輸送力増強と老朽化した戦前製から終戦直後にかけて製造された
旧型車両の置き換えのために、昭和38年に登場した車両である。
昭和58年まで20年に亘り、712両が製造され、私鉄電車での
一系列あたりの生産数で最多記録を誇る。
編成は2連、4連、6連、8連があり、それらの組み合わせで、柔軟な運用が可能で
亀戸線などのローカル線での2連から東上線などでの10連まで、
幅広く運行されており、現在は鬼怒川線以外の全ての線で使用され、野田線では
変電所の関係で全列車が当形式での運転である。
ちなみに8連車は東上線のみの在籍である。
車体は鋼鉄製で、徹底的な軽量化と強度の両立を図るため、同時期登場の車両としては
珍しく戸袋窓が無い。
正面は貫通式で、編成中間に入る際には幌で連結され、運転台は仕切られる。
運転台は当時、大なり小なり頻発していた踏切事故への対策として、
高運転台にしており、独自の正面形状となった。
側面の窓はオーソドックスな2段窓を採用しているが、上段のほうが面積が広い
珍しいものを採用している(普通は上下段同一か、上段のほうが狭い)。
塗装は登場時はベージュに窓周りをオレンジ色に塗ったものであったが、
昭和50年代にクリーム色一色に変更され、現在の塗装になったのは
昭和60年代以降である。
機構面では超多段バーニア抵抗制御で滑らかな加速制御を実現した。
ブレーキは、発電ブレーキや回生ブレーキは無く、直接に車輪を締め付ける
空気ブレーキを採用している。
これは製造当時の東武の路線事情として、駅の間隔が広く、
高加速・減速を行う必要がなかったためで、合理的な発想といえる。
なお、減速力を確保するために、レジン製のブレーキシューを採用している。
そのため、停車時には独特の樹脂が焦げたような臭いがすることがあるほか、
車輪がレジンで削られて、乗り心地が悪くなるなど、これが、この形式において
最大の弱点になっている。
台車は昭和30年代の通勤型電車としては珍しく、ドイツ・ミンデン式の空気バネを
全面的に採用した。
これは車体の軽量化によって、満員の時とそうでないときの車体の浮き沈みに
コイルバネでは対応しづらいことと、生産コストはかかるが、保守の手間が
かからず、長期的に見れば経済的なものであったことなどが、
採用の決め手になった。
後期増備車ではダイレクトマウント式の空気バネ台車になった。
製造当初は非冷房であったが、昭和47年製造の車両から新製時より、
冷房を搭載し、非冷房車も冷房化している。
生産数が多いため、車体番号が80000番台になっているものがある。
例をクハ81101号で挙げると「クハ8100形の101号」という読み方になる。
昭和61年から、修繕工事(他社でいう車体更新改造。東武における「車体更新」は
旧型車の機器を流用し、新しい車体と組み合わせることを指す)を実施しており、
初期車は外板の取替えと、再塗装などの老朽化防止対策、車内化粧板の交換、
側面への行き先表示の設置、座席の交換などを実施して、外観では
原型車とあまりかわらなかったが、昭和62年からは正面形状を変更し、6050系電車と
同等のものに替え、運転台のレイアウトもそれに合わせて一新している。
平成9年度以降からは、ヘッドライトのHDD化や車椅子スペース設置、
行き先表示のLED化を実施している。
2連車と4連車の一部にはワンマン運転対応車があり、前者は小泉線の一部と
大師線、亀戸線で、後者は東上線の小川町~寄居間で運行されている。
これらは後期に製造された車両が中心に改造されており、ドアの上に
旅客案内装置が配置(1両あたり4箇所の千鳥配置)や車外スピーカーを
設置している。
まだ、未修繕の車両が残っているが、こちらについても、行き先表示の
LED化だけは済ませており、原形を保っている車両は、消滅している。
伊勢崎線ワンマン化用の800系、850系への改造のため、登場後41年目で
ようやく8連車の一部で廃車が発生したが、今尚、702両が在籍し、
東武鉄道の在籍車両最多を、誇っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/83/bf668026db00bde9a142a1dda7f64fb4.jpg)
修繕工事実施車。左が平成9年以降に実施した車両。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/b0/a91a41ba20302191c1fcf1732b39b210.jpg)
登場時の塗装を復元した車両。平成16年10月末から平成17年6月27まで運行された。
