。
当初は、特急用の2000系、当形式の母体にあたる0系電車(※)、
実質的に屋代線用で運行されていた1500系以外を、
この電車で置き換える予定であったが、
コストの関係で、東急5000系を譲り受けた2600系電車を増備することに
変更されている。

正面は三つ折れの非貫通で、冬季の運転環境改善をしたほか、
0系電車で採用された4ドアを3ドアにし、車内の保温性も向上させている。
また、モーターの出力も向上し、電気ブレーキも可能になった。
0系電車を基本としているため、「新OSカー」と呼ばれていた。

長野電鉄全線で使用されたが、木島線(現在廃止)と屋代線のワンマン化後には
長野線専用になり、同線のワンマン化実施後は、ワンマン化が行われず、
平日ラッシュ時の車掌乗務の列車のみで運行されるようになった。
しかし、木島線が廃線になり、ワンマンカーの3500系電車に
余裕が出来たことから、平成15年に引退した。

引退後は須坂駅構内の留置線で、そのまま保管されている。


(※)・・・長野電鉄0系電車は昭和41年に2連2本が登場した車両。
通勤通学輸送を主目的とした車両として「OSカー(Officemen&Studentes Car)」の愛称で
親しまれた。
ローカル私鉄ではあるが、朝夕の混雑が凄まじく、
列車の遅れが顕著であったため、都市圏の電車と同じ20m4ドアのボディを
採用した。
技術面では鉄道車両として日本で初めて、全面にFRPを採用しており、
前述の面を合わせた意欲的な設計と高い技術力が評価され、
鉄道友の会より、ローレル賞を授与されている。
長野電鉄全線で使用され、その輸送力を遺憾なく発揮したが、
利用客の減少とワンマン化実施に伴い、平成9年で引退した。
しばらくは、保存を目的に保管されたが、結局は解体処分されてしまい、
現存しない。

京成電鉄 3300形電車

2007-07-02 10:48:35 | 電車図鑑・私鉄電車(関東)
3200形電車(通勤車仕様)の改良型として昭和43年に登場した車両である。
初期車は3200形の6M車の仕様を、そっくり引き継ぎながらも、
肘掛の改良や吊り手の増設を行うなどの変更をしている。
台車は空気バネ台車を採用している。

昭和44年末より製造されたグループからは、正面上部中央と側面に
種別表示幕と行き先表示幕を戦後の車両としては初めて搭載し、
台車は初期型の赤電との併結を考え、コイルバネ式になった。
昭和47年まで製造されたが、最終増備編成の一部は、川崎重工に合併して
消滅した汽車会社が最後に製造した私鉄車両である。
基本的に連番で4連を組むが、製造時より3351+3352が存在せず、
3349+3350は片ユニット2連で、他の赤電と連結して運行される。

昭和60年から、車体更新を行わない、冷房改造を実施した。
方向幕を持たない編成は昭和62年以降、表示機の搭載を行っている。
昭和63年以降、車体更新を行っている。
この際、正面を中心に手を加えられ、外観に変化が生じ、ほぼ現在の姿になった。
3313~3316の4連は更新と同時に、車内をクロスシートに改造したが、
平成7年に、バケットタイプのロングシートに再改造されている。
また、一部の編成では運転台を撤去して、6連になったものもある。

塗装は登場時がクリームと赤のツートンにステンレスの装飾と淡いパープル、
昭和55年ごろから、朱色にステンレスの装飾と黄色、平成4年ごろからは
現行塗装に塗り替えられている。

3313~3316の座席は3500形電車の車体更新車と同じ、
オレンジ色で固めのものを採用していたが、評判が悪かったため、
ラベンダーカラーの柔らかいものに交換された。

平成15年に踏切事故で2両が廃車になったほか、同年、北総鉄道に8両が貸し出され、
同社の7250形として運行されている。

現在は、事故廃車の2両を除いて、北総のリース車を含めて全車健在だが、
3200形の廃車が進んできたため、まもなく、3000形との置き換えが始まる
予定である。

JR西日本 余部鉄橋(餘部鉄橋)

2007-07-01 16:39:17 | 駅舎・鉄道施設
餘部鉄橋は、山陰本線の餘部~鎧間に架けられている、鉄橋である。
明治42年に着工し、3年の歳月をかけて建築された。
トレッスル方式という、短めの鋼材を組み合わせた架台の上に、これまた短めの
橋桁を載せていく方式を採用しており、かなり特徴的な外観をしている。

山陰本線建設の際、この余部集落周辺は山と山の間の低地に集落がある特殊な
地形であり、様々なルートが検討されたが、最終的に、現在のルートが
選択され、この橋が架けられる事になった。
その建設工事は危険極まりなかったことから、作業員には多額の
保険がかけられたという。

建設以来、90年が経った今でも、トレッスル橋としては、日本最大であり、
初期の鉄道建築の中でも今尚現役であるものとして、貴重な存在である。

昭和34年に地元の小学生などの要望を受け、橋の浜坂側に餘部駅が完成する。
それまで、余部の住人が山陰本線に乗る場合は、長い山道を登って、
線路のところまで出た後、この鉄橋を渡って、香住側にある鎧駅まで
行かなければならなかった。
駅までは長く狭い坂道を登っていかねばならないが、それでも駅が無かった頃に
比べると格段に便利になった。
駅建設に当たっては、住民も手伝い、その様子を描いた壁画が構内に飾られている。

昭和61年の年末には強風によって、走行中の回送列車が墜落し、橋の真下にあった
水産加工場を直撃し、12名が死傷する事故が起こっている。
橋が架けられてから、唯一にして最大の事故で、原因は風速計の警報装置が
作動していたにもかかわらず、それを無視して運行したためである。
この事故以降は、餘部駅の風速計が風速20m以上を記録すると、
列車を全面運休させて、バス代行に切り替えるようになっている。
橋の下には慰霊塔が建てられ、命日には法要が行われる。

この基準強化の結果、強風の日が多い、冬季は運休しやすくなってしまい、
営業上のネックとなることから、平成19年より、架け替え工事が始まった。
地元自治体などからは、観光資源として保存できないかという声も上がっているが、
上記の理由のほか、潮風に長年さらされ、定期的にサビ止め塗装が施されるものの
老朽化が進行していることもあり、架け替えが決定した。

現在、この橋を見るために観光客や鉄道マニアが詰め掛け、
かつて秘境駅といわれた餘部駅は、列車が着くたびに、かなり混雑している。
昨年9月に私が訪問した際は、平日にもかかわらず、香住・大阪方面からの
観光客が2両編成の普通列車に詰め込まれてやってきては、
レール内に侵入するなどの危険行為をしていた。
一般にこういう行為をするのは鉄道を知らない、もしくは熱に浮かされた
にわかファンが実に多い。
鉄道を少しでも知っていれば、運行業務の妨げとなるような行為はしないし、
なにより、軌道内、特に車輛建築限界内に入るということは、
どういう事なのか、十分に知っているはずである。

地元としても、冬季の運休多発や事故があって以降、その記憶を呼び覚ますものでもあり、
早期の架け替えを望む声がないわけではない。

新しい橋はコンクリート製のエクストラドーズド橋(主塔と斜材により主桁を支える
外ケーブル構造による橋。)で防風壁も設け、
現在地よりも7m南側に架けられる。餘部駅もそれに合わせて移転する。
全ての工事が終了するのは平成23年である。
なお、現在の橋については兵庫県などが一部保存を検討している。