旧型車両の置き換えのために、昭和38年に登場した車両である。
昭和58年まで20年に亘り、712両が製造され、私鉄電車での
一系列あたりの生産数で最多記録を誇る。
編成は2連、4連、6連、8連があり、それらの組み合わせで、柔軟な運用が可能で
亀戸線などのローカル線での2連から東上線などでの10連まで、
幅広く運行されており、現在は鬼怒川線以外の全ての線で使用され、野田線では
変電所の関係で全列車が当形式での運転である。
ちなみに8連車は東上線のみの在籍である。
車体は鋼鉄製で、徹底的な軽量化と強度の両立を図るため、同時期登場の車両としては
珍しく戸袋窓が無い。
正面は貫通式で、編成中間に入る際には幌で連結され、運転台は仕切られる。
運転台は当時、大なり小なり頻発していた踏切事故への対策として、
高運転台にしており、独自の正面形状となった。
側面の窓はオーソドックスな2段窓を採用しているが、上段のほうが面積が広い
珍しいものを採用している(普通は上下段同一か、上段のほうが狭い)。
塗装は登場時はベージュに窓周りをオレンジ色に塗ったものであったが、
昭和50年代にクリーム色一色に変更され、現在の塗装になったのは
昭和60年代以降である。
機構面では超多段バーニア抵抗制御で滑らかな加速制御を実現した。
ブレーキは、発電ブレーキや回生ブレーキは無く、直接に車輪を締め付ける
空気ブレーキを採用している。
これは製造当時の東武の路線事情として、駅の間隔が広く、
高加速・減速を行う必要がなかったためで、合理的な発想といえる。
なお、減速力を確保するために、レジン製のブレーキシューを採用している。
そのため、停車時には独特の樹脂が焦げたような臭いがすることがあるほか、
車輪がレジンで削られて、乗り心地が悪くなるなど、これが、この形式において
最大の弱点になっている。
台車は昭和30年代の通勤型電車としては珍しく、ドイツ・ミンデン式の空気バネを
全面的に採用した。
これは車体の軽量化によって、満員の時とそうでないときの車体の浮き沈みに
コイルバネでは対応しづらいことと、生産コストはかかるが、保守の手間が
かからず、長期的に見れば経済的なものであったことなどが、
採用の決め手になった。
後期増備車ではダイレクトマウント式の空気バネ台車になった。
製造当初は非冷房であったが、昭和47年製造の車両から新製時より、
冷房を搭載し、非冷房車も冷房化している。
生産数が多いため、車体番号が80000番台になっているものがある。
例をクハ81101号で挙げると「クハ8100形の101号」という読み方になる。
昭和61年から、修繕工事(他社でいう車体更新改造。東武における「車体更新」は
旧型車の機器を流用し、新しい車体と組み合わせることを指す)を実施しており、
初期車は外板の取替えと、再塗装などの老朽化防止対策、車内化粧板の交換、
側面への行き先表示の設置、座席の交換などを実施して、外観では
原型車とあまりかわらなかったが、昭和62年からは正面形状を変更し、6050系電車と
同等のものに替え、運転台のレイアウトもそれに合わせて一新している。
平成9年度以降からは、ヘッドライトのHDD化や車椅子スペース設置、
行き先表示のLED化を実施している。
2連車と4連車の一部にはワンマン運転対応車があり、前者は小泉線の一部と
大師線、亀戸線で、後者は東上線の小川町~寄居間で運行されている。
これらは後期に製造された車両が中心に改造されており、ドアの上に
旅客案内装置が配置(1両あたり4箇所の千鳥配置)や車外スピーカーを
設置している。
まだ、未修繕の車両が残っているが、こちらについても、行き先表示の
LED化だけは済ませており、原形を保っている車両は、消滅している。
伊勢崎線ワンマン化用の800系、850系への改造のため、登場後41年目で
ようやく8連車の一部で廃車が発生したが、今尚、702両が在籍し、
東武鉄道の在籍車両最多を、誇っている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/83/bf668026db00bde9a142a1dda7f64fb4.jpg)
修繕工事実施車。左が平成9年以降に実施した車両。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/b0/a91a41ba20302191c1fcf1732b39b210.jpg)
登場時の塗装を復元した車両。平成16年10月末から平成17年6月27まで運行された